第6話『その涙に、カロリーはない』
早朝5時。調理実習室。
ここは監視カメラの死角。生徒会も教師も知らない、秘密の時間。
「本当にここで大丈夫?」
コウメが不安そうに周りを見回す。青い制服が、薄暗い部屋で不気味に光っていた。
「大丈夫。ユウトが教えてくれたの」
ミナが材料を並べる。寒天、レモン、水。そして——
「これは?」
「ステビアの葉。カロリーゼロの天然甘味料」
コウメの目が輝いた。そして、すぐに曇る。
「でも、甘いものは……」
「甘いものが悪いんじゃない」
ミナが断言した。
「罪悪感と一緒に食べるから、毒になる」
二人は作業を始めた。
計量、加熱、攪拌。単純な作業。でも、コウメの手は震えていた。
「ねえ、ミナ」
「なに?」
「昨日から、制服の色が……」
コウメが自分の袖を見る。昨日までの完璧な青が、わずかに緑がかっている。
「0.3キロ増えただけで、こんなに……」
「おかしいよね、この学園」
ミナが鍋をかき混ぜながら言う。
「体重で人の価値が決まるなんて」
「でも、それがルール」
「ルールが間違ってることもある」
その時、調理実習室のドアが開いた。
二人は凍りついた。こんな時間に見つかったら——
「あら、早いのね」
入ってきたのは、名倉先生だった。栄養管理主任。この学園の「食の番人」。
「先生……」
「その材料」
名倉先生が近づいてくる。
「ゼリー作り?」
観念したコウメが答える。
「は、はい……すみません、勝手に……」
「いいわよ」
意外な答えだった。
「続けて」
「え?」
「私も、見てるから」
名倉先生は椅子に座った。その横顔に、疲れが見えた。
作業を再開する。ぎこちなく、でも丁寧に。
液体が透明になっていく。光を反射して、きらきら光る。
「綺麗ね」
先生がつぶやいた。
「昔を思い出すわ」
「昔?」
「私も、生徒だったの。この学園の」
コウメとミナは顔を見合わせた。
「信じられない? でも本当。あの頃は、まだここまで狂ってなかった」
先生の目が遠くを見る。
「でも、少しずつ変わっていった。BMIシステムが導入されて、魔力が体重に比例するようになって……」
「どうして止められなかったんですか?」
ミナが聞く。
「止めようとした教師は、みんな消えた」
重い沈黙が流れる。
ゼリー液を型に流し込む。冷蔵庫に入れて、待つこと30分。
その間、三人は黙って座っていた。
チン。
タイマーが鳴る。コウメが冷蔵庫を開けた。
完成したゼリー。透明で、純粋で、美しい。
「食べてみて」
ミナが促す。コウメは躊躇した。
「カロリーは?」
「ほぼゼロ」
「本当に?」
「信じて」
震える手で、スプーンを入れる。ぷるんと震えるゼリー。
口に運ぶ。
「……!」
コウメの目が見開かれた。
「このゼリー、甘くない。でも、なんだか優しい味がするね」
レモンの酸味と、かすかな甘み。そして——
「塩味?」
「あ、ごめん。さっき泣いちゃって」
ミナが照れ笑いする。
「材料に混ざったみたい」
「涙の味……」
コウメも、また泣いていた。でも、昨日とは違う涙だった。
「涙にはカロリーがない」
ミナが優しく言った。
「だから、思いっきり泣いていいんだよ」
その言葉で、コウメの中の何かが壊れた。
声を上げて泣いた。今までの苦しみ、罪悪感、恐怖。全部、涙になって流れ出た。
名倉先生も、目を潤ませていた。
「ごめんなさい」
先生が言った。
「生徒を守ってるつもりだった……けど、私はただ"規則"を守ってただけなのかもね」
三人で、ゼリーを分け合った。
涙の味のゼリー。カロリーはほぼゼロ。でも、心は満たされた。
「これを、みんなにも」
コウメが言い出した。
「この味を、学園のみんなにも知ってもらいたい」
「いいね」
ミナが賛成する。
「でも、どうやって?」
その時、廊下から騒ぎ声が聞こえてきた。
「また誰か倒れた!」
「今度は青い制服の子よ!」
三人は顔を見合わせて、廊下に飛び出した。
保健室の前に人だかりができていた。
「43キロから42キロに落とそうとして、3日間何も食べなかったらしい」
「魔力を上げたかったんだって」
「でも、逆に魔力が暴走して……」
ストレッチャーで運ばれていく少女。青い制服が、生気を失った顔に張り付いていた。
「これが、この学園の現実」
名倉先生が重い声で言った。
人だかりの中に、ルカがいた。生徒会副会長。完璧な青い制服。
でも、その顔は青ざめていた。
「また、犠牲者が……」
小さくつぶやく声が聞こえた。
その日の昼休み、異変が起きた。
教室のあちこちで、生徒たちがひそひそ話をしている。
「ねえ、聞いた? 涙の味のゼリーの話」
「カロリーゼロなのに、満足できるんだって」
「誰が作ったの?」
「灰色の制服の子と、青い制服の子が一緒に……」
噂は瞬く間に広がった。
そして——
「太ってるって、そんなに悪いこと?」
誰かが、そうつぶやいた。
その一言が、堰を切ったように他の声を呼んだ。
「私、もう疲れた」
「毎日体重計に乗るの、怖い」
「お腹すいた……」
今まで誰も口にしなかった本音が、あちこちから漏れ始めた。
革命の兆し。
それは、涙の味から始まった。
放課後、生徒会室。
「コウメ」
ルカが冷たい声で呼んだ。
「あなた、灰色の制服の子と何をしているの?」
「何って……」
「今朝の騒ぎ、あなたたちが原因でしょう」
ルカの目が、鋭く光る。
「秩序を乱すつもり?」
「秩序?」
コウメが初めて、ルカに反論した。
「人が倒れていく秩序に、何の意味があるの?」
「あなた、変わったわね」
「変わったよ」
コウメは胸を張った。
「もう、甘いものを敵にしない。自分も敵にしない」
その時、コウメの制服に変化が起きた。
青から、緑へ。
体重は変わっていない。でも、色が変わった。
「どうして!?」
ルカが驚く。
「心が変わったから」
ミナの声がした。いつの間にか、生徒会室に入ってきていた。
「この学園のシステムは、恐怖で成り立ってる。でも、恐怖を手放したら?」
コウメの緑の制服が、夕日を受けて輝いていた。
青より、ずっと美しく見えた。
「私、もう青じゃなくていい」
コウメが宣言した。
「涙の数だけ、強くなれる。そう信じてる」
その夜、地下フードマーケットに異変が起きた。
客が来ない。
青い制服の生徒たちが、甘い罠を避け始めたのだ。
代わりに、調理実習室に集まり始めた。
涙の味のゼリーを、みんなで作るために。
革命は、静かに進行していた。
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