拝啓、幸福な私へ
夢望-むぼう-
拝啓、幸福な私へ
如何お過ごしでしょうか?
なんて、幸福な私と言っているくらいなのだから、きっと毎日幸せに過ごしているのでしょう。
私が望んだ私。
私が望んだ世界で生きることができた私。
苦しい環境なんてひとつもなくて、ただただ幸せな毎日。
嫌なこともなくて、つらいこともなくて、悲しいこともない。幸福な世界に生きている私。
私が望んだ私のことを見て、いつも疑問に思うのです。
なぜ、そっちの世界の私はいつも退屈そうなのでしょうか?
なぜ、あなたは笑ってはくれないのでしょうか?
あなたは私が望んだ、幸福な世界で過ごしているはずなのに、なぜ幸せそうにしてくれないのですか?
そう思って、あなたの様子を見るのです。
そして気づいたのです。
きっと、苦痛のない日々は安定しすぎたのでしょう。
毎日に抑揚がなく、ただ平凡と化した幸福に浸かる。
それはさぞ退屈な世界でしょう。
しかし、苦痛がない日々こそが幸福だと考えた私には、どうにも理解できないのです。
どうして、人は幸福が当たり前になると、退屈だと感じてしまうのでしょう?
幸福が当たり前になることこそ、幸福そのものだというのに、当たり前になってしまうとその先を求めてしまう。
それこそが苦痛と変貌してしまうというのに。
ですが、退屈は大きな苦痛になりうるのです。
では、永遠の幸福とは不可能なのでしょうか?
私が望んだその世界は、あなたに苦痛を強いているのでしょうか?
永遠の幸福を望みました。
私は苦痛に耐えかねたのです。
しかし、その永遠の幸福が私を苦しめるのなら、私はどうすれば幸福になれるのでしょう?
幸福なあなたに、幸福な私にぜひとも教えていただきたい。
__あなたはどうすれば幸福になりますか?
―――――――――――――――――――――――
なんて尋ねたところで、あなたからの返答はわかりきっていました。
「もう知っているでしょう?」
抑揚がなければ、幸福は幸福として作用しないのです。
そう、苦痛は幸福のために必要不可欠だったのです。
しかし、過度な苦痛は幸福を薄めてしまいます。
ほどよい苦痛と、ほどよい幸福。
その絶妙なバランスが、最大の幸福であり、永遠の幸福となるのでしょう。
そうなってしまえば、あなたは幸福な私ではなく、不幸な私となってしまう。
ということは、あなたからした私が、幸福な私なのでしょう。
安定した幸福に耐えかねて、苦痛を望んだあなた。
不安定な苦痛に耐えかねて、幸福を望んだ私。
どちらもないものねだりだったのです。
随分と理不尽で悲しいお話ですが、これが幸福という不安定な存在のあり方です。
それでは改めて…
拝啓、不幸な私へ
________________幸福な私より
拝啓、幸福な私へ 夢望-むぼう- @7kamado
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