ゲル魔術師フライムのダンジョン珍道中

@big-star

ダンジョンはゲルで染まる

第一話:プルプルの日常、奇妙な誘い

 魔術神マギオンの神殿にほど近い、とある魔術師の住居。そこには、今日も奇妙な光景が広がっていた。


 庭に立つ石像は、元は威厳ある魔術神の姿を模したものだったが、今は見るも無残なプルプルの塊と化していた。本来固いはずの石の表面は、まるで巨大なゼリーのように揺れている。


「ふむ……。今日のゲル化は、なかなか美しいな。この光の透過性、そしてこの独特な弾力。まさに芸術の域だ」


 石像の前で腕組みをし、恍惚とした表情でそれを眺めているのは、魔術師フライム。魔術神マギオンが定めた魔術師の階級において、頂点に立つ「十高弟」には名を連ねていないものの、その実力は十一番目の高弟と陰で囁かれる実力者だ。彼の得意とする魔術は、世にも珍しいゲル化魔術。あらゆる物質をゲル状に変質させる、唯一無二の能力である。


 彼がゲル状にしたのは、石像だけではない。食卓に並んだ硬いパンは、フォークで簡単に崩れるほど柔らかいゼリーパンに。書斎の机に積み上がった難解な魔導書は、ページがプルプルと震える閲覧困難な代物と化していた。


 もちろん、周囲の魔術師たちは彼の奇行に辟易していた。


「またゲルにしてるぜ、フライム様……」


 庭を通りかかった若い魔術師が、ひそひそ声で囁いた。だが、誰も彼に文句は言えない。彼のゲル化魔術は、時に強大な魔物を無力化し、時に崩落寸前の建物を一時的に固定するなど、その有用性が証明されてきたからだ。それに、彼が淹れるゲル状の紅茶は、意外と美味いと一部で評判だった。


 その日の午後、いつものように書斎でゲル状魔導書を読んでいたフライムの元に、魔術師仲間のフィリアが駆け込んできた。彼女はいつも、フライムの奇行に振り回される苦労人だ。


「フライム様! 大変です! 神殿から緊急の依頼が入りました!」


 フィリアは、息を切らしながら訴えた。彼女の手に握られた巻物からは、緊急事態を知らせる青い魔力が発せられている。


「緊急? そんなに慌てて、何事だ? まさか、俺の新作ゲル像がお気に召さなかったとか?」


 フライムは、顔色一つ変えずに、ゲル状になった魔導書をペラリとめくった。彼の指が、ゼリーのように波打つページを滑っていく。


「違います! そんな平和な話ではありません! 最近、各地で噂になっていた、あの奇妙なダンジョンの件です!」


 フィリアは、声を荒げた。


「奇妙なダンジョン? ああ、なんだか魔物が変な動きをするとか、仕掛けが意味不明だとかいう、あれか。別に俺には関係ないだろう。ゲル化魔術が通用するかどうかも分からないのに、わざわざ危険な場所に行く必要はない」


 フライムは、あくまで無関心を装った。彼のゲル化魔術は万能ではない。魔術的な抵抗力が強いものには効きにくい場合もある。そして何より、彼は面倒事を嫌う性質だった。


「ですが、神殿の高弟様方も、あのダンジョンには手を焼いているんです! 通常の攻略法が全く通用しないと……。それに、この依頼には、とんでもない報酬が提示されています!」


 フィリアは、巻物を示した。報酬の額は、確かに破格だった。しかし、フライムの心は動かない。彼にとって、金銭はさほど重要なものではなかった。


「ふむ……。そうか。では、ご苦労。フィリアが頑張って攻略してこい」


 フライムは、再びゲル状魔導書に視線を戻した。フィリアは、思わず天を仰いだ。この男を動かすには、一体どうすればいいのか。彼女は頭をひねり、そして、ある噂を思い出した。


「た、確かに、フライム様には関係ないかもしれませんね……。でも、そのダンジョン、内部の至る所に、とんでもなく巨大で、極上のプルプル食感が味わえる謎の液体が満ちている、って噂があるんですけれど……」


 フィリアは、最後の切り札を切った。彼女は、フライムの隠された好物、つまりプリンやゼリーに対する異常なまでの執着を知っていたのだ。


 その瞬間、フライムの体がピクリと動いた。そして、ゆっくりと、彼の無気力だった瞳に、ギラリとした光が宿る。


「……プルプル? 極上の?」


 フライムは、まるで獲物を見定めた捕食者のような眼差しで、フィリアを凝視した。彼の顔には、これまで見せたことのない、奇妙な期待の色が浮かんでいた。


「は、はい! ダンジョンを突破した者だけが味わえる、至高のプルプル食感だとか……!」


 フィリアは、内心で胃薬を握りしめながら、必死に言葉を続けた。これで、動いてくれるはずだ。いや、動いてくれることを願う。


「ふむ……。それは、なかなか興味深いな」


 フライムは、ゲル状魔導書をパタリと閉じた。そして、立ち上がると、ゆったりと書斎の窓から外を眺めた。


「よし。神殿の依頼、受けよう。最高のプルプル食感をこの手で確かめる。それが、俺に与えられた新たな使命というものだ」


 フライムの言葉に、フィリアは安堵の息を漏らした。だが、同時に、とてつもない不安が彼女の胸をよぎった。この男がダンジョンに挑むということは、ダンジョンそのものが、一体どうなってしまうのか。そして、彼の型破りな「解決」が、どのようなコミカルな混乱を引き起こすのか。想像するだけで、胃がキリキリと痛み出す。


 フィリアは、そっと懐から胃薬を取り出し、一つ飲み込んだ。


 こうして、ゲル魔術師フライムの、奇妙なダンジョン珍道中が、今、幕を開けるのだった。

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