修羅場に遭遇した女の子がキスして慰める話

真矢野優希

第1話

「さいあく! もう二度と顔見せないで!」


 修羅場に遭遇してしまったときの心境を一言で言い表すならば「やっちまった」というのが正しい気がする。

 他人が軽々に見てはいけないもの、当人たちが他人に見せたくないであろうもの。

 不安定な感情がぶつかって、どちらが正しいのかなんてわからなくなって、きっと最後には誰も得をしない。

 だから人が、人と諍いを起こす現場というのは、いつだって見ていて胸が痛くなる。

 ぱしん、と乾いた音が体育館裏の静かな空間によく響く。ビンタだ、と思ったけど、ビンタした側の女の子の方が背が低かったからどっちかって言うとアッパーカットにも見えた。ぶたれた側の女の子も頬というより顎の辺りを押さえているし。

 

「ヒメのばか!!」


 背の低い女の子はそう吐き捨てると、ぐりん! と音でも付きそうなくらいに勢いよく振り返って、


「………………ちっ」


 わたしの顔を見て小さく舌打ちして、ついでに睨みつけてもきて、肩を怒らせながらわたしの横を通り過ぎていく。

 うわあ、ってなった。正直。背の低い女の子にも、引っ叩かれた方の女の子にも。

 それから、来るんじゃなかった、って少し後悔した。いや来るもなにも、お昼の体育館裏は春から夏に切り替わりかけてる今が一番過ごしやすくて、且つ、人がほとんど、いや全く来ない安住の地で、わたしみたいに教室に居場所がないようなやつの絶好の隠れ家的ポジションなわけで、だからそう易々とわたしのお昼のルーティンを変えられるわけがないということなのであーもう、つまり、これは。


「事故だ……」


 かんっぜんに事故。大事故。なんでこうなるかなー、って不満で顔が歪む。

 他所でやってくれよ、そういうのは。

 だけど、当人たちが考えた、たぶん教室とかじゃ迷惑が掛かるからという理由で選んだ他所というのがここで、つまるところ始めから女の子たちにとってわたしはよそ者で眼中になどあるはずがないのだった。

 顎を引っ叩かれた女の子を見る。背の低い女の子と一緒に居たから背が高いように見えてたけど、たぶんわたしとそんなに変わらないくらいの背丈だろうか。つまり一般的な大きさ。160あるかどうかくらいだ。そうするとあの背の低い女の子は結構チビってことになる。感じ悪かったなーあのチビ助。

 それはさておき女の子観察の続きをする。黒髪のボブカットと八の字に下がった眉……は引っ叩かれたのが原因かな。別段髪を派手に染めてたりだとか制服を改造したりとかしているようには見えない。よく言えば真面目、悪く言えば……お堅い? そんな感じだった。

 どんな関係性だったんだろ、この子たち。

 修羅場を目撃したショックとか、安住の地を汚された不満よりも、段々と興味の方が勝り始めてきて。

 不意に、女の子の肩が震えた。


「………………っ」


 溢れた嗚咽が耳に届いて、心臓がどくんと跳ねた。

 背中側からなにか落ちるような音が聞こえた。さっきまで持っていたランチバッグが右手に無い。歩き出していた、いつの間にか。

 大して派手な音ではなかったけど、それでも急に音が鳴ったことに驚いたのか、俯いていた女の子視線が今更のようにわたしへ向く。視線が交差すると、戸惑うように女の子の瞳が揺れた。

 女の子が一歩、後ずさる。逃げられる、と感じたときには、既にわたしの身体は加速していた。

 なにやってるんだろ、って頭の片隅でそんなことを思った。

 そしてそのまま、ほとんどぶつかるような勢い……というか実際激突しながら女の子に抱きつく。骨と骨がぶつかったり、制服越しになんか柔らかいとこが触れたりと刺激がわたしの身体を忙しく駆ける。

 ……。

 …………。

 ……あー、えーっと、なんだ。なんか言わなきゃ、マズい。黙っていると、『修羅場を目撃して』『なんか急に抱きついてきた変な女』になってしまう。誰のことって? 当然、わたしだ。

 息を吸う音がすぐ近くで聞こえた。女の子が何かを言う……というか叫ぼうとしてるのを直感する。口でも塞げばそれを防げるのだけど、生憎と両手は女の子を逃がさないようにと女の子の腰に回っていて離せそうにない。

 じゃあ、どうする? どうすればいい?

