3
紗百合の住む央間村は、隣り合った他の土地と同様に、代々の地主一家の勢力範囲にある。五年前に当主となった央間道鷹は、まだ三十路を越えたくらいながら、かなりのやり手で知られていた。
央間村は、以前はありふれた一農村に過ぎなかった。それを、彼はとびきりモダンな都市に作り替えようと計画し、実際に推し進めたのである。道幅を広げ、通りの商店や家々は当世風の和洋折衷様式に建て替えさせ、あちこちに街灯を設置し……。中心街が華やかに生まれ変わっていく様を目の当たりにして、当初は馬鹿にしていた人々も、次第にその完成を楽しみにするようになっていった。
そして、つい一年ほど前。村の中心街は、どこにも見られないほど、明るい、洗練された都会へと変貌したのだ。この大胆な事業を成功させた道鷹は、一躍内外で有名になった。――彼は、(少なくとも傍目には)謙虚に振る舞い、あるひとりの協力者なしでは何ひとつ前に進められなかった、とことごとに口にした。その協力者こそ、東風邦明、即ち紗百合の父である。
邦明と彼の部下達は、道鷹の壮大な計画に、堅実に取り組んだ。そうしてひとつひとつの建造物を、細部にわたるまで丹念に作り上げたのである。その仕事ぶりは大いに道鷹の気に入り、邦明達は直接にお褒めの言葉を頂戴した。殊に、仕事の指揮をした邦明は、村でも随一の名士として上流階級にもその名が知れ渡るようになった。道鷹と個人的に友情を結んでいるのだなどという噂すら流れるほど、彼の出世ぶりは目覚ましいものだった。
さて、彼には評判の美しい娘がいた。――細かく波打つ、赤茶けた髪を無造作にくるくるとまとめ、煌めく宝玉を飾っているのは、何かデカダンな美しさ、勢いを感じさせる。クリームのように滑らかな肌は、血色がよくなると桜色に色づく。焦茶色の瞳は、何か面白いことがないかと常に忙しく動いて、無邪気さや抜け目なさといったものを同時に感じさせる。しかし何より、紅唇の魅力だ……ぽってりと厚く、接吻を待つごとくすぼめられて見える、真紅の果物か花弁のように瑞々しい唇! 数多の人間が、この唇に接吻されたいと夢見て、「紅唇の君」の称号を贈ったのである。――道鷹は、この娘、紗百合にすっかりのぼせ上がってしまった。
欲しいものはどんな手を使っても手に入れろ。それが央間家の教訓(?)である。道鷹も忠実にそれに従い、紗百合を妻にしようとあらゆる手を使った。執拗な贈物攻撃。名文家や名音楽家を動員しての恋文、恋歌作り。果ては父の邦明を懐柔させて内々の約束を取りつけようとさえした。人々が、邦明の大出世の陰には娘を巡っての駆け引きがあるのではないかと噂しても、道鷹はお構いなしにあの手この手を繰り出した。
「紗百合や、また当主閣下からラヴ・レターだよ」
「ちぇっ、またかア」
「アハハハ……」「エヘヘヘ……」
しかしながら、この父娘の軽口にも明らかなように、道鷹の思い通りには全く運んでいなかった。邦明は、娘の気持ちが一番だとの逃げ口上を使い、紗百合は、権力者の妻の座は窮屈だの、庶民の自分とは釣り合わない身分だのと様々な理由を使いまわして、のらりくらりと誘いをかわし続けている。
「今度はどんなことが書いてあるんだい。毎度毎度、違った文句を並べてくるからね、大いに参考になるよ」
「そうね、パパだって今では立派に恋文のひとつくらい書けそうなものね。よくできたお手本が沢山あるんだから」
「お前は書かないのかい。央間氏じゃなくても、誰かいい人にさ」
「私は貰う専門よ。……ええと、どれどれ。今日もひねもす君が美しきを思い浮かべつつ、紅き花薔薇に口づけており……うわ、気持ち悪っ。要点だけを簡潔に書けってんだ」
「ワッハッハッハ、で、要点とやらがあるのかな。全部が全部その調子じゃないのかい」
「えっと……あったわよ。要するに、今度一緒に、富貴家の邸で開かれるパーティーに出てほしいっての」
富貴と聞いて、父の顔からサッと笑みが消える。
「お前、その手紙を見せてみなさい」
紗百合は素直に恋文を手渡した。父は暫し、難しい顔をしてじっと見入っていたが、やがて太い溜息を吐いた。
「まあ、あの人がついておれば大丈夫だろう。……前に話したっけね。富貴村は今、急速に治安が悪化しているんだ。上流階級の人物や権力者が次々と告発されて、ろくな裁判もないまま刑に処せられるという。その処刑方法というのが頗る野蛮な代物で、大衆の前で火あぶりにするんだとか」
「まあ、酷い!」
「これはまだ噂の域を出ないが、富貴家の心証を損ねた者が片端からやられているそうだ……」
再び恋文を受け取る紗百合の手は、少し震えている。内心の動揺を抑え込みつつ、もう一度内容をよく読み下してみる。
――道鷹はかねてから、富貴家と付き合いがある。時々は挨拶がてら双方の邸を行き来しているような間柄である。今回は是非、紗百合も連れていき以降懇意になってもらいたいと思っている。「紅唇の君」の評判は富貴村でも相当なものであり、富貴家の名誉のためにも、モダン御意見番として出向いてもらえれば大いに喜ばれるだろう。云々……。
「やっぱり行かなきゃだめみたい。ここで断ってご機嫌を損ねて、火あぶりにされるなんて、私嫌よ」
「そうか。だが気をつけるんだぞ。お前はハネッ返りだから、うっかり啖呵でも切ろうものなら危ないことになるな」
「脅かさないでよ、パパったら」
そんなわけで、気乗りしないながら、紗百合は富貴邸のパーティーに赴くことになった。
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