カクヨク

小狸

掌編

 しばしば。


 その感情はやって来る。

 

 否、感情というより、衝動と言った方が、最早もはや適切かもしれない。


 私の中に渦巻く感情が一気にたかぶり、たぎり、そのこと以外考えられなくなる。


 やって来る、と表現したのは、この感情が自分の中からおこったものであると、未だ信じられていないからである。


 どこか別の感情媒体に、私が接続されていて。


 そこから定期的に送信されてきているのではないか、と疑ってしまうくらい。


 この衝動は、く、深い。


 それは、という衝動である。


 執筆衝動――と、一応私は命名している。


 所詮私の稚拙な言葉選びによる何の味気もない造語である。他に適切な語彙があったら、適当に置換していただきたい。


 執筆衝動は、時に私を奮い立たせる。


 書かなければ、とか。


 書きたいな、とか。


 義務とか習慣とか使命とか必然とか。


 もうそういう次元を超越している。


 書く。


 書くのだ。


 キーボードを打鍵し、物語を打つ。


 初めて物語を書いた小学生時代から私の中に沁み込んだ歴史と、今まで書いてきた経験と積み重ね、そして何より、世の中に物語を出力する。


 その結果が、さる小説投稿・閲覧サイトにて、400を超える掌編・中編・長編小説を擱筆かくひつするに至った経緯である。


 まあ、外出中に突如としてその場に座り込んで電子機器を操作し始めるだとか、そういうほどの強制力のあるものではない。


 というか私は、現在病気で、外出を制限されている身である。


 気軽に外に出ることができない鬱憤。

 

 皆と同じように職務に従事できていない焦燥。

 

 そういった小さな感情たちによる影響、というのも勿論もちろんあるだろう。


 皆みたいになれない代わりに、代償行為として、小説を書いているのではないか、という分析も、されたことがあった。


 ただ。


 執筆衝動は、そんな心理学的見地をも、時に凌駕する。


 調子の良い時には、1日に8時間(勿論途中休憩を挟んだ上での、私の最大執筆上限時間である)、執筆に集中している。


 主治医にまで、執筆のし過ぎを注意されたほどであった。


 どうして、なぜ、そこまでするのか。


 それは私にも、もう分からないのである。

 

 今はただ、とにかく、書いていたい。


 書いていなければ、気が済まないのである。


 衝動の滂沱ぼうだの波に身を任せて。


 私は今日も、物語を打鍵する。




(「カクヨク」――了)

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カクヨク 小狸 @segen_gen

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