《Blue Note Bar》──ブルースの夜明け

ホテルの窓から、淡い光が差し込んでいた。

カーテンの隙間から漏れる朝日は、グラスのバーボンの残りを金色に染めている。

まだ音もない時間。

東京の街が今日の顔を整える前の、静けさだった。


律はベッドの上で、うつ伏せのまま目を閉じていた。

シャワーの音がかすかに聞こえる。

その向こうに、瑠衣の鼻歌が混じっていた。


曲は――

“Try A Little Tenderness”。

オーティス・レディングの、あの温かいスウィートソウル。


「……やけに洒落てんな」

律は、ひとりごとのように呟いた。


やがてバスルームのドアが開き、瑠衣が髪をタオルで拭きながら出てくる。

律と目が合うと、ふっと笑った。


「ちゃんと寝た?」


「たぶん。ちゃんとは、覚えてない」


瑠衣は窓の方へ歩いていき、

薄いカーテンをそっと開ける。


「……もう、帰らなきゃね」


「うん」


短く答えたあと、律はゆっくりと起き上がる。

その背中に、瑠衣の声が届いた。


「これって、やり直すってことでいいの?」


「違うと思う」


律は素直に言った。


「俺は、一度もやめてないし。やり直すんじゃなくて、“続ける”んだと思う」


しばらく沈黙が流れる。

それから、瑠衣が瞳を潤ませ、笑って言った。


「……あんたのそういうとこ、ほんとズルいよね」


──


ドアの前で、ふたりは軽くキスをした。

あの夜のように、熱くも重くもない。

でも、たしかに何かを渡し合うようなキスだった。


「お店、また来る?」


「来る。たぶん、またギター持って」


瑠衣は最後に振り返り、律の名前を呼んだ。


「ねえ……あんたさ」


「ん?」


「やっぱりブルースだよ、根っこまで」


律は笑った。


「でも今朝は、ちょっとだけスウィートソウルだったろ?」


「……ちょっとだけ、ね」


──


彼女の足音が廊下に消えていく。

律はギターを手に取り、ケースを閉じた。


今日もまた、

ブルースのように始まる朝だった。


—完—


お読みくださった皆さま、ありがとうございました。


ここまで辿り着いてくれたあなたも、きっと──ブルースの人。

それでもこの夜が、少しでもスウィートソウルでありますように……。

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《Blue Note Bar》─—半人前ブルースマンの恋 せろり @ceroking2

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