 数学の計算問題を解くときよりも早く頭の中で言葉が生まれ、消えていく。でも求めている答えはどこにも見つからなくて頭がわやくちゃになりそうだった。

 手は塞がって、足……は役に立たなくて、顔は空いていて……あぁ。

 女の子の肩に押し付けていた顔を離す。案外……でもないか、当然のようにわたしの鼻先数ミリ前に女の子の顔がある。近くで見つめると以外と整った顔をしていることに気づく。

 背の高さが似ているから、わたしと女の子の視線が綺麗にかち合う。不安に揺れる瞳をしていたのは果たしてどちらだったのだろう。

 名案が浮かんだわけではない。けど、こうすればなんとかなるのでは、という考えが浮かんでしまったのは事実で。

 一瞬躊躇って、だけど、その気持ちを振り切るように次の行動に移す。

 目を閉じる。大体、おおよその位置は掴んだ。ので、あとはフィーリングでなんとかするしかない。

 や、という呟きにも似た音が女の子の口から漏れるのを聞く。やめて、なのか、やだ、なのか、その続きを聞くことは叶わない。わたしだって、人の大声を至近で聞くシュミなんて無いからだ。

 

「ん、─────ッ!?」


 両手が塞がっているから、女の子の口を塞ぐための手段なんてこんなことしか知らない。強引に唇を重ねて、そこでようやく甘いような匂いが女の子を包んでいると知った。木々の隙間から降る日差しと女の子の体温に挟まれて背中がじわじわと熱くなる。

 キスをしたのは、さすがに初めてだった。しかも見ず知らずの女の子と、なんて。

 一瞬だけのつもりが二秒、三秒と時間が過ぎていく。あれ、これいつまで続ければいいんだ? と疑問に思ったところで女の子に身体を無理矢理引き剥がされた。

 目を開ければ、涙を溢しながら乱雑に口元を拭う女の子がいた。その仕草にちょっとだけ、いや結構、いやかなり傷つく。そうされて当然のことではあるんだけど。

 

「……なに!? なんなの急に!? あなた…‥誰!?」


 問われて、でも、適切な返答が思い浮かばない。名前を名乗ったり、普段からここを根城にしてたりといったわたしの事情を答えたところで女の子はきっと納得しないのだろう。そりゃそうだ。そんなことより、いきなり抱きついてきて、あげくキスまでしてきたことの方がよっぽどか気になってしょうがないはずだ。

 

「……信じてもらえないかもしれないけど」


 女の子の涙は止まらない。

 そう、それだ。

 わたしが勢い任せで行動した原因はそこにあった。

 

「あなたが泣くのを、見たくなかった」


 修羅場ってしまった原因は当人たちしか知らないし、そこに一々わたしが介入するのもおかしな話なので、原因とかそういうのを追求するのは正直、どうでもいい。

 だけど。

 だけど、だ。

 傷ついて、悲しんでいる人を放っておけるほど、わたしは薄情な人間ではないのだ。……その過程と結果はどうであれ。

 本当に、わけがわからないというように、困惑が女の子の表情を染める。

 そしてたぶん、そこが限界だった。


「ひぁ、」


 崩れるように女の子は膝をつき、本格的に泣き出してしまう。わたしはしゃがんで、そっと女の子の背に手を回した。今度は無理矢理引き剥がされなかった。

 やっちまったなあ、とぼんやりと思う。これからどうしよう、とも。

 小刻みに震える女の子をそっと抱きしめる。

 女の子の涙はまだ止まりそうもない。

 だから彼女が泣き止むまでは、側にいようと思った。

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