第5話


「ええと、番号は……」


0726。


記念日。

そう、記念日だ。


……といっても、うちの両親の結婚記念日だけど。

車のナンバーから電話番号に至るまで、0726だらけだ。


兄貴はパスワードを面倒くさがって、この数字を多用する。


以前、「兄貴しかわからない番号にしなきゃ意味なくない?」

と指摘したことがあった。


でも返ってきた言葉は、

「僕だけしかわからない番号を、忘れたらどうするの?」


いや知らんよ。メモしとけって。

そう思ったのは俺だけじゃないはずだ。


日記みたいなプライベートの塊すら、この番号で開くのはちょっとどうかと思う。

家族の良心に頼りすぎだ。

勝手に覗かれても、知らんぞ。


……そもそも、見られて困るような秘密なんてないのか。

いや、確かになさそうだ。

彼は正直で、隠しごとはほとんどしない。


していたのは、そう──


「あの時くらいだな」



「なんで! 兄貴は翼さんを振ったんだよ!」


葉は静かにかぶりを振った。


「……いや、なんでもないよ。色々あっただけさ」


「その“色々”を聞いてんだろ!

そりゃあ部外者の俺がどうこう言うのもおかしいけどさ……」


「でも、どうにも納得いかないんだよ」


眩しいくらいお似合いのふたり。

そう見えていたのは、錯覚だったのか。


余計なお世話だとわかってる。

それでも、黙っていられなかった。


「……どうしても聞きたいなら、ひとつ約束を」


葉が人差し指をピンと立てる。

兄貴らしからぬ、毅然とした仕草だった。


「……なんだよ」


「理由を聞いても、翼には一切伝えないこと」


……元カノに、別れの理由を伝えない。

それが条件。


伝えたくないほど、後ろめたいことがあるのか?


もし、それが翼さんを裏切るような内容だったら──


兄貴は、そんなことしない。たぶん、絶対に。

でも。


「約束できないな」


言葉は契約だ。

口にしてしまえば、守らなければいけない。

俺にとってその条件は、絶対を約束できるものではなかった。


「俺は、二人の味方なんだよ。公平で、公正。

ことと次第によっては、翼さんにだって伝える。じゃなきゃフェアじゃない」


「そう……なら、言えないね」


葉は、どこか寂しそうに笑った。


「陸。翼のために怒ってくれて、ありがとう。自慢の弟だよ」


柔らかく、そして努めて冷静に。


──その態度が、逆に苛立ちを煽った。


「バカにしてんのかよ!」


「そんな説明で、俺や翼さんが納得すると思ってんのか!」


カッとなった。

肩をぐっと掴む。


「納得は、してないかもね」


感情的な俺に対して兄貴は、まったく動じなかった。

ただ、俺をまっすぐ見据える。


意志の固さを象徴していた。

話す気はないようだ。


「……わかったよ。もう聞かない」


「じゃあ、この話はおしまい」


俺はふたりの架け橋になろうとしていた。

お互いがちゃんと気持ちを伝え合えば、元通りになれるんじゃないか。


どう思っていたのかはわからない。


その時の兄貴の気持ちも、日記に記されているのだろうか。


「まあ、勝手に見るわけにはいかないよな」

約束は約束。

「見ない」と言った以上、俺が見るわけにはいかない。


そもそも人の日記を読むのはマナー違反だ。


それにしても。


「落ち着かないなぁ……」


当然、兄から部屋に入る許可はもらっている。


しかし、部屋主がいないとどこか居心地の悪さを感じる。


そんなことを考えていたとき──


「ピヨピヨピヨ!」


「うわあああああ!」


驚いて日記を手放した。

勢いで開いたページ、そこに挟まれていた栞が見えた。


おかしな音の正体は──


「……なんだ、時計か。まだ鳴るんだな」


正確には、時計“風”のナニカだ。


小学生の頃、兄と一緒に作った木製のひよこ時計。

工作キットで作ったんだけど、兄貴が適当にやったせいで、時間はめちゃくちゃ。


まず、秒針がない。

組み立て中に兄貴が折った。

替えの針もなかったので、そのまま。


まあ、秒針のない時計は普通に売ってる。まだ許せる。


だが致命的なのは──

「1時間=45分」という、謎の表記だ。


つまり、1時間ごとに15分ズレる。


不具合ではない。

兄貴が「授業の1コマが45分だから」で設定した、仕様である。


時計という概念を壊しにきた、一種のアートかもしれない。

でも、兄貴はこれをすごく気に入っていた。


……っと、そんなことは今どうでもいい。


「日記は……折れてないよな?」


「うん、大丈夫……」


覗くつもりはなかった。

でも、目に入ってしまった。



彼女のそばにいてはならない。


その、一言が。



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フクスイ盆に返るまでーワスれた記憶と元カノ @beniyuzu

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