第2通:氷封のラストメッセージ_旧人類のカルマ

 オウフェイは古びたノートをクチバシでそっとめくりながら、静かに語り始めた。


「ここに記されているのは、かつてこの施設で凍結保存された女性たちの卵子と、『選ばれし優秀な男性たちの精子』の購入記録だ」


 薄暗い部屋の中、ノートのページは黄ばんでいて、手書きの文字がびっしりと詰まっている。ページの隅には、女性の名前や予算、対応する男性の名前が細かく記されていた。


「電子媒体では、動力の問題でデータが失われる危険があったため、あえてアナログで記録されていたらしい」


 オウフェイはページをめくるたびに、慎重に文字を追いながら、時折目を細めてその重要性を噛み締めているようだった。


「卵子と精子は、女性たちの予算や希望に応じて組み合わせが決められ、同じ装置に同じ数だけ凍結されていた。つまり、ペアごとに保存されていたのだ」


 その記録を前に、オウフェイの声にはどこか哀しみが滲んでいた。


「彼女たちは新世界の環境が安定するまで眠り続け、目覚めた後に自らの体に戻して子孫を残す計画だった。しかし、母体となる彼女たち自身が新世界の免疫を持たない菌に蝕まれてしまい、その計画は無念にも断念されたのだ」


 オウフェイは最後にページを閉じ、静かに息をついた。


 イーウェイは少し眉をひそめ、ノート上に手を静かにのせた。


「繁殖行為がこんなに細かく管理されてたなんて……なんか息苦しいっしょ。イーウェイたちには、マジで理解できないけどね〜」


 カイランの最後を見届けたときのことを思い出す。


「ただ近くで、最後に手を握って見送れただけでも幸せだったのに……」


 うっすら涙の溜まる目でそう言った彼女の手は、無意識にカイランの手を握ったときの形になっていた。


 その傍らでシルヴァは腕を組み、じっとオウフェイの話を聞きながら、眉間に深い皺を寄せた。


「そんなやり方は、あんまりにも冷たいが。命を数字や記録だけで扱うっちゅうのは、命の尊さを踏みにじるような扱いやね」


 彼女は軽く息を吐き、イーウェイの腕を両手で握りしめた。


「命がモノみたいな感じや。あんたら旧人類は、何を間違えたん?」


 しばらくノートの文字をじっと見つめ、やがて小さくため息をついた。


 その目の前で、オウフェイがなにか思い出したかのようにクチバシでページをめくり始めた。ページをめくるクチバシが、あるページで止まった。


「すべての旧人類が同じ考えではなかったようだ」


 そのページには卵子の摘出日と1人の女性の名前だけが書かれ、精子の購入記録や組み合わせについては記載がなかった。


 卵子の摘出保存というのは、この施設の規則だったのか、それとも目覚めた後の体調を考慮して行われたことだったのだろう。


 ただ、このページで重要なのは、ここに書かれていた人物の名前だった。


「ココノエ……キミは待ち続けていたんだな……」


 オウフェイが視線を落としたその記録は、ココノエのものだった。



***



 命の冷凍保存室だった部屋から2人と1羽が出てくると、ココノエの装置の前にレイロンがいた。


 彼女は何か気になることがある様子で、氷の中のココノエを見ていた。


「レイロン、何があった?」


 哀しみが静かに滲み出る顔のイーウェイに抱えられたオウフェイが、ココノエを見つめるレイロンに語り掛けた。


「オウフェイ! 至急、生きておる電源がないか確認できぬか!?」


 オウフェイのほうを振り返ると、切迫した表情でレイロンが叫んだ


「まあ、おちつけ」


 イーウェイの腕の中から飛び立つと、部屋の中央のパソコンに向かって飛んで行った。キーボードの前に降りると、クチバシでキーボードを打ち込んでいく。


 パソコンが動作しているところをみると、何かしらの動力が生きているようだった。


 ちょっとぎこちないが、シフトキーやコントロールキーの同時押しは、鉤爪を使って押してる。押している。もともと器用な動きができる鉤爪ではないが、現代の人類はパソコンを使えないので、こうするしかない。


「環境の変化を想定した大容量燃料電池……水素バッテリーか……ずいぶん物騒なものを選んだな」


 稼働年数を優先するなら最善の選択肢だが、管理面においては慎重にならなければならない電源が使用されていた。


 残り電力はオウフェイの計算によると、本来ならすでに尽きているのだが、水素を供給するパイプラインが劣化や地形変化の影響で歪み、供給が悪くなった残りカスがあった影響で、僅かな電力が残っているとのことだった。


