第40話 卒業式後
(松永先生視点)
今日、卒業した彼らは――これから未来へと羽ばたいてゆくのだろう。
もう何回目になるだろうか、この学校で3年生を送り出したのも。
余韻に浸る間もなく、着替えてから職員室に戻る。
年度末の作業を進めていると玄関に誰かが来たらしく、自分が呼ばれる。
「松永先生、梅野奈々美さんのお母さんがいらっしゃっています」
俺が玄関まで行くと、梅野奈々美の母親――先輩がそこにいた。
「松永先生、ありがとうございました」
彼女はそう言って深くお辞儀をする。
「いえ……」
今ぐらいしか、もう彼女と話す機会はないだろうか。
「おかげで奈々美はあそこまで成長しました、それで……」
「あの、少し外で話せませんか」
「え? 大丈夫なの? 松永くん」
「はい、今日はもう」
こうして俺たちは学校から少し離れた喫茶店に向かった。彼女は卒業式の時の服装のままで、パンツスーツがよく似合っている。
あの頃から変わらない凛とした雰囲気、それでいて我が道を貫く先輩の存在は、いつだって俺の憧れだった。
「2名様ですね、こちらへどうぞ」
ウェイターに案内されて一番奥のボックス席に座る。
「コーヒーを2つ」
「かしこまりました」
注文をしてから彼女は早速話し出す。
「松永くん、今まで本当にありがとう。おかげで奈々美はここまで来れた。あの時に松永くんに会えていなければ今頃どうなっていたか」
「いえ……お役に立てて良かったです。今日は奈々美さん、泣いていましたね」
「あの子、感極まるとすぐ涙が出ちゃうのよ」
※※※
入学してすぐに俺は歴史研究部に所属したが、部員も少なく半分は遊びのようなものだった。だけど3年の梅野先輩はいつも真面目に歴史本を読んでいて、入部した時から気になる存在だった。
ある夏の日――
放課後に図書室で勉強している先輩を見つけて勇気を出して声をかけてみた。
「あ、松永くんも勉強?」
「まぁ……そんなところです」
部室には他の人もいるのでなかなか先輩と話せない。
だから今、少しでも一緒に過ごせたらなんて思ってしまった。こうして部活のない放課後には、先輩と図書室で勉強するようになった。
彼女は3年生、大学受験に向けて猛勉強をしている。
「先輩は大学に入って何をするんですか?」
「それは……わからないけど、今はそれしか考えられない。自立はしたい、一人で生活できるように」
彼女に父親はいないと聞いていた。もしかして一緒に住む母親を見てそうなったのだろうか。
「松永くんみたいな人初めてだよ、大学に入って何をするのかって聞くの。先生みたいなこと言うんだね」
先生……?
俺に先生なんて……。
身体が大きいだけで怖いとしか言われなかった自分。そんな俺にでも普通に話してくれる先輩のことがますます気になってくる。
しかし高校1年の自分にはわかっていなかった。そこまでして大学に行きたいということが。
それでも自立したいと言った先輩を尊敬した。
そして“一人で生活できるように”と言われて心が痛んだ。
どうして一人で何でも頑張ろうとするのか。
だけど、俺がいるからと言えるほど――当時の自分は進路のことなど何もわかっていない。
そう……何も言えなかった。
だが今ならわかる。
俺は――
あの夏、恋かもしれない何かと初めて向き合った。
しかし何も行動を起こせずに先輩はそのまま卒業した。俺がいなくたって先輩は自分の力で未来を切り開ける人だったのだ。
俺は彼女から“先生みたい”と言われたことが忘れられず、教師を目指すことになる。
その後、先輩は都会に出て結婚したことを知った。
歴史研究部の同級生と集まった時にそれを聞き、式に出席したという人から彼女の結婚式の写真を見せてもらった。
まるで女神のように美しくて、幸せの絶頂なんだろうと感じた。
そして地元の中学校に勤めて10年ぐらい経った頃。学校を出てすぐの公園で、小さな子どもを連れた彼女と偶然再会したのだった。
先輩の姿はあの頃とは違って顔色も良くなく、何かに苦労していることはすぐにわかった。
「松永くん、奈々美よ。本当に先生になったんだね」
そこで梅野奈々美に――初めて会う。
「先輩、帰って来ていたのですね」
「うん、色々あって……離婚したの。今は実家に住んでる」
驚いた。
てっきり結婚して幸せに暮らしているものだと思っていたのに。
「でも仕事の方は大丈夫。あの時ちゃんと自立できるようにって思ってたから、資格を取っておいたのよ。だからあとは仕事を探して落ち着いたら……奈々美と2人で暮らすつもり。実家の近くにはなりそうだけど」
離婚しても、先輩は先輩のままで……何でも一人でやろうとするのだから。
それができてしまうのが、彼女のすごいところでもあるのだが。
しかし彼女は大きなため息をついて話す。
「奈々美は……もう4歳になるんだけどちょっと他の子に比べたら、成長がゆっくりかもしれない」
彼女の娘、奈々美は人見知り、場所見知りがあり緊張しやすいそうだ。今も先輩にしがみついて離れない。
「先輩、市役所に相談窓口があります。一度行ってみてはいかがでしょうか。この市は最近子育て支援が手厚くなっています」
「そうなの? じゃあ行ってみるわね」
そしてその半年後、同じ公園で再び会った時には先輩は随分元気な姿を見せてくれた。
「松永くんありがとう。私、一人だからって色々焦ってた。市役所の人にたくさん相談できたわ、地元にああいう子育て支援があるなんて知らなかった。ほんとわからないものね。奈々美は不安が少しだけ強いみたい。他の子と比べずに……奈々美と向き合うわ」
「そうですか、良かったです」
先輩を見て安心はしたものの、ふと考えてしまう。
あの時、先輩の卒業前に自分の気持ちを伝えていたなら……何かが変わっていたのだろうか。
いや、そんなことを思ったところで時間は戻らない。
彼女の相手が自分だったらなんて……考えたらいけない。
もう彼女は娘のことで手一杯なのだから。
だから彼に伝えた。
自分と同じように、何も言えなかったであろう彼に。
そして自分と同じ
「大事なことは早めに伝えた方がいいぞ。親にも、先生にも、友人にも――あとは同級生にもな」
竹宮君がこれを聞いて、どうするのかはわからない。
教師として自分が言えることはこのぐらいだが、どこか自分にも言い聞かせるように――俺はそう言っていた。
※※※
「まさか松永くんが奈々美のクラスの副担任になるなんて。見守ってもらえた気分だわ」
コーヒーを飲みながら先輩が話す。
「だけどこれからはあの子も高校生だから、さらにそっと見守る感じかしらね……親の悩みって尽きないな。あ、もう学校に……松永くんに電話したりはしないから。本当に今までありがとう」
確かにそうだ。親というのはいつか幼稚園や学校の“先生”からも卒業しないといけない。また新たな環境で子どもに向き合いながら共に前へ進んでいくのだろう。
だけど――それだともう先輩とは話せなくなる。
「あの……何かあれば相談してください。先輩も奈々美さんも一人で抱えてしまうところがありますので。俺で良かったら……俺で良かったらいつでも……話ぐらいは聞きますから」
俺は教師。彼女は生徒の母親。
これが、精一杯なのだ。
もし彼女が誰かに支えられる日が来るなら――それは俺でなくてもいい。
でもそう思えるのが、少しだけ苦しい。
最後に彼女は優しく笑って言った。
「ありがとう、松永くん」
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