第26話:沢村賞への期待、鈴木の視線

雄太の活躍は、

日を追うごとに、その勢いを増していった。

投手としても、打者としても、

彼はリーグを代表する存在となり、

その名は、全国に知れ渡るようになった。

テレビや雑誌では、彼の特集が組まれ、

「二刀流の申し子」「野球の神が与えた才能」

そんな言葉で、彼が称賛される。


そんな中、あるニュース記事を目にしたとき、

私の心臓は、大きく跳ね上がった。

「沢村賞、有力候補に田中雄太の名が浮上」

沢村賞。

投手として最高の栄誉であるその賞が、

彼の次の目標になっていた。

周囲からは、二刀流を続ける限り、

沢村賞は難しいという声も聞こえてきたけれど、

雄太は揺るがなかった。

彼の決意は、誰よりも固い。

その揺るぎない眼差しを見るたびに、

私は、彼ならきっと、

あそこまで行ける、と確信した。


けれど、喜びと同時に、

私の中には、小さな不安も芽生えていた。

沢村賞という、投手にとって最高の栄誉。

それを目指すことは、

彼の体に、これまで以上の負担をかけることになるだろう。

私は、彼の体を一番に気遣った。

無理はしていないか。

あの時のように、また隠してはいないか。

彼の肩の古傷が、私には常に心配だった。

夜、マッサージをする私の手にも、

彼の筋肉の張りは、相変わらず伝わってくる。

その一つ一つから、彼の頑張りが、

私に語りかけてくるようだった。


「ねぇ、雄太。疲れてない?」

私が尋ねると、彼はいつも「大丈夫だよ」と笑う。

その笑顔は、私を安心させてくれるけれど、

時には、強がりにも見えた。

私は、彼の言葉を信じる一方で、

彼の体のサインを見逃さないように、

毎日、注意深く観察した。

彼が、少しでも疲れを見せれば、

私はすぐに、温かい飲み物を用意したり、

いつもより長めにマッサージをしてあげたりした。


佐々木コーチは、

雄太の体調管理を徹底してくれていた。

緻密な登板間隔の調整、

練習メニューの細かな見直し。

彼の体質に合わせた、

オーダーメイドのような管理体制が、

雄太の最高のパフォーマンスを

維持させているのだと、雄太は話していた。

佐々木さんがいてくれるからこそ、

雄太は安心して、二刀流を続けられる。

その事実に、私は心から感謝した。

彼の存在は、私たちにとって、

何よりも大きな支えだった。


鈴木さんも、雄太の活躍に、

驚きと、そして、尊敬の念を抱いているようだった。

テレビのニュースで、雄太の特集が組まれると、

鈴木さんのコメントが紹介されることもあった。

「田中は、本当に底知れない才能を持っている。

あいつの活躍は、俺にとっても刺激になる」

彼の言葉は、以前のような挑発的な響きはなく、

純粋な評価と、敬意が込められているのが分かった。

彼の過去の劣等感は薄れ、

雄太の才能と努力を心から認めている。

そう、私には感じられた。


彼もまた、二軍からの返り咲きという

自身の再起の経験があるからこそ、

雄太の苦労や、その裏にある努力を、

誰よりも深く理解しているのだろう。

彼の視線は、もはやライバルとしての嫉妬ではなく、

同じ高みを目指す者同士の、

深い共鳴に満ちていた。

二人の間には、私には立ち入れない、

けれど、互いを深く理解し合う絆がある。

そう感じた。


会社の同僚たちも、

雄太の活躍に熱狂していた。

「うちの雄太が、まさか沢村賞候補に!」

「本当に、夢みたいだ!」

彼らは、驚きと誇らしさで沸き立っていた。

社内には、雄太の活躍を報じる新聞記事が

何枚も張り出され、

まるで、彼がチームを優勝させたかのような騒ぎだった。

山下先輩も、遠くから私を見て、

小さく頷いてくれる。

彼の不器用な優しさが、

私には何よりも心強かった。


夜、雄太が家に帰ってくると、

彼の顔は、疲労の色が濃いけれど、

その瞳は、達成感と充実感で輝いていた。

彼のユニフォームからは、

土と汗、そして、マウンドの匂いがする。

それが、私には何よりも愛おしかった。


私は彼の元へ駆け寄り、

彼の胸に飛び込んだ。

彼の腕が、私を優しく抱きしめる。

彼の体温が、私に伝わってくる。

彼の心臓の音が、私の耳に心地よく響く。

「雄太、本当にすごいよ……!

沢村賞、きっと行けるよ!」

私の声は、歓喜で震えていた。

彼の肩に顔を埋めると、

彼の力強い鼓動が、

私の耳に直接響いてくる。


「美咲、ありがとう。

お前がいてくれたからだ」

雄太が、私の頭を優しく撫でながら、そう言った。

その言葉一つ一つが、

私の心の奥底に染み渡る。

これまでの全ての苦労が、

報われたような気がした。

彼が野球を諦めかけた時も、

彼の隣にいた。

彼が泥にまみれても、

彼の隣にいた。

そして今、彼がプロの舞台で輝く瞬間も、

彼の隣にいることができた。

私にとって、これ以上の幸せはなかった。


彼の夢は、もう彼の夢だけじゃない。

私と、そして彼の周りの大切な人たちの夢になっていた。

彼の挑戦は、私にとっても、

人生を賭けた挑戦だった。

この先に何が待っていようと、

私は彼と共に、この道を歩んでいく。

そう、心に誓った。

夜空には、満月が煌々と輝いていた。

彼の温かい手のひらが、私の手を握る。

その温かさが、私たちの絆を、

何よりも強く、私に感じさせた。

私たちは、固く手を繋ぎ、

次の目標へと歩み始めた。

アオハルに還る夢。

その夢は、今、確実に、

私たちの目の前で、輝き続けていた。

彼の伝説は、ここから、

沢村賞という、

さらなる高みへと、深く刻まれていくのだ。

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