原田

「……言いにくいけど、ここまで来てるってことは、もう言うしかないな。」


カムランは低く息を吐き、背もたれに体を預けた。


「このプロジェクト、“名目上のリーダー”が三人いる。」


「知ってる。A室長、Bディレクター、あとC本部長な。」


「いや、その“上”がいる。」


燈麻の指が、マグカップの取っ手を無意識に強く握った。


「非公式のラインってことか?」


「うん。Slackにも出てこない。メールにも、名前がない。けど、タスクの優先順位が唐突に変わるとき、同じ一人の名前が、何人もの口から同じトーンで出る。」


「誰?」


「まだ裏は取れてない。ただ、みんな“あの人が言ってるなら”って、無意識に引き下がるんだ。」


沈黙。


オフィスの空調音が、やけに大きく響いた。


「で、その誰かが、このプロジェクトに何をさせたいわけ?」


「それもまだ見えてこない。ただ、共通してるのは——“完了させない”こと。」


燈麻は息を止めた。


「完了させない……?」


「仕様が二転三転するのも、レビューが形骸化してるのも、全て“中断と維持”が目的なら説明がつく。要は、プロジェクトの“存在”そのものが、誰かにとって意味がある。」


「リリースじゃなく、プロセスの延命。」


「そう。」


カムランの瞳が、静かに、けれど確かに揺れていた。


「誰も、それを明言しない。けどみんな、うすうす気づいてる。」


「で、俺たちはその延命装置ってわけか。」


燈麻の声に、皮肉と苛立ちと、少しだけ諦めが滲んだ。


「……それでも、まだ止めることはできると思う。」


カムランが真っ直ぐに燈麻を見る。その目に、かつて見たことのない切迫感があった。


「ただし、“誰と”動くかを、今、決めないといけない。」



「誰と動くか、か……」


燈麻は繰り返しながら、Slackのスレッドを遡っていく。何かが、引っかかっていた。小さな違和感。見逃していたノイズ。


そのとき、ちょうどエンジニアの一人、加賀谷が近づいてきた。


「お疲れです。あ、カムランさん……お久しぶりですね。」


カムランは微笑みを返す。だがその目は、わずかに細められていた。


「久しぶり、加賀谷くん。まだこのプロジェクト、見捨ててないんだ?」


「まあ……ギリギリですけどね。毎週、辞める夢見てますよ。」


冗談めかした口調だったが、目が笑っていなかった。


「でも、最近、進行ちょっと落ち着いてません?仕様、むしろ整ってきた気がするんですよね。」


「……そうか?」


燈麻の問いに、加賀谷はすぐには答えず、少し間を置いてから首をかしげた。


「少なくとも、俺が担当してる部分では、変な修正とか、減りました。」


「誰がレビューしてる?」


「え?ああ……最近は、原田さんが多いです。」


その名に、カムランの眉がぴくりと動いた。


「原田さん。彼、コード書かなくなって久しいよね?」


「はい、でもなぜか最近、急にレビューの承認権持ち始めてて。」


「Slackの発言数は?」


「めちゃくちゃ少ないです。通知オフにしてんじゃないですかね。」


「それで、いきなりレビューには現れる?」


「ええ……」


加賀谷が去ったあと、カムランが低くつぶやく。


「原田……確か、前のプロジェクトでも、不可解な引き継ぎしてたはずだ。」


「つまり、“あっち側”の人間かもしれない。」


燈麻の脳内に、過去のログと会話がいくつもつながっていく。Slackで唐突に消されたコメント。レビューで流された警告。些細に見えていた振る舞いが、今になって別の意味を帯びはじめる。


「“止める側”と“進めたい側”、もう入り混じってるんだな……このチームの中に。」


「疑い始めたら全員が怪しくなる。けど、誰か一人、本物がいるはず。」


カムランが言った。


「その人物が動く前に、俺たちが先に動かなきゃならない。」

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