「生きていはいるが、もうあまりもたんぞ。供給先を絞れば、ものによっては数週間稼働できるってところだな」


「すまぬがその電力を、急いでコレに集めるのじゃ!」


 レイロンが蛇の尾の先で示したのは、ココノエのコールドスリープ装置だった。


「施設内のガラクタ同然になった生命維持装置は、この時代ではいらん。あとは……気が引けるが、生物学的に死んでいるアレの保管電力も切るか。本体が壊れていては意味がない」


 キーボードをクチバシでつついて入力するオウフェイは、マウスもつつくように動かして、鉤爪でクリックしていく。


 ココノエのコールドスリープ装置横に設置されたディスプレイの表示がエラー表示から、稼働中の表示になった。ただし、『供給電力低下中』の警告は消えなかった。


 オウフェイのその様子を、イーウェイとシルヴァは口を開けて眺めているしかできなかった。彼が何をしているのかもまったく理解できていない。


「ここが限界だ」


 レイロンが伸ばした腕に乗ったオウフェイが言った。そして、彼女が何を気にしていたのかを聞き出す。


「何かわかったのか?」


 腕の上で首をかしげるオウフェイの首の横をなでながら、レイロンが答える。


「親書書きの休憩がてら、改めてこの部屋の温度変化をみていたらな……」


 遺跡として見つけたばかりの時には舞い上がって、熱感知もほどほどに遺跡内を探索していたのだが、改めて見直すと奇妙なことに気づいたという。


「こやつ……かなり弱っておるが、生きておるぞ」


 ココノエの装置の前へ、腕に乗せたオウフェイを近づけた。


 彼女の温度変化を色で見ることができる能力によると、僅かに人の体温の反応があるというのだ。


「奇跡的に微弱な電力で、命をつないでいたか」


 首を交互に傾けて、ココノエの顔を眺めるオウフェイ。


「しかしこれは……歴史が変わってしまうぞ? 全滅したという旧人類が生きていた……ということじゃ」


 世紀の大発見……と喜べない事情があった。相応の技術力がない時代の自分たちがうかつに開ければ、彼女の命を奪う危険性があるのだ。


 歴史的に貴重な資料を失うという心配よりも、レイロンの性格的に、命を奪ってしまう道徳的な問題に頭を抱えているのだ。


「わしの加護も試してみたが、何かしらの病の進行状態が想定以上に深刻で、加護をかけても手遅れなのじゃ。気休め程度の延命にしかなっておらぬ」


 しかもそれは、目の前の装置があってこそ。ここから彼女を出した瞬間、死亡することは十分に想定できる。


「どちらにしてもコレは開けられんよ。多分彼女自身がやったのだろうが、端末からこの装置に向けて細工がされていた」


 プログラム的にどうこう言っても、この時代ではわからないので、とにかく強固なロックをココノエ自身がかけているということだ。


「彼女はかなり優秀なプログラマーだったのだろう。開け方に関する情報が巧妙に隠されていて、引っぱり出せん。たぶん、同様の細工を知っている人間か、特定の者にしか開けられないようになっているようだ」


 ぽかんと口を開け続けるイーウェイとシルヴァに対して、『プログラマー』というのは、製造系の魔法使いのようなものだと思えばいいと補足する。


「手がかりは同じ施設があるかもしれない、レガシア・タウンか……シルヴァ!」


「え……あ、なに?」


 突然呼ばれたシルヴァは、ぽかんとした表情から徐々に我に返り、はっと息を呑んで返事をした。


「レガシア・タウンについたらコールドスリープ施設の情報も必要だが、旧世界の装置の技術者も探せ。継承者がいる可能性にかけるしかない。向こうも目覚めた後、同じ状況だったとは限らないはずだ」


 つまりそれは、旧世界の人類の子孫がいるかもしれないというとだ。もしそれを見つけられたのなら、ココノエを救う方法もあるかもしれない。


 シルヴァが先遣隊として、オウフェイの頼みを引き受けると返事をしようとしたときだった。


「レイロン様~? いつまで現実逃避……休憩してるんですか? はやく遺跡の権利主張根拠と保護案をまとめてください。国際機関に対して議会開催の呼びかけを、こちらから予定を提案しておいて、欠席は許されませんからね?」


 ククルカの口元は柔らかな微笑みを描いているが、その背後には嵐のような激しい怒りが渦巻いていた。彼女の視線は無言の圧力を放ち、レイロンにぐいぐいと詰め寄っていく。


「ルカよ……わしらは旧人類の過ちから、人に必要なもの『心の余裕』ということを学ばねば……ぐぇ」


 首に冷や汗を流しながらも、真面目な顔で正論っぽいことを言おうとしたレイロンだが、ククルカの蛇の尾で襟首を持ち上げられ、そのまま引きずられるように連れて行かれた。


 2人が室内から去ったあとにシルヴァが、


「旧世界の技術者ん件も調べてくんね」


 と……何も見なかったことにして返事をした。

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