第12話『ゼロカロリーの王国』



深夜2時。


ミナは仲間たちと共に、地下へ続く秘密の階段を降りていた。


「本当にここに、断食派のリーダーがいるの?」メイが震え声で聞く。


「情報によればね」ユウトが答えた。「BMI12.1。人間の生存限界を超えた怪物だって」


階段の先には、重い鉄の扉があった。


『絶食の間——覚悟なき者は入るべからず』


扉を開けると、そこは氷のように冷たい部屋だった。


中央に、一人の少年が座っていた。


いや、それを人間と呼べるかどうか。


骨と皮だけ。眼窩は落ちくぼみ、髪は抜け落ちている。しかし、その周囲には信じられないほどの魔力が渦巻いていた。


「ようこそ、愚かな豚ども」


声は、墓場から響くようだった。


「私はレン。この学園の真の支配者」


コウメが息を呑む。「あなたが、噂の……」


「そう。1年間、水以外何も口にしていない」


レンがゆっくりと立ち上がる。その動きは、まるで死体が動いているようだった。


「おかげで見ろ、この力を」


彼が手をかざすと、部屋の温度が一気に下がった。壁に霜が張り、吐く息が白くなる。


「空腹は、精神を研ぎ澄ます。満腹は、獣に堕ちること」


アリサが震えながら言った。「で、でも、それじゃ死んじゃう……」


「死?」レンは嗤った。「肉体など、魂の牢獄に過ぎない」


ミナは前に出た。


「それは違う。体があるから、心がある。食べるから、生きている」


「黙れ!」


レンの魔力が爆発した。


ミナたちは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。


「お前たちのような豚に、何がわかる!」


レンは狂ったように叫んだ。


「私は神に近づいているのだ!食欲を超越し、肉体を超越し——」


だが、その時。


ゴボッ


レンの口から、黒い血が溢れた。


「ぐ……」


膝をつく。体が、限界を迎えていた。


「レンさん!」


驚いたことに、ミナは彼に駆け寄った。


「何を……」レンは困惑した。「敵なのに……」


「敵じゃない」ミナは涙を流していた。「あなたも、犠牲者でしょ?」


レンの目が見開かれた。


「犠牲者……?」


「ゼロカロリーって、心までゼロになることだったのかもしれない」


ミナの言葉が、レンの凍った心に響いた。


急に、記憶が蘇る。


——昔、友達と食べたカレーの味。

——母親が作ってくれた、お弁当。

——誕生日に食べた、ケーキ。


「あ……ああ……」


レンは震えた。


「私は、何を……してきたんだ……」


ユウトが医療キットを取り出した。「今なら、まだ間に合う。栄養剤を——」


「いらない」


レンは首を振った。


「もう、遅い。私の内臓は、とっくに機能を停止している」


皆が息を呑んだ。


「でも」レンは微笑んだ。それは、死人のような顔に浮かんだ、人間らしい表情だった。


「最後に、教えてくれ。普通の食事って、どんな味だった?」


ミナは泣きながら答えた。


「温かくて、優しくて、幸せな味」


「そうか……」


レンはゆっくりと目を閉じた。


「でも、お腹がすいたって、体が教えてくれる。『もっと生きたい』って」


ミナの言葉を、最後に繰り返した。


「生きたい、か。私も、本当は……」


そのまま、レンは動かなくなった。


1年間の絶食の果てに、たどり着いたのは神ではなく、死だった。


「これが、ゼロカロリーの王国」


ルカが呟いた。


「何も食べない者が王になり、そして死んでいく世界」


突然、警報が鳴り響いた。


『侵入者発見!ただちに確保せよ!』


「逃げよう!」コウメが叫ぶ。


だが、ミナは動かなかった。


レンの亡骸を見つめて、誓う。


「もう、誰も死なせない。この狂った王国を、必ず終わらせる」


仲間たちと共に、ミナは走り出した。


背後で、絶食の間が崩れ始めた。


王の死と共に、ゼロカロリーの王国にも、終わりの時が近づいていた。


だが、本当の戦いはこれからだ。


生きている者たちを、どう救うか。


それが、ミナたちに課された使命だった。


地上に出ると、東の空が白み始めていた。


新しい朝。


でも、この学園にはまだ、救われるべき魂が無数にいる。


「次は、絶食塔ね」


ミナの言葉に、全員が頷いた。


革命は、まだ始まったばかりだった。

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