第30話:沢村賞への確信、熱狂の渦

雄太の圧倒的な存在感は、

もはやリーグ全体を巻き込む、

巨大な熱狂の渦となっていた。

彼の登板日には、

球場は連日、チケットが完売し、

テレビの視聴率も、

過去最高を記録する勢いだった。

「野球界の常識を覆す男」

彼の名は、老若男女、

誰もが知る存在となっていた。


そんな中、沢村賞受賞は、

もはや確実なものと見なされていた。

ニュース速報や、スポーツ番組の特集では、

連日、雄太が沢村賞を受賞した場合の

影響や、その歴史的意義について語られる。

「二刀流での沢村賞は、

プロ野球史上初の快挙」

そんな言葉が、何度も繰り返されるたび、

私の胸は、期待と誇らしさで、

はちきれんばかりになった。

この喜びを、誰かに伝えたい。

そんな衝動に駆られるほどだった。


けれど、喜びの裏側で、

私は少しだけ、不安を感じていた。

沢村賞という最高栄誉が近づくにつれ、

一部の週刊誌やネットニュースで、

不安を煽るような記事が出始めたのだ。

『田中雄太、酷使の限界か?』

『沢村賞獲得も最後のシーズンに?』

彼の体への負担を心配する記事や、

彼の選手生命が危ぶまれるような内容が、

私の心をざわつかせた。

活字が、まるで私を睨みつけているようだ。


雄太は、そんな記事を見るたびに、

いつものように「大丈夫だよ」と笑う。

その笑顔は、私を安心させてくれるけれど、

彼の瞳の奥に、

微かな疲労の色が滲んでいるのを、

私は見逃さなかった。

彼の肩の古傷が、私には常に心配だった。

二刀流という過酷な挑戦は、

確実に彼の体を蝕んでいるのだ。

そう思うと、胸が締め付けられるようだった。

どうか、彼の体が、

これ以上傷つきませんように。

そう、心の中で祈った。


佐々木コーチは、

そんなメディアの報道にも動じることなく、

雄太の体調管理を徹底してくれていた。

彼の緻密な管理と、雄太自身の努力が、

最高のパフォーマンスを維持させている。

佐々木さんが、

「雄太くんは、大丈夫です。

私の目が黒いうちは、絶対に無理はさせません」

そう言ってくれるたびに、

私は心から安堵した。

彼の存在は、私たち二人にとって、

何よりも大きな支えだった。

彼の言葉には、揺るぎない信頼があった。


私もまた、雄太の体を一番に気遣った。

栄養満点の食事を作ることはもちろん、

彼が心からリラックスできる時間を

作ってあげることを何よりも大切にした。

彼が「疲れた」と漏らすことがあれば、

私は黙って、彼の体をマッサージする。

彼の筋肉の張り一つ一つから、

彼の今日の頑張りが、まるで雄弁に語りかけてくるようだった。

その全てを、私の手で癒やす。

それが、私の彼への深い愛情表現だった。


夜、マッサージ中に、雄太がぽつりと呟いた。

「美咲と佐々木さんがいなかったら、

俺は、とっくに潰れてたかもしれない」

彼の言葉に、私の胸は温かくなった。

彼が、どれほど多忙な日々を送っていても、

私との時間が、彼にとっての「唯一の安らぎ」で

あり続けている。

その事実が、私にとって何よりの喜びだった。

彼の腕の中では、世界が、

まるで止まったかのように静かになる。


会社の同僚たちも、

雄太の沢村賞受賞を心から願っていた。

「うちの雄太が、まさか沢村賞とMVPをW受賞するかも!」

「本当に、夢みたいだ!」

彼らは、驚きと誇らしさで沸き立っていた。

社内全体で、雄太の活躍を祝う準備を始めている。

彼の活躍を報じる新聞記事が、

毎日、新しいものに張り替えられていく。

その温かい繋がりが、

私には何よりも心強かった。

彼の奮闘が、

こんなにも多くの人々に希望を与え、

感動の輪を広げている。

その事実に、私は深く胸を揺さぶられた。


沢村賞受賞は、もはや確実なもの。

私は、雄太の活躍を誇りに思い、

二人で築き上げてきた夢の実現を確信した。

彼の隣に、こうして寄り添っていられること。

その尊さが、何よりも私を幸せにした。


夜、雄太が家に帰ってくると、

彼の顔は、疲労の色が濃いけれど、

その瞳は、達成感と充実感で輝いていた。

彼のユニフォームからは、

夏の球場を思わせる、

土と汗の混じった、力強い香りがした。

それは、彼の全身全霊をかけた日々の証。

その香りが、私には何よりも愛おしかった。


私は彼の元へ駆け寄り、

彼の胸に飛び込んだ。

彼の腕が、私を優しく抱きしめる。

陽に焼けた彼の肌から、

じんわりと温もりが伝わってくる。

彼の胸に耳を当てると、

どくん、どくん、と規則正しい鼓動が、

私を深く落ち着かせてくれた。

「雄太、本当にすごいよ……!

きっと、優勝できるよ!」

私の声は、歓喜で震えていた。

彼の肩に顔を埋めると、

彼の力強い鼓動が、

私の耳に心地よく響いてくる。


「美咲、ありがとう。

君がいてくれたからこそだ」

雄太が、私の頭を優しく撫でながら、そう言った。

その言葉一つ一つが、

私の心の奥底に深く染み渡る。

これまでの全ての苦労が、

雪のように溶けていくような、

そんな温かい気持ちになった。

彼が野球を諦めかけた時も、

ただひたすらに隣にいた。

彼が泥にまみれても、

迷わずその手を握りしめた。

そして今、彼がプロの舞台で輝く瞬間も、

一番近くで分かち合える。

この上ない喜びが、私を満たしていた。


彼の夢は、もう彼の夢だけではなかった。

彼の挑戦は、私たち皆の希望に変わっていた。

そして、それは、

私自身の人生を賭けた挑戦でもあったのだ。

この先に何が待っていようと、

私は彼と共に、この道を歩んでいく。

そう、心に誓った。

夜空には、煌々と輝く満月が浮かんでいた。

彼の温かい掌が、私の手をそっと包み込む。

その確かな感触が、私たちの絆の深さを、

何よりも雄弁に物語っていた。

私たちは、固く手を繋ぎ、

次なる高みへと、歩み始めた。

その夢は、今、確実に、

私たちの目の前で、眩しく輝き続けていた。

彼の伝説は、ここから、

沢村賞と、そして優勝という、

さらなる高みへと、深く深く刻まれていくのだ。

その輝きは、夜空の星々をも凌駕するほどだった。

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