第5話:師の確信、成長の予感
プロテストまで、残りわずか。
雄太の練習は、日を追うごとに密度を増していった。
佐々木さんの指導のもと、彼の体はまるで
別人になったかのようだった。
しなやかな筋肉がつき、
以前よりもさらに研ぎ澄まされている。
早朝のランニングから始まり、
佐々木さんが持つバットから放たれる
ノックを必死に追いかける。
守備練習では、地面を這うような低い打球も、
まるで吸い付くようにキャッチしていた。
そして、マウンドでは、以前にも増して
唸りを上げる剛速球を投げる。
球速も、コントロールも、打撃力も、
高校時代をはるかに凌駕しているように見えた。
彼はまるで、野球のために生まれてきたような人だ、
と改めて感じた。
そのひたむきな姿を見るたびに、
私の胸は、誇らしさと、そして
少しの寂しさでいっぱいになった。
彼の夢が大きくなるほど、
彼の世界も広がっていく。
その中で、私自身が彼にとって
どのような存在であり続けられるのか。
そんな不安が、小さな影のように
心の片隅に落ちる。
私の役割は、彼が最高の状態で
プロテストに臨めるよう、心身のケアをすることだった。
食事の管理はもちろん、精神的なサポートも欠かさなかった。
朝食には、彼の体を考えた高タンパクなメニュー。
夕食は、疲労回復を促す温かいスープを添える。
彼が「美味しい」と笑ってくれるたび、
私の心も満たされていく。
夜、疲れた雄太の腕をマッサージしながら、
私は彼の筋肉の張りを一つ一つ確かめる。
彼の体は、今日の練習でどれだけの負荷を
背負ったのだろう。
硬く張った腕や足の筋肉。
その全てが、彼の努力の結晶だ。
「美咲の手、魔法みたいだな」
雄太が、目を閉じたまま、ぽつりと呟いた。
彼の指先が、私の手の甲にそっと触れる。
その温もりが、私を包み込む。
その瞬間、私の不安は、一瞬にして消え去った。
私がここにいる意味。
彼が、私を必要としてくれている。
それだけで、私は十分だった。
「美咲、本当にありがとうな」
マッサージ中に、雄太がぽつりと呟いた。
彼の声は、疲れているけれど、どこか満ち足りていた。
その言葉に、私の心は満たされた。
彼の夢を支えることが、私の生きがいになっていた。
ある日の夕食時、雄太が私に話しかけてきた。
彼の顔は、いつも以上に真剣な表情をしていた。
「佐々木さんがな、プロテストの日に、
スカウトの知り合いを何人か呼んでくれるらしいんだ」
彼の言葉に、私はドキリとした。
それは、彼の実力が認められている証拠。
佐々木さんが、それだけ雄太に可能性を感じている、
ということ。
けれど、それと同時に、彼にかかるプレッシャーも
尋常ではないだろう。
プロのスカウトたちの前で、
最高のパフォーマンスを見せなければならない。
彼の肩の古傷。
その傷が、また彼の体を蝕むのではないか。
そんな恐怖が、私の心をよぎる。
私は、雄太の夢が叶うことを、心から願っていた。
しかし、もし、万が一、彼の夢がまた叶わなかったら……。
そんな不安が、時折、私の心をよぎる。
私なんかで、彼の重荷になっていないだろうか。
彼の邪魔をしていないだろうか。
そんな自己卑下にも似た感情が、
私の胸を締め付ける。
でも、彼の真っ直ぐな瞳を見るたびに、
私はその不安を振り払う。
大丈夫。彼なら、きっとできる。
私には、そう確信できるだけの
雄太の努力を知っていたから。
そして、彼の隣には、私がいる。
私が、彼を支え続ける。
それが、私の使命だと思った。
プロテストの日が、刻一刻と近づいてくる。
雄太は、最後の調整に入っていた。
私は、彼のコンディションが最高潮になるよう、
食事のメニューや、マッサージの時間を
さらに細かく調整した。
彼の口から「疲れた」という言葉が
出ることは、ほとんどない。
けれど、彼の体の小さなサインを見逃さないように、
私は毎日、彼の様子を注意深く観察した。
ある日の練習後、雄太が佐々木さんと話しているのが
聞こえた。
「最近、美咲さんの料理のおかげで、
体がすごく軽いんです」
雄太の言葉に、佐々木さんが「そうか」と
嬉しそうに頷いている。
私の存在が、少しでも彼の力になっている。
その事実が、私には何よりも嬉しかった。
佐々木さんは、雄太の体質や特性を完璧に理解し、
無理なく最大の効果を引き出す指導をしていた。
その姿を見て、私は心から感謝した。
この人がいてくれるから、雄太は安心して
自分の夢を追いかけられる。
彼の存在が、私たちにとって、
どれほど心強いか。
夜、雄太が寝息を立てて眠っている間も、
私は彼の野球ノートをそっと開いた。
びっしりと書き込まれた文字。
練習内容、体の状態、技術的な課題、
そして、未来への目標。
その文字の一つ一つから、彼の野球への情熱と、
成功への強い意志が伝わってくる。
読み進めるうちに、彼の苦悩や葛藤も、
私には手に取るように分かった。
何度も壁にぶつかり、それでも立ち上がり、
前を向こうとする彼の姿が、
目に浮かぶようだった。
私はそっと、彼のノートを閉じた。
このノートは、彼の野球人生そのものだ。
彼の夢は、もう彼の夢だけじゃない。
私と、そして彼の周りの大切な人たちの夢になっていた。
彼の挑戦は、私にとっても、
人生を賭けた挑戦だった。
この先に何が待っていようと、
私は彼と共に、この道を歩んでいく。
そう、心に誓った。
雄太の温かい寝息が、私の心を包み込む。
この穏やかな時間が、ずっと続けばいいのに。
そう願いながら、私は彼の隣で、静かに目を閉じた。
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