第5話
「ええと、番号は……」
0726。
記念日。
そう、記念日だ。
……といっても、うちの両親の結婚記念日だけど。
車のナンバーから電話番号に至るまで、0726だらけだ。
兄貴はパスワードを面倒くさがって、この数字を多用する。
以前、「兄貴しかわからない番号にしなきゃ意味なくない?」
と指摘したことがあった。
でも返ってきた言葉は、
「僕だけしかわからない番号を、忘れたらどうするの?」
いや知らんよ。メモしとけって。
そう思ったのは俺だけじゃないはずだ。
日記みたいなプライベートの塊すら、この番号で開くのはちょっとどうかと思う。
家族の良心に頼りすぎだ。
勝手に覗かれても、知らんぞ。
……そもそも、見られて困るような秘密なんてないのか。
いや、確かになさそうだ。
彼は正直で、隠しごとはほとんどしない。
していたのは、そう──
「あの時くらいだな」
*
「なんで! 兄貴は翼さんを振ったんだよ!」
葉は静かにかぶりを振った。
「……いや、なんでもないよ。色々あっただけさ」
「その“色々”を聞いてんだろ!
そりゃあ部外者の俺がどうこう言うのもおかしいけどさ……」
「でも、どうにも納得いかないんだよ」
眩しいくらいお似合いのふたり。
そう見えていたのは、錯覚だったのか。
余計なお世話だとわかってる。
それでも、黙っていられなかった。
「……どうしても聞きたいなら、ひとつ約束を」
葉が人差し指をピンと立てる。
兄貴らしからぬ、毅然とした仕草だった。
「……なんだよ」
「理由を聞いても、翼には一切伝えないこと」
……元カノに、別れの理由を伝えない。
それが条件。
伝えたくないほど、後ろめたいことがあるのか?
もし、それが翼さんを裏切るような内容だったら──
兄貴は、そんなことしない。たぶん、絶対に。
でも。
「約束できないな」
言葉は契約だ。
口にしてしまえば、守らなければいけない。
俺にとってその条件は、絶対を約束できるものではなかった。
「俺は、二人の味方なんだよ。公平で、公正。
ことと次第によっては、翼さんにだって伝える。じゃなきゃフェアじゃない」
「そう……なら、言えないね」
葉は、どこか寂しそうに笑った。
「陸。翼のために怒ってくれて、ありがとう。自慢の弟だよ」
柔らかく、そして努めて冷静に。
──その態度が、逆に苛立ちを煽った。
「バカにしてんのかよ!」
「そんな説明で、俺や翼さんが納得すると思ってんのか!」
カッとなった。
肩をぐっと掴む。
「納得は、してないかもね」
感情的な俺に対して兄貴は、まったく動じなかった。
ただ、俺をまっすぐ見据える。
意志の固さを象徴していた。
話す気はないようだ。
「……わかったよ。もう聞かない」
「じゃあ、この話はおしまい」
俺はふたりの架け橋になろうとしていた。
お互いがちゃんと気持ちを伝え合えば、元通りになれるんじゃないか。
*
どう思っていたのかはわからない。
その時の兄貴の気持ちも、日記に記されているのだろうか。
「まあ、勝手に見るわけにはいかないよな」
約束は約束。
「見ない」と言った以上、俺が見るわけにはいかない。
そもそも人の日記を読むのはマナー違反だ。
それにしても。
「落ち着かないなぁ……」
当然、兄から部屋に入る許可はもらっている。
しかし、部屋主がいないとどこか居心地の悪さを感じる。
そんなことを考えていたとき──
「ピヨピヨピヨ!」
「うわあああああ!」
驚いて日記を手放した。
勢いで開いたページ、そこに挟まれていた栞が見えた。
おかしな音の正体は──
「……なんだ、時計か。まだ鳴るんだな」
正確には、時計“風”のナニカだ。
小学生の頃、兄と一緒に作った木製のひよこ時計。
工作キットで作ったんだけど、兄貴が適当にやったせいで、時間はめちゃくちゃ。
まず、秒針がない。
組み立て中に兄貴が折った。
替えの針もなかったので、そのまま。
まあ、秒針のない時計は普通に売ってる。まだ許せる。
だが致命的なのは──
「1時間=45分」という、謎の表記だ。
つまり、1時間ごとに15分ズレる。
不具合ではない。
兄貴が「授業の1コマが45分だから」で設定した、仕様である。
時計という概念を壊しにきた、一種のアートかもしれない。
でも、兄貴はこれをすごく気に入っていた。
……っと、そんなことは今どうでもいい。
「日記は……折れてないよな?」
「うん、大丈夫……」
覗くつもりはなかった。
でも、目に入ってしまった。
⸻
彼女のそばにいてはならない。
その、一言が。
フクスイ盆に返るまでーワスれた記憶と元カノ @beniyuzu
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