第19話『全部食べたら、私になれる』



 文化祭当日、午前7時。

 全校生徒が大講堂に集められた。

 壇上には、BMI10以下の学園長。もはや人間とは思えない姿。


「本日より3日間、年に一度の解禁日です」


 骨だけの腕が掲げられる。


「1日限定、1000kcalまでの摂取を許可する」


 歓声が上がる。

 年に一度だけ、まともに食べられる日。

 でも——


「ただし、体重が1kg増加した者は、即刻絶食塔行きとする」


 歓声が悲鳴に変わった。

 1000kcal食べて、1kgも増えないはずがない。

 これは罠だ。


 私たちのブースは、表向き「詩集朗読会」。

 でも、その詩集こそが——


「いらっしゃい」


 最初の客は、青い制服の上級生だった。

 BMI14。魔力は強大だが、目は死んでいる。


「詩集……?」


 彼女が手に取る。

 ページをめくると——


「これは……」


 彼女の目に、光が戻る。


「料理の、作り方?」


「詩です」


 私は微笑んだ。


「生きるための、詩」


 彼女は震える手で詩集を抱きしめた。


「私、5年ぶりに……料理って言葉を見た」


 涙が、彼女の頬を伝う。


 次々と生徒が集まってくる。

 青い制服も、緑も、灰色も。

 みんな、飢えていた。

 食べ物だけじゃない。

 「普通」に飢えていた。


「これ、本当に作れるの?」


 小さな一年生が聞く。

 彼女の腕は、枝のように細い。


「作れるよ」


 アリサが優しく答える。


「私たちと一緒に」


 そして、奇跡が起きた。

 調理実習室から、香りが漂ってきた。

 本物の、食べ物の香り。


「まさか……」


 みんなが実習室に殺到する。

 そこでは——


 名倉先生が、スープを作っていた。

 30年前のレシピ通りに。


「先生!」


「今日だけよ」


 先生は涙を流しながら微笑んだ。


「今日だけは、先生じゃなくて、ただの料理好きな女性でいさせて」


 生徒たちが、恐る恐るスープを口にする。

 そして——


「おいしい……」


 その一言で、堰が切れた。

 みんなが泣きながら、スープを飲む。

 5年ぶり、10年ぶりの「本物の味」。


「私、忘れてた」


 青い制服の三年生が呟く。


「食べるって、こんなに幸せだったんだ」


 でも、幸せは長く続かなかった。


「違法行為を確認!」


 風紀委員長が、最強の魔導師部隊を引き連れて現れた。

 全員、BMI10前後の化け物たち。


「カロリー摂取は1000kcalまで。スープ一杯で500kcal。これは違反だ」


「でも、年に一度の——」


「言い訳は聞かない」


 魔法が発動する。

 『強制嘔吐』の術式。


「やめて!」


 私は叫んだ。


「せっかく食べたのに! せっかくみんなが笑顔になったのに!」


「笑顔?」


 風紀委員長が嘲笑う。


「そんなものに、何の価値がある?」


 その時だった。


「価値なら、ある」


 ルカが前に出た。

 そして——自分の制服を脱いだ。


 みんなが息を呑む。

 ルカの体は、もう青い制服基準じゃなかった。

 この数週間で、彼女は「食べて」いた。


「私は、やっと分かった」


 ルカは震える声で言った。


「全部食べたら、私になれる気がする」


 彼女の母親も、人混みから現れた。


「ルカ……」


「お母さん、私ね」


 ルカは微笑んだ。


「お母さんの作るケーキが、世界で一番好きだった」


 母親が崩れ落ちる。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


「愛してるなら、もっと食べさせてあげればよかった」


 母親の慟哭が、講堂に響く。


 空気が変わった。

 青い制服の生徒たちが、次々と——


「私も、食べたい」

「もう、我慢できない」

「お腹すいた!」


 風紀委員長が魔法を発動しようとする。

 でも——


「無駄よ」


 メイが不敵に笑った。


「もう、みんなの心は決まってる」


 そう、食欲は本能。

 どんな魔法でも、抑えきれない。


「私は、誰かのためにじゃなくて、自分のために、おいしくなりたい」


 私の宣言に、みんなが頷く。


 パンが配られる。

 クッキーが回される。

 スープがよそわれる。


 みんなが食べる。

 泣きながら、笑いながら、食べる。


 風紀委員たちも、やがて——


「私も……」


 一人が、震える手でパンを受け取った。


 食べることは、生きること。

 生きることは、自分を肯定すること。


 その瞬間、ゼロカロリー学園の「呪い」が解け始めた。


 でも、これは始まりに過ぎない。

 学園長は、まだ動いていない。

 そして、学園の外には——


 完璧主義の母親連合が、牙を剥いて待っている。

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