2《君へ》— The End of Beginning

只野緋人/ウツユリン

Chapter 1: Light

In the Beginning, There Was Light (EP. 01)

 ――光は宣言され、帝王は速さの中で自らを証明する――



 彼は、自らをそう呼ぶ。


「俺はライト、雷雲を駆ける紫電ライトニング。あらゆるものは、俺の後ろに続くだけだ」


 最終ラップ。黄昏のヤス・マリーナ・サーキット。

 人類がその手に残した最後の“物理カーレース”、ブレインリンクフォーミュラB-LF1は、その年間チャンピオンを決める最終戦を迎え、高価な現地観戦チケットを手に入れた少数の富める者たちと、数億におよぶファンによるネット観戦者たちの熱狂で埋め尽くされていた。


『マッキール・ザ・グランドチャンピオン』

『雷神に愛された男、ライト・マッキール』

『Only Brain, No Brake』


 彼を称え、揶揄する無数のホロバナー。そのいずれにも、彼のシンボルである一条の紫電を模したエンブレムが電子の揺らぎにざわめいている。

 だが、それらは彼の目に入らない。彼の意識にさえ上らない。

 それは、彼の駆るテスラ・レーシング所属マシン・VT-13の車内に、彼の身体がないからではない。

 一筋の光となり、アスファルトを駆け抜けていく超高速レースカーの車内は、彼と、彼の相棒だけに許された聖域だった。

 意識の片隅で、彼は問いかける。


「M、後続との差は? カーク・リアクターの状態はどうだ?」

『2.7秒。現在のペースを維持すれば、あなたの勝利は確定します。エネルギー残量、17%。リアクターの瞬間放出スタンバイ。いつでも問題ありません』


 脳に直接響く、クリアで、温度のない声。彼だけの相棒の声だ。

 その提案に、彼は鼻で笑った。


「ペースを維持、だと? 冗談だろ、M。俺は光だ。最終ラップでファステストラップを更新する。それが帝王の勝ち方だ。違うか?」

『理解しました。あなたの望みを、最優先します』


 その即答は、絶対的な肯定と同義だった。ゆえに彼は命じる。次世代型循環炉の出力をリミットまで引き上げろ、と。

 途端、遠く離れたドライバールームのポッドに横たわる彼の肉体を、強烈なGのフィードバックが圧迫する。


「っ――」


 チューブの匂い、生命維持装置の低音。

 彼の動かない手足には、時折、ありえないはずの古傷の幻痛が走る。

 それは、かつて彼が全てを失った日の、決して消えない刻印だった。


「――ははっ!」


 だが、マシンと、そして相棒たるフィードバックフィルターインテリジェントアルゴリズム、Mとリンクした瞬間、過去の全ては意味を失う。

 彼の脊椎には、マシン設計限界値の12Gに迫るデータ化された負荷が記録されるが、彼が感じるのは苦痛の対極、喜悦だった。

 コースの全てが、彼の庭だ。

 ブレーキング、アスファルトを削る匂いのデータ、タイヤのたわみがもたらす微細な振動。

 脳神経とマシンを直結する光量子インターフェイスが、彼の意識を肉体の檻から解放する。同時に、Mという最高の情報フィルターを通して、マシンの全てが彼の肉体そのものとなる。


『最終コーナーを目前に控え、テスラ・レーシングの“帝王”ライト・マッキールが後続を引き離し始めている! またしても今宵、伝説が塗り替えられるのか――』

『実況、切りますか?』

「そうしてくれ、M。俺は、君の声だけ聞いていたい」


 耳障りな実況音声を、彼はMに命じて遮断させる。

 返る声は、普段と変わらない無機質で平坦だった。


『了解。ちなみに、あなたの発言は、解釈如何によってアルゴリズム偏愛者とも受け取れますが』

「俺は事実を言っただけだ。君という相棒がいなければ、俺の脳はとうに焼け焦げてる。なら、相棒の声だけ聞いていたいってのは、道理じゃないか」

『ワタシは、単なる動的情報フィルターの完全スタンドアローンパッケージに過ぎません。あなたの真の相棒は、そのマシンです』

「そうか。なら、君も俺と同じ“檻の中の豹”というわけだ」

『あなたのジョークは理解不能です』

「つれないな。まあいい。俺とのリンクは完璧だろうな、M? こいつが切れれば、俺たちは終わりだ。ドライバーライセンス失効で二度と走れなくなる」

『その可能性は、現時点で0.001%以下です』

「ならいい。……もう走れないのは、嫌だ」


 今や火星へとそのサーキットを移した、誇り高きF1。その頂点を極め、そして全てを失った彼にとって、B-LF1での『無敗』は、もはや栄光ではなく、再び無力な肉塊に戻らないための、唯一の存在証明だった。

 レースにいる限り、彼はただのライト・マッキールではなくなる。サーキットを支配する、無敗の帝王だ。


『まもなく最終コーナー』

「ああ。俺はライト。雷雲を駆ける紫電だ」


 見えない瞳に、幾度となく振り下ろされたチェッカーフラッグが映る。

 痺れるような昂揚感と共に、彼は最終ラップのラストコーナーへ、鏃となって突き刺さっていった。

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