第17話『"好き"はカロリーですか?』


 朝6時。体重測定の時間。

 全寮制のゼロカロリー学園では、毎朝この儀式から一日が始まる。


「ミナ=ノリーナ、52.3kg。昨日比プラス0.2kg」


 機械音声が冷たく告げる。

 瞬間、私の制服が微かに色を変えた。まだ灰色だけど、さらに濃い灰色に。


「0.2kg増……朝食抜きね」


 寮母が無表情に宣告する。

 でも、私は知っている。昨日、保健室でユウトと一緒に食べた小さなクラッカー。たった30kcalが、この0.2kgの正体だ。


 教室に向かう廊下。

 青い制服の上級生たちが、まるで亡霊のように歩いている。

 BMI15以下。骨と皮だけの体に、最強クラスの魔力が宿る。


「おはよう、ミナ」


 保健室の前で、ユウトが待っていた。

 彼だけが、この狂った学園で正気を保っている。


「体重、増えた?」


 彼の心配そうな顔に、胸が痛む。


「0.2kg。でも、後悔してない」


 嘘だ。

 本当は怖い。このまま増え続けたら、もっと濃い灰色になる。

 そして最後は——黒い制服。退学処分。


「ミナ」


 ユウトが私の震える手を握った。


「俺の前でなら、食べていいよ」


 その言葉に、涙が溢れそうになる。


 昼休み。

 秘密の場所——保健室の隅で、ユウトが小さな包みを差し出した。


「これ、姉さんが最後に作ったクッキー」


 一枚だけ残されたクッキー。

 彼の姉は、BMI13まで痩せて、そして——


「食べて。姉さんも、きっとそう望んでる」


 震える手でクッキーを受け取る。

 一口かじると、優しい甘さが広がった。


「おいしい……」


 涙が止まらない。

 この一枚に、何キロカロリーあるんだろう。

 でも今は、そんなこと——


「好きな人の前で"お腹すいた"って言えなかった」


 気づいたら、本音が漏れていた。


「私、ずっとユウトの前でも演技してた。平気なふりして、お腹すいてないふりして」


「知ってたよ」


 ユウトが優しく微笑む。


「ミナの胃が鳴る音、何度も聞いたから」


 恥ずかしさで顔が熱くなる。


「ミナは食べる子でいてほしい。それが、一番ミナらしいから」


 その瞬間、警報が鳴り響いた。


『違法カロリー摂取を感知。保健室にて』


 血の気が引く。

 監視カメラ。この学園のどこにでもある、カロリー監視システム。


「逃げて、ミナ」


「でも——」


「俺は大丈夫。医療従事者は特別扱いだから」


 廊下に飛び出すと、すでに風紀委員が迫っていた。

 青い制服。BMI14の最強魔導師たち。


「カロリー犯罪者ミナ=ノリーナ、確保する」


 魔法の鎖が私を縛り上げる。

 でも、不思議と後悔はなかった。


 カロリー法廷。

 裁判長は、BMI12という化け物じみた体型の三年生。


「被告人ミナ=ノリーナ。本日だけで推定50kcalの違法摂取」


 傍聴席がざわめく。

 50kcal——それは、この学園では重罪だ。


「さらに問題なのは、動機です」


 検察官役の生徒が、冷たく告げる。


「恋愛感情による摂食。これは、最も恥ずべき行為です」


 そうだ。この学園では、恋も罪。

 感情に流されて食べることは、理性の敗北とされる。


「被告人、何か言うことは?」


 私は立ち上がった。


「"好き"の重さは、どれくらい? カロリーでは測れないよね」


 法廷が静まり返る。


「私は、好きな人とクッキーを分け合った。それが罪だというなら——」


 深呼吸。


「その罪を、喜んで受け入れます」


 裁判長の顔が歪む。


「被告人を、絶食塔送りとする。期間は——無期限」


 歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。

 無期限。それは事実上の——


「待って!」


 扉が勢いよく開いた。

 そこには、コウメ、メイ、アリサ、そして——ルカ。


「その判決に、異議を申し立てます」


 ルカが前に出る。

 生徒会副会長の彼女が、なぜ?


「恋愛感情を否定するなら、この学園の存在意義は何?」


 彼女の問いかけに、裁判長が怒りを露わにする。


「美しさこそが——」


「違う!」


 ルカが叫ぶ。


「美しさは、愛されるためにあるんじゃないの?」


 その言葉が、法廷に波紋を広げる。


 騒然とする中、ユウトが現れた。

 彼の手には、医療記録。


「ミナの摂取カロリーは、医療行為として処方したものです」


 嘘だ。でも——


「精神的飢餓状態。このままでは、姉と同じ道を辿る」


 彼の震える声に、みんなが息を呑む。


 裁判長が、しばらく沈黙した後——


「判決を、保留とする」


 奇跡だった。

 この学園で、判決が覆されることなんて。


 法廷を出ると、ユウトが待っていた。


「ごめん、巻き込んで」


「謝らないで」


 彼が私を抱きしめる。

 人目なんて、もう気にしない。


「一緒に、この狂った世界を変えよう」


 頷く。

 明日、私の制服はもっと濃い灰色になるかもしれない。

 でも、もう怖くない。


 好きな人と、好きなものを食べる。

 それが罪なら、私は喜んで罪人になる。

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