第11話:育成の扉、未来への架け橋

プロテストの結果を待つ日々は、

まるで永遠のように感じられた。

あの、騒がしい報道と、

雄太の記者会見が終わってからというもの、

世間の注目は一気に高まったけれど、

それと同時に、私の中の不安も増していく。

テレビやネットで彼の名前を見るたび、

期待と重圧が、

彼の肩にのしかかっているように感じられた。

雄太は、いつもと変わらず自主練習に励み、

仕事にも真摯に向き合っていたけれど、

その瞳の奥には、やはり、

張り詰めた緊張感が宿っているのが分かった。


私も、彼に心配をかけたくなくて、

「まだかな?」なんて軽々しく聞くことはできなかった。

ただ、彼の隣にいて、

彼が安心して過ごせるように、

温かい食事を作り、マッサージをする。

それが、私の唯一の役割だった。

彼が「ありがとう」と微笑んでくれるたびに、

私の心は満たされた。

彼の体に触れるたびに、

その筋肉の硬さや、僅かな震えから、

彼がどれほどこの結果を

待ち望んでいるかが伝わってきた。


ある日の夕方、雄太から電話があった。

私のスマホが震えた瞬間、

心臓が飛び出しそうになった。

着信画面に表示された「雄太」の文字が、

まるで光を放っているように見えた。

「連絡があったんだ」

彼の声は、緊張と、少しの興奮を含んでいた。

その声だけで、私の中の不安が、

一気に最高潮に達する。

息を吸い込むことすら忘れるほどだった。

「今から、佐々木さんと一緒に、

球団の事務所に行くことになったんだ」

彼の言葉に、私は電話口で息をのんだ。

いよいよ、結果が出る。

私の手のひらには、びっしょりと汗が滲んでいた。

「うん、頑張ってね、雄太」

かろうじて絞り出した声は、ひどく震えていた。

電話を切った後も、私の心臓は

ずっと激しく脈打っていた。

リビングのソファに座り込み、

私はただ、彼からの連絡を待った。

窓の外は、刻一刻と暗闇に包まれていく。

その暗さが、私の不安をさらに募らせた。


数時間後、夜の闇がすっかり町を包んだ頃。

私のスマホが、再び震えた。

雄太からだ。

私は、深呼吸をして、電話に出た。

「美咲、決まったよ……!」

彼の声は、歓喜に震えていた。

その声を聞いた瞬間、私の目から、

熱いものが、ぶわっと溢れ出した。

喜びと、安堵と、そして、

この長い戦いが、ついに報われたという、

胸いっぱいの感情が、私を包み込んだ。


「育成枠だけど、投手と野手の両方で打診されたんだ!」


私は、信じられなかった。

育成枠。それは、プロの選手としての一歩。

しかも、二刀流として。

一度は諦めたはずの夢が、

今、彼の目の前で、現実になろうとしている。

しかも、彼の才能が、投打両面で

最大限に評価された結果だ。

私は、電話口で泣きながら、彼の成功を心から祝った。

喜びと安堵で、足の力が抜けてしまいそうだった。

「おめでとう、雄太……!

本当によかった…!」

私の声は、涙でぐちゃぐちゃだった。

喜びの涙で、視界が歪んだ。


雄太は、この育成枠こそが、

自身の夢を叶えるための「最良の道」だと、

迷いなく告げた。

複数の球団からの打診に、彼は一切迷いを見せなかった。

佐々木さんも、その場で雄太の決断を

支持してくれたと聞いた。

雄太が、自分の夢に対して、

これほどまでに迷いなく、

真っ直ぐに進んでいる。

その事実に、私はまた、胸が熱くなった。

彼の決意に、私もまた未来への希望を強く感じた。


電話を切った後も、私はしばらく、

その場で泣き続けていた。

喜びと、安堵と、そして、

彼を支え続けることができたという、

達成感のようなものが、

私の心をいっぱいに満たしていた。

彼のユニフォームを抱きしめる。

土と汗の匂いに混じって、

彼の夢の匂いがした。

それが、私にとって何よりも、

温かく、そして、誇らしい香りだった。


翌日、会社に出勤すると、

同僚たちが拍手で私を迎えてくれた。

「美咲ちゃん、おめでとう!」

「田中くん、やったね!」

彼らは、まるで自分のことのように喜んでくれた。

会社の掲示板には、雄太のプロ入りを報じる

新聞記事が大きく張り出されていた。

「うちの星だ!」

そんな見出しが、誇らしげに掲げられている。

山下先輩も、遠くから私を見て、

小さく頷いてくれた。

彼の不器用な優しさに、

私はまた胸を熱くした。

みんなの温かい祝福が、

私の心にじんわりと染み渡る。


夜、雄太と二人で、ささやかなお祝いをした。

普段は飲まないお酒を、少しだけ。

グラスを傾け、カチンと音を立てる。

彼の目の輝きが、いつにも増して眩しい。

「美咲がいなかったら、

俺はここまで来られなかった」

雄太が、私の手を握り、そう言った。

彼の言葉に、私の胸は温かくなる。

「そんなことないよ。

雄太が頑張ったからだよ」

私は、彼の指先に、自分の指を絡ませた。


「でも、育成枠って、

これからもっと大変になるんだろ?」

私の口から、ふと不安の声が漏れた。

育成選手は、支配下登録されなければ、

シーズン途中で解雇されることもある。

それは、雄太が日々直面する現実になる。

彼を支える覚悟はできているけれど、

その重みを、私は感じ始めていた。

私の言葉に、彼の表情が少しだけ曇る。

私の不安が、彼に伝わってしまっただろうか。


雄太は、私の不安を察したように、

優しく私の頭を撫でてくれた。

「大丈夫だよ、美咲。

俺はもう、何も隠さない。

美咲が隣にいてくれる限り、

俺はどんな困難も乗り越えられる」

彼の言葉は、静かだったけれど、力強かった。

その強さに、私はまた、涙がこみ上げてくるのを感じた。

彼の手を握り返すと、その手のひらから、

彼の決意が伝わってくるようだった。

この温かさがあれば、どんな困難も乗り越えられる。

そう、私は確信した。

彼の腕が、私をそっと抱き寄せる。

彼の肩に顔を埋めると、

彼の体温が、私に彼の全てを伝えてくれた。

彼の心臓の音が、私の耳に心地よく響く。


彼が選んだ道は、華やかな一軍とは異なる二軍グラウンド。

けれど、私にはそれが希望の場所に見えた。

まだ何もない場所で、雄太がこれから夢を育んでいく。

その隣に私がいる。

その事実が、私を奮い立たせた。

私は彼の隣で、彼の夢を信じ続ける。

それが、彼の隣にいる私の使命だと思った。


「ここから、また二人で最高の物語を作ろうね」

私がそっと呟いた言葉に、雄太は深く頷いた。

彼の目には、未来への希望が満ちていた。

彼の夢は、もう彼の夢だけじゃない。

私と、そして彼の周りの大切な人たちの夢になっていた。

彼の挑戦は、私にとっても、

人生を賭けた挑戦だった。

この先に何が待っていようと、

私は彼と共に、この道を歩んでいく。

そう、心に誓った。

夜空には、満月が煌々と輝いていた。

まるで、私たち二人を祝福してくれているかのようだった。

彼の温かい手のひらが、私の手を握る。

その温かさが、私たちの絆を、

何よりも強く、私に感じさせた。

私たちは、固く手を繋ぎ、

新しい未来へ向かって歩き出した。

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