第17話 ASHES
かつて人が住んでいたはずの街に、灯りはなかった。
歪んだ鉄骨、ひび割れたアスファルト、骨組みだけの建物。
夜風が瓦礫の隙間を吹き抜け、時折どこかで何かが崩れる音だけが響いていた。
No.17はその中を、無言で歩いていた。
焦げた看板。折れた電柱。半壊した横断歩道の標識。
この街は……あの少女と出会った場所だった。
澪、名前も知らない自分を受け入れた少女。
その記憶は、どこか曖昧だった。
正確な住所も、家の外観も、思い出せない。
けれど足は迷わず、ある方向へ向かっていた。
それは「記憶」ではなかった。
もっと原始的で、身体の奥に沈んだ何か。
「そこに彼女がいた」と、確かに感じていた場所。
やがて、焼け落ちた住宅地の一角に辿り着く。
……ここだ。
金属の匂いと、かすかに残る焦土の気配。
家があったと思われる場所には、もはや基礎のコンクリートすら剥がれ、ただ黒く地面が露出しているだけだった。
足元に、焦げた何かが落ちていた。
拾い上げる。
………焼けたキーホルダーだった。
かろうじて読める文字。
Mio
胸の奥で、何かがきしむ音がした。
彼女は、ここにいた。
そしていま……どこにも、いない。
No.17はその場に膝をつく。
機械のはずの腕が、小さく震えた。
「澪……」
小さく名を呼んだ。
……その時。
背後で、砂利を踏む音。
即座に立ち上がり、振り向く。
しかしそこには誰もいなかった。
No.17はしばらく立ち尽くし、やがて小さく息を吐いた。
そしてその時、瓦礫の上に立つ一つの影。
白いフード。仮面。小さな体。
無言のまま、こちらを見下ろしていた。
アストラ。
「彼女は、消されたよ」
その言葉は、風の中に溶けていった。
けれど、確かに耳に届いた。心臓の裏側に突き刺さるように。
No.17はゆっくりと顔を上げた。
「……誰が?」
アストラは、答えない。
仮面の奥の双眸が、夜の闇よりも冷たく光っている。
「神守か? 禍徒か? それとも……お前らか?」
No.17の声に、怒りはなかった。
ただ、どこか深く沈んだ音が、静かに響いていた。
アストラはゆっくりと、瓦礫の上から降りてくる。
足音も立てずに、影のように。
「言ってしまえば、神守だよ。神守が彼女の存在を消した。だから、誰も覚えていない。」
「そんなこと……」
「でも、現実だ」
二人の間に、風が吹いた。
焦げた紙屑が舞い上がり、夜空に消えていく。
「……君の体には、過去の記録が残っている。でも、それはただのデータだ。人間が記憶と呼ぶものとは、違う。君が覚えているのは、たぶんただの断片だ」
No.17は手にした焦げたキーホルダーを見つめた。
アストラがわずかに首を傾けた。
「……どうしてそこまで、彼女にこだわる?」
「わからない。ただ……」
No.17は言葉を選ぶように、ひと呼吸おいて続けた。
「私が今、行きたいと思った場所がここだった。それだけだ。命令じゃなくて、指令でもなくて……自分の中にある、そういう気持ちで動いたのは初めてだった」
「つまり、感情か」
アストラは短く言った。
「それが、人間の入口。観察対象としての君の存在は、すでに揺らぎ始めている」
「観察だの対象だの、どうでもいい。……私は、彼女が生きているかどうかを知りたかった」
「そして、今はもう、いないと知った。なら、次はどうする?」
アストラの問いに、No.17は答えなかった。
だがその沈黙は、絶望ではなかった。
立ち尽くす彼の背筋には、確かな意思が宿っていた。
やがてアストラが言う。
「君の選択は、観察記録として収めておく。……でも、次はただ見ているだけでは済まないかもしれない」
「好きにしろ」
No.17は言い返すことなく、澪の家の跡地を一度だけ振り返り、踵を返した。
仮面の奥で、アストラの目がかすかに細められる。
「……人間とは、厄介なものだ」
そのつぶやきが、風の中に消えた。
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