風が吹き、匂いが届く。背中越しの読書会

マボロシ屋

短編

 そこは何の変哲へんてつもない小さな公園。

 休日には親子が和気藹々わきあいあいとした雰囲気の中、ブランコやジャングルジム、ボール遊びをするところ。


 そんな公園の一角いっかくで、ベンチに背中越しに座り、読書をする男女の姿があった。


 お互いに知り合いではない。挨拶もした事はない。けれど、いつも同じ時間にそこへ座り、背中越しに相手の息遣い、本をめくる音を聞く。


 時折、風が吹き、お互いの読書する手が止まる。

 そこにかすかに香る甘い香り。


 男はそのベルガモットの匂いから、彼女の事を「ベル」と密かに呼んでいる。

 女はそのドッグローズの匂いから、彼の事を「ワンちゃん」と密かに呼んでいる。


 親子の楽しげな声が公園に響く中……2人だけが別世界にいるように、その香りが混じり、溶けあい、包み込む。


 ぱらっ、と本をめくる音。

 男はその音に笑みを浮かべ、自分も少ししてページをめくる。

 お互いが一定間隔で、交互にページをめくる音が聞こえる。


 それは、2人の距離だから聞こえる音。

 公園の2人以外には聞こえない。2人にだけ分かる、静かな息遣いと会話。


 会話せずとも、お互いをより深いところで分かりあう感覚を共有する。

 お互いの鼓動を合わせ、ペースを尊重するようにめくられるページ。


 パタリ、と女の本が閉じられる。そして、目を閉じて陽の光を堪能たんのうする。

 少しすると男も、パタリ、と本を閉じる。そして、目を細め陽の光に手をかざす。


 お互いに本を読み終わり、静かに陽に当たる時間がおとずれる。


 そして、女は深呼吸をすると立ち上がる。

 男も深呼吸をして立ち上がる。


 二人は静かに公園を後にする。別々の方向から。

 名前も知らない関係。


 それでも、また会えると確信し……そして、それだけで十分だった。

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風が吹き、匂いが届く。背中越しの読書会 マボロシ屋 @kamishiro168

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