8

 ……紗百合はゆっくりと目を開いた。どこも痛くない。少しばかり身動きすると、怜も我に返ったようで、仮面の奥で目を瞬く。


 二人は恐る恐る敵方へ視線を転じて、息を呑んだ。


 そこには、かつて居丈高に立ちはだかっていた道鷹が、哀れにも倒れていた。いや、倒れていたというよりは、無数の弾を撃ち込まれたために殆ど肉塊と化していた。よく「蜂の巣」などと表現されるが、いざ実物を目の当たりにすると、もっと生臭い、醜悪なものに感じられた。……紗百合はあまりの惨たらしさに耐えかねて、怜の胸に顔を埋めてそちらを見まいとした。


「紗百合、紗百合! ああよかった、撃たれたのはお前じゃなかったんだな」


 今更のように玄関の内から父の邦明が飛び出してくる。――本当は娘の危機の前に身を投げ出したがったのだが、一緒にいた警官に羽交い締めにされて身動きできなかったのだった。その証拠に、押さえつけられていた口元に赤い痕が残っていた。


「紗百合、本当にお前は心配をかける奴だ。と同時に、本当に立派な娘だよ。……お前のおかげで、央間氏の証言をこれだけ書き留められたんだよ、ほら」

「そう」


 父の手帳の文字をぼんやりと見る紗百合。その間に、邦明は怜の手を取りぶんぶんと振っていた。


「ええと、怜君だったっけね、娘を命がけで守ってくれて、本当にありがとう。君がいればこそ娘も意思を保ち得た。感謝してもしきれないが、いずれ改めて礼をしよう」

「とんでもございません、東風様……」


 やがて、銃声を聞きつけてきた人々――露路、瑶子、日出海、それから幾人もの警官達――がどやどやと玄関先に集まってきた。彼らは、央間道鷹の変わり果てた姿に愕然とし、同時にそれによって、闘いが終わったことを知ったのだった。


 ふと、未だ規律正しく居並んだ私兵の中からひとりが進み出たのが人々の目に映じた。彼は張り詰めた雰囲気の中、臆さずに歩み寄ってくる。そして、紗百合の方へまっすぐに向き直り、丁寧な敬礼をした。


「驚かせてしまい、申し訳ございません。実は我々は、初めからあの男を撃つつもりで、従うふりをしてここまで参りました」


 呆気に取られて、目を丸くしているばかりの彼女に、私兵の男は淡々とそう説明する。


「というのも私は、あの大劇場の崩落で妹家族を亡くしたのです。妹と、義弟と、甥とを」

「甥……?」

「ええ。あなたが、私の甥を大層憐れんで下さったと、人伝に聞きました」


 大劇場の跡地、瓦礫の中から引っ張り上げた、天使のような坊や――その面影が、目の前の軍服の男に少しだが重なって見えた。


「ああ、あの子の伯父さんでしたの」

「ええ。……お会いできまして、光栄です。礼を申します」


 彼は帽子を取り、深々と、頭を下げた。長いこと、そうして面を伏せた後、懐から厚い封筒を取り出し、紗百合に託した。


「央間の邸内の見取り図や、重要書類の隠し場所などがみな含まれています。捜査の際に役立ちましょう」


 それだけ告げて、彼は残りの兵を従え、かつての主の骸とともにそこを去っていった。銃を携えた彼らの後ろ姿はどこまでも清々しい。心のわだかまりを全て捨て去ったからだろう。


 一方、央間氏に関する書類を抱えた紗百合は、言葉もなく、ただ紅唇をぽかんと半開きにして立ち尽くしていた。目まぐるしいほどの熱情の渦と驚愕とに翻弄されて、すっかり放心したようになってしまったのだ。傍らの怜が支えていなければ、そのまま地面にくずおれていたかもしれない。

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