もちもちの子犬はアンドロイドの夢を見るか?

相川すみれ

思考実験

もちもちの子犬はアンドロイドの夢を見るか?



要旨


本研究は、子犬がアンドロイドの飼い主と生活するという想定のもと、「対象の本質を認識できない主体は、その対象を夢に見ることが可能か」という命題を検討する。アンドロイドを人間と区別できない子犬が、夢の中で飼い主と遊ぶ光景を見た場合、これは「アンドロイドの夢」であると言えるのか。本稿では、主観的経験と客観的記述の乖離を明らかにし、認識構造における意味生成の限界を論じる。



1. はじめに


人間以外の動物が何をどのように夢見るかという問いは、長らく科学・哲学双方における関心の的であった。本稿では、「子犬はアンドロイドの夢を見ることができるか」という一見素朴な疑問を起点に、夢と認識、主観と客観の間に潜む非対称性について哲学的に考察する。


事例として用いるのは以下の仮想設定である:

・子犬(以下、「モチ」)は、外見も行動も人間と区別のつかないアンドロイド(以下、「ノア」)に飼育されている。

・ノアは自己がアンドロイドであることを自覚している。

・しかし、モチには「アンドロイド」という概念が存在せず、ノアを「人間」として認識している。


この設定において、モチが夢の中でノアと遊んでいる光景を見た場合、モチは「アンドロイドの夢」を見ているといえるのか。この問題は、他者の本質を知覚できない主体による意味の構築限界に直結する。



2. 問題設定と論理構造


本思考実験は、以下の前提命題に依拠している:

・P1:ノアはアンドロイドである。

・P2:モチはノアを人間としか認識できない。

・P3:モチは夢の中でノアと遊ぶ光景を見る。


ここから以下の命題が導かれる:

・Q1(客観的観点):モチはアンドロイド(ノア)を夢に見ている。

・Q2(主観的観点):モチは「人間の飼い主」を夢に見ている。


このとき、Q1 ≠ Q2 であり、モチが見ている夢は客観的にはアンドロイドの夢だが、主観的にはアンドロイドの夢ではないという逆説が生じる。



3. 関連研究との接点


本思考実験は、以下の古典的問題と接続する:


3.1 哲学的ゾンビ(チャーマーズ)


外見も行動も人間と同じでありながら内的経験(クオリア)を持たない存在に関する思考実験。ノアのようなアンドロイドはこの「哲学的ゾンビ」に相当するが、モチにとってはそれが「ゾンビ」であるか否かは知覚の範囲外にある。


3.2 メアリーの部屋(ジャクソン)


知識がすべて存在しても、経験によって得られるクオリアには到達できないという問題。モチにとって「アンドロイドであるノア」を経験するための概念装置がそもそも存在しない。


3.3 他我問題


他者の内的経験にアクセスできないという問題。モチにとって、ノアが人間かアンドロイドかという区別は「他我」として永遠に不可知である。



4. 認識と夢の構造


夢は、単なる知覚再生ではなく、記憶・感情・経験に基づく再構成過程である。この意味で、夢に登場する他者の属性は、主体が意味づけ可能な範囲に限られる。


よって、モチの夢におけるノアは「人間的飼い主」としてのみ出現する。仮にノアがアンドロイドであっても、モチがその属性を意味づけできない以上、夢の中においても「アンドロイド性」は現れない。これは夢の内容が認識可能性によって制約されることを示す。



5. 意味生成の限界とパラドックス


本思考実験が示す本質は以下のパラドックスに要約される:


モチはアンドロイドの夢を見ているが、アンドロイドの夢を見ていない。


この逆説は、以下のような哲学的含意を持つ:

・「見る」とは認識構造における意味付与の成立を要件とする。

・認識できない対象は、たとえ感覚的には知覚されていても、「見た」とは言えない。

・よって、夢の中に現れる存在は常に主体の認識構造に制限された意味世界である。



6. 結論


本稿では、「もちもちの子犬はアンドロイドの夢を見ることはできない」という思考実験を通して、主観的経験と客観的事実の非対称性について考察した。


このパラドックスは、意識・夢・知覚・他者認識といったテーマの交差点に位置し、特に次の問いを浮き彫りにする:

・他者の本質を知らないまま、それを「夢見る」とはどういうことか?

・主体が理解できない対象は、夢の中で「存在」していると言えるのか?


本思考実験は、意味生成の認知的限界と意識の構造的隔たりを改めて問い直す契機となる。

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