灰の雪が降る丘で

司馬晟 子周

0.プロローグ:灰の降る季節に

それは、静かな季節の始まりだった。

 春とも、秋とも、誰も言わなかった。

 空からは、灰のような雪が降っていた。

 季節の名など、もはや誰にとっても意味を持たな

 かった。 


西暦2052年9月。残暑の残る季節。

突如として、東暁人民共和国が宣戦を布告した。


マスコミは騒いだ。

「経済制裁により自国経済が破綻し、戦争経済への移行を選んだ」 と。


だが、東暁は本気だった。永世中立を謳っていたラストニアに特殊部隊を送り込み、政権を転覆させ、事実上の属国化を宣言した。

世界連合は仲介を試みたが、もはやそれは意味をなさなかった。



その数日後ーーー

東暁の盟友、リベルディア社会主義共和国連邦が動いた。

 「かつての栄光と、奪われた領土を取り戻す」

と宣言し、ラグーン諸島への進攻を行った。

そして開戦からわずか三時間で、諸島は陥落した。


この戦争は、予告なく始まったわけではない。


 前触れはあった。いや、ありすぎた。


20年続く東西の緊張。経済制裁の応酬、大規模軍事 演習、発展途上国での代理戦争。

核保有国同士の冷戦は、もはや誰の目にも明らかだった。

マスコミは繰り返し叫んでいた――

「第三次世界大戦の足音」だと。



だが、それでも誰も、本当に始まるとは思っていなかった。


 核の抑止力は、幻想となった。


そして、世界の国々は次第に、自らの利益のために武器を取りはじめた。 


世界を震撼させたのは、次の動きだった。

 クロイツ第四帝国――

世界の多くは、クロイツが緊張関係にある東暁やリベルディアの背後を突くと予測していた。

 だが実際、彼らが踏み込んだのは西側だった。


世界の目が東に釘付けとなっていたその隙に、クロイツはEURA共同体の最西端、セリア大公国をたった2時間で制圧した。

電撃戦――閃光のような侵攻だった。三日後にはプラム共和国の五つの都市が陥落し、プラムは他国との連絡線を断たれた。


そして、あの言葉が世界を駆け巡った。

 「自由主義世界に死を」

クロイツ最高指導者、レーベン・ハイニヒの声明は衛星を通じて全地球に放送された。


その直後、さらなる事実が明らかになった。

 不可侵条約の存在――


 クロイツ第四帝国、リベルディア社会主義共和国連邦、東暁人民共和国。この三国が、既に密約を交わしていたのだ。


 その署名は半年前、バレニア海に面した山岳都市ノルデンにて行われていた。表向きは文化交流協定。

だが、その裏では「世界を半分に分け合う」密約が成立していた。



 敵対しているように見えた三国が、まさか手を組む

 とは――

 誰も想像しなかった。だが、それは現実となった。

 東暁ともリベルディアとも緊張関係にあったこの国

 が、突如として進軍を開始したのであるだが、非難

 の言葉が戦車の履帯を止めることはなかった。


 クロイツ軍は11月までにプラム全土を制圧し、南進

 を開始。

 各国の派遣部隊が次々と戦線へと投入された。 


 だが、この戦争は、もはや「勝ち負け」で語れるものではなかった。


 誰もが、自国を守るために戦った。

 誰もが、他国を滅ぼすために戦った。


 そして、誰もが、自分が何を守っているのかに気づかぬまま、武器を取っていた。


 最初の“灰”が降ったのは――ヴォルスクの空だった。


 追い詰められたリベルディアは、己の都市を核の炎で焼き尽くした。 


 帝国、オーロリカ合衆国、コロン共和国、EURA共同体はこれを激しく非難した。それは、自国民ごと敵を巻き添えにするという、狂気の反撃だった。


 灰が、街を覆った。


 その日から、人類は“終わり”へと足を踏み入れた。


 だがその終わりを、誰も「終わり」とは呼ばなかった。



 まだ勝てると思っていたから。

 まだ、生き延びられると信じたかったから。


 灰が降る季節が、始まった。


 そして、その灰が、誰の血から生まれたかを知る者は――



 やがて、誰もいなくなるのだとしても。

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