第4話:不器用な応援歌、広がる波紋

雄太の再挑戦の噂は、

メディアにも広がり始めていた。

「元『二刀流の怪物』社会人で再挑戦か!?」

そんな見出しのスポーツ新聞を、

コンビニで偶然見つけて、私は心臓が跳ね上がった。


レジに並ぶ人の列を気にしながら、

私はその新聞を手に取った。

モノクロの小さな記事だったけれど、

そこに写っている雄太の顔は、

高校時代よりもずっと大人びて、

けれど、あの頃と同じくらい輝いていた。

彼の存在が、着実に世間に知られ始めている証拠だった。


私は、彼の隣で、彼の夢が大きくなっていくのを

感じていた。

それは喜ばしいことだった。

けれど、同時に、大きな不安も

私の中に芽生え始めていた。


世間の期待が高まれば高まるほど、

彼にかかるプレッシャーも尋常ではないだろう。

もし、また挫折してしまったら……?

彼の肩の古傷が、また彼の体を蝕むのではないか。

あの時の絶望を、もう一度味わうことになるのか。

そんな恐怖が、時折、私の心をよぎる。


それでも、私はその不安を振り払う。

大丈夫。彼なら、きっとできる。

私には、そう確信できるだけの

雄太の努力を知っていたから。


不安を抱えながらも、私は変わらず雄太を支え続けた。

夜、自主練習から帰ってきた雄太のために、

私は温かい食事を用意した。

疲労で少しだけ眉間にシワが寄る彼の顔を見るたび、

胸が締め付けられるけれど、

私の作った料理を美味しそうに食べる彼の笑顔を見ると、

疲れも吹き飛んだ。


食事が終わると、私は彼の肩や腕をマッサージしてあげる。

硬く張った筋肉に、そっと指を滑らせる。

「ちょっと痛い?」

私が尋ねると、彼はいつも「大丈夫」と笑う。

その言葉の裏にある、彼の我慢強さを私は知っている。

彼の体から伝わる熱が、

彼の命の鼓動が、私に彼の全てを教えてくれるようだった。


ある日のこと。

会社の給湯室で、山下先輩がコーヒーを淹れていると、

別の同僚が話しかけてくるのが聞こえた。

「山下さん、田中、なんか最近、

見違えるように顔つきが変わりましたね。

やっぱ、根性あるな。」


山下先輩はカップを受け取りながら、

フッと小さく笑った。

「ああ。ったく、心配させやがってな。」

そして、まるで独り言のように、

しかし確かな声で呟いた。

「…まぁ、お前が活躍したときのために、

いつでも帰ってこれるように、

あのデスクは開けてあるんだがな。

話の種にもなるし。」


同僚は一瞬、きょとんとするが、

山下先輩のどこか満足げな背中を見て、

その言葉の裏にある不器用な優しさ、

そして雄太への密かな期待を察したようだった。

私はその会話を耳にして、胸が温かくなった。

雄太は、こんなにも多くの人たちに、

不器用だけど、応援されているんだと。

彼の努力は、確実に周りを変えている。


そんな温かい気持ちになった一方で、

私は少しだけ、複雑な思いも抱いていた。

彼の才能を認めつつも、どこか距離を置いていた

山下先輩でさえ、彼の変化に気づき、

不器用ながらもエールを送っている。


でも、この盛り上がりが、もし彼の夢が

叶わなかった時に、彼をより深く傷つける

ことにならないだろうか。

そんな不安が、胸の奥に小さく広がる。

私はただ、彼の成功だけを願うばかりだった。


そんな中、私は高校時代のライバル、

鈴木さんのことを思い出した。

彼も今、プロ野球のスカウトをしていると聞いた。

雄太の再挑戦の噂は、彼の耳にも届いているのだろうか。


鈴木さんは、雄太とは全く違うタイプだった。

雄太が天才肌なら、鈴木さんは努力の塊。

高校時代も、二人は常に高め合ってきた。

でも、どこか鈴木さんの方が、雄太に

複雑な感情を抱いているように見えた。


「きっと、雄太には敵わない」

そんな劣等感が、彼の瞳に滲んでいるように、

私には感じられたことがあった。

だからこそ、彼が今、プロのスカウトとして

雄太の活躍を知ったら、どう思うのだろう。


もしかしたら、また雄太の足を引っ張ろうと

するのではないか。

そんな嫌な予感が、私の心をよぎった。

一度は諦めたはずの夢を、もう一度追いかける。

その過程で、彼が再び傷つくようなことは、

絶対に避けたい。

その思いが、私の中で強くなる。


私は、密かに鈴木さんの動向を気にし始めた。

ニュースや野球雑誌で彼の名前を見つけると、

思わず立ち止まってしまう。

彼が雄太に、どんな影響を与えるのか。

心配で、夜眠れない日もあった。

彼が雄太に対して、どんな言葉をかけるのか。

どんな行動を起こすのか。

それが、私の胸の奥に、常に小さな不安の種を

蒔き続けていた。


雄太は、そんな私の不安には気づかない。

いや、気づかないふりをしているのかもしれない。

彼はただ、ひたすらに野球に打ち込んでいた。

彼の眩しいほどの情熱が、

私を照らし、私の不安を掻き消してくれる。


「ねぇ、雄太。今日、マッサージ、長めにしてあげるね」

私が言うと、彼は「おお、助かる!」と嬉しそうに笑った。

その笑顔を見るたびに、私は彼の夢を

全力で支えようと、改めて心に誓う。

たとえ、どんな困難が待ち受けていようとも。


彼の夢は、もう彼の夢だけじゃない。

私と、そして彼の周りの大切な人たちの夢になっていた。

彼の挑戦は、私にとっても、

人生を賭けた挑戦だった。

この先に何が待っていようと、

私は彼と共に、この道を歩んでいく。

そう、心に誓った。


冬の足音が近づき、朝晩の冷え込みが増す中で、

雄太の練習はさらに熱を帯びていった。

公園のベンチに座る私の手は冷えるけれど、

彼の放つ熱気が、私を温めてくれるようだった。

彼の汗が、湯気になって空に舞い上がる。

その一つ一つが、彼の努力の証だった。


私は、彼の隣で、彼の夢が大きくなっていくのを

感じていた。

その喜びは、何にも代えがたいものだった。

そして、その喜びが大きければ大きいほど、

私の中の不安も、また大きくなっていくのを感じる。

それでも、私はこの道のりを、

彼と共に歩むことを選ぶ。

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