第23話:緊急登板、マウンドの主役
雄太が野手として一軍に帯同し、
密かに投手としての練習を再開してから、
数週間が過ぎた。
彼は、試合がない日や、移動日を利用して、
佐々木コーチのもとで、
新しい投球フォームを習得するために
ひたすら汗を流していた。
その努力は、着実に実を結び、
彼の投球は、日を追うごとに
球威とキレを取り戻していった。
私は、彼の隣で、
その静かなる進化を間近で感じていた。
彼の野球ノートには、
投手としての練習内容が、
びっしりと書き込まれている。
投球時の体の使い方、
指先の感覚、
リリースポイントの調整。
彼の探求心は、決して尽きることがない。
その全てが、私には、
彼の野球への情熱の証のように思えた。
ある日のことだった。
私は、自宅のテレビで、
雄太が出場している試合を観ていた。
その日は、彼はベンチスタートだった。
試合は、終盤に差し掛かり、
私たちのチームは、リードを許していた。
しかも、ピッチャーが崩れ、
満塁のピンチを迎えている。
私は、テレビの前で、
思わず息をのんだ。
心臓が、ドクドクと激しく脈打つ。
中継の画面が、ブルペンを映し出した。
リリーフピッチャーが、
慌ただしく肩を作っている。
けれど、その中に、雄太の姿はない。
当然だ。彼は野手として登録されているのだから。
私の不安が、徐々に募っていく。
このままでは、負けてしまう。
その時、解説者が、
「どうやら、ピッチャーが足りないようですね。
まさか、野手をマウンドに送るなんてことは……」
と呟いた。
その言葉を聞いて、私の心臓は、
大きく跳ね上がった。
まさか。
中継の画面が、ベンチを映し出す。
監督が、ベンチに座っている雄太の肩を叩き、
何かを指示している。
雄太が、ゆっくりと立ち上がった。
そして、マウンドへ向かって歩き始めた。
私は、テレビの前で、
思わず立ち上がった。
「雄太……!」
私の声は、震えていた。
彼は、マウンドへ向かう階段を、
一歩一歩、ゆっくりと上っていく。
その背中は、大きく、そして頼もしかった。
スタジアムの観客も、
どよめきと、驚きの声に包まれている。
「野手なのに!?」
「二刀流の田中か!?」
そんな声が、スタジアムに響き渡る。
マウンドに立った雄太は、
一度、大きく深呼吸をした。
彼の顔は、静かだったけれど、
その瞳は、強い光を宿していた。
彼の体が、微かに震えているように見えたのは、
緊張からなのか、それとも、
マウンドに立てる喜びからなのか。
私には分からなかった。
審判からボールを受け取ると、
雄太は、ゆっくりと構えた。
その姿は、まるで、
最初から投手だったかのように、
堂々としていた。
彼の肩の古傷。
あの時の痛みが、私には常に心配だった。
けれど、彼の表情には、
一切の迷いも、不安も見えない。
第一球。
雄太が、大きく腕を振った。
「シュッ!」
乾いた風を切る音が、テレビの画面越しにも聞こえる。
放たれたボールは、
唸りを上げて、キャッチャーミットに吸い込まれた。
「ドォン!」
ミットが、重い音を立てる。
ストライク。
解説者が、「速い!重い!」と、
驚きの声を上げた。
私も、テレビの前で、息をのんだ。
ブランクを全く感じさせない、
見事な投球だった。
二球目、三球目と、
雄太は次々とストライクを取り、
相手打者を追い詰める。
彼の投げる球は、まるで生きているかのように、
打者の手元で変化する。
そして、カウント2-2。
雄太が、大きく振りかぶった。
放たれたボールは、
打者のバットが空を切る。
「ストライク!バッターアウト!」
三振。
満塁のピンチを、三振で切り抜けたのだ。
スタジアムは、一瞬の静寂の後、
大歓声に包まれた。
「ウォーッ!」
地鳴りのような歓声が、
テレビの画面越しにも伝わってくる。
観客が総立ちになり、
雄太の名前を叫んでいる。
チームメイトも、ベンチから飛び出して、
雄太の元へ駆け寄っていく。
私は、テレビの前で、
涙が止まらなかった。
雄太が、マウンドで、
輝いている。
その姿は、まるで、
夜空に輝く星のようだった。
彼の活躍は、投打両面で活躍できる可能性を
世に示す、決定的なきっかけとなった。
テレビの解説者も、
「これは、まさに二刀流の復活ですね!」と、
興奮した声で叫んでいる。
私は、彼の姿に感動の涙を流し、
大きな拍手を送った。
会社の同僚たちも、テレビ中継を見て大興奮し、
社内は歓声に包まれていた。
「田中くん、すごい!」
「まさか、ピッチャーで投げるとは!」
「うちの田中が、本当に二刀流だ!」
そんなメッセージが、私のスマホにも殺到する。
みんなの喜びが、私の喜びにもなった。
彼の夢が、多くの人々に勇気を与えている。
その事実が、私には何よりも嬉しかった。
夜、雄太が家に帰ってきた。
彼の顔は、疲労の色が濃いけれど、
その瞳は、達成感と興奮で輝いていた。
彼のユニフォームからは、
土と汗の匂いに混じって、
マウンドの土の匂いがした。
それが、私には何よりも愛おしかった。
私は彼の元へ駆け寄り、
彼の胸に飛び込んだ。
彼の腕が、私を優しく抱きしめる。
彼の体温が、私に伝わってくる。
彼の心臓の音が、私の耳に心地よく響く。
「雄太、本当にすごかったよ……!」
私の声は、まだ震えていた。
彼の肩に顔を埋めると、
彼の力強い鼓動が、
私の耳に直接響いてくる。
「美咲、ありがとう。
お前がいてくれたからだ」
雄太が、私の頭を優しく撫でながら、そう言った。
その言葉一つ一つが、
私の心の奥底に染み渡る。
これまでの全ての苦労が、
報われたような気がした。
彼が野球を諦めかけた時も、
彼の隣にいた。
彼が泥にまみれても、
彼の隣にいた。
そして今、彼がマウンドで輝いた瞬間も、
彼の隣にいることができた。
私にとって、これ以上の幸せはなかった。
彼の夢は、もう彼の夢だけじゃない。
私と、そして彼の周りの大切な人たちの夢になっていた。
彼の挑戦は、私にとっても、
人生を賭けた挑戦だった。
この先に何が待っていようと、
私は彼と共に、この道を歩んでいく。
そう、心に誓った。
夜空には、満月が煌々と輝いていた。
彼の温かい手のひらが、私の手を握る。
その温かさが、私たちの絆を、
何よりも強く、私に感じさせた。
私たちは、固く手を繋ぎ、
新たな未来へ向かって歩き出した。
アオハルに還る夢。
その夢は、今、確実に、
私たちの目の前で、輝き始めていた。
彼が、真の二刀流として、
プロの舞台で輝く日が、もうすぐそこまで来ている。
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