第2話
雲ひとつない空からは、容赦ない陽射しが射し込み、窓辺の床はほんのり温かくなっていた。
午後の陽が、磨かれた床に反射して、まぶしいほどにきらきらと光っている。
屋敷の中では、ひとりの少女が黙々と雑巾を動かしていた。
右手に雑巾、足元には木製のバケツ。腰まで届く金髪を後ろに一つ結びにし、身につけているのは、男物の従者服。
その少女の名は、――。
「シンデレラー!シンデレラー!」
屋敷中に響く
拭き掃除の、最中だったが、この声を聞いては、なによりも声の主を、優先しなければならない。
少女は、タッ、と床を蹴ると、まるで子鹿のような速さで階段を駆け上がり、声の主の元へ急ぐのだった。
「お呼びでしょうか、お
開け放たれた扉から、颯爽と参ったシンデレラに、喜色の笑みを浮かべた義姉は、『ンンッ』と、咳払いをし、怒った表情を作って、
「遅いじゃない、シンデレラ!今日がどれだけ大事か、何度も言ったのに!」
と、声を荒らげた。
シンデレラは、長い睫毛を伏せ、
「申し訳ございません。
お義姉様のドレスを汚すまいと、つい、そればかり考えてしまい、夢中になって床を磨いておりました。」
と、言った。
その、言葉を聞いた義姉は、『私のため⋯』と、ポッと、頬を赤く染めると、『んー、なら、まぁ、しょうがないわね。』と、機嫌を直した。
「それで、用事とは?」
シンデレラが、義姉に問うと、
「ドレスとアクセサリーは拵えたでしょう?
でも、髪型が決まらないの!決まらないのよ、シンデレラ!」
と、答えた。
「髪型が⋯。」
シンデレラは、暫し、義姉を眺め、思案げな面持ちをすると、『失礼。』と、近寄り、すっと正面から義姉の髪に触れ、
「お義姉様は、肌の白さが自慢でしょう?
髪を結わえて、うなじを見せてあげますと、月夜が反射して、発光したように白く輝き、よりお義姉様の美しさを際立たせると思いますが、いかがでしょう?」
と、尋ねてみた。
至近距離で、シンデレラの青く輝く瞳に見つめられ、うっとりと見惚れていた、義姉は『じゃあ、それにするわ⋯。貴方が結って下さる⋯?』と、問うた。
『勿論です。』と、義姉を見つめ、にっこりと微笑むシンデレラに、義姉は胸を押さえるのだった。
鏡台の椅子に座り直す義姉の後ろに立ち、髪を
義姉は、鏡に映るシンデレラを盗み見ては、頬を染めた。
うねる赤毛を、丁寧に解きほぐすシンデレラの細い指が、優雅に動く。
時折、シンデレラの青い瞳と義姉の緑の瞳が交差すると、フッと微笑むその表情に、義姉は、どうしようもなく胸がときめいた。
ひと房、ひと房、壊れ物を大事に扱うように、義姉の髪を梳くシンデレラを義姉は、ただじっと見つめた。
(あんなに、綺麗で可愛くて、憎くてたまらなかったのに、男の子の格好になった途端、こんなに素敵に見えちゃうなんて反則よ⋯。)
(この前の、王子様に見立ててダンスの練習をした時も、またリードが上手になってたわ。⋯あたしが、仕込んだんだけど。)
(お母様がシンデレラのお仕着せを、男物に替えてから、仕草も表情も、会話の返しも、なにもかも、あたし好みに全て変えたわ。そしたらこんなに、素敵になっちゃうなんて。
その辺の男の子が、芋虫にしか見えなくなる日がくるなんて、あの時は、思わなかったわ⋯。)鏡越しのシンデレラをぼーっと見つめながら物思いに耽るのだった。
「浮かない顔ですね。お気に召しませんか。」
シンデレラの言葉に、ハッとした義姉は、鏡の向こうの自分を見る。
ふわりとうねる赤毛は、後ろで
耳の横からは、ゆるやかなカーブを描く毛束がそっとこぼれ、華やかさの中に、少女らしいあどけなさを添えていた。
「いいえ、とても、素敵よ⋯。」
(あなたも、⋯そう思ってくれる?)
つい鏡越しに、上目遣いでシンデレラを見上げた。
シンデレラがその目線に気付き、ニッコリと微笑むと、
「そうですか。良かった。今宵のお義姉様は、誰よりも一等素敵ですよ。」
と、安心させるかのように、言うのだった。
―その時だった。
「随分と楽しそうじゃないの、灰かぶり。」
その声に、シンデレラの背筋が無意識に伸びる。
開け放たれた戸口に、薄紫の上衣に身を包んだ、中年だが、美しい女性が立っていた。
目は笑っていない。口元には、形だけの笑み。
「今日の準備は、終わったのかしら?」
冷たい声。
「はい⋯、ただいま、終わりました。」
シンデレラは、ぎこちなく返事をした。
「なら、私の準備も手伝ってちょうだいな。」
継母は、にっこり笑うとシンデレラを手招きする。
シンデレラは、義姉に退室の挨拶をすると、先を行く継母に、付かず離れず付いていく。
継母の部屋に入り、舞踏会に行くための、ドレスの着付けの手伝いをする。
コルセットを締める際に、『痛い!』と、叫ばれ、継母から、頬を打たれた。
「下女の仕事ばかりしてるから、粗野で嫌だね!
あたしは、貴族なんだよ!
もう少し、丁寧にやって頂戴!」
と、継母に怒鳴られながら、シンデレラは、
髪を梳く際は、『痛い!』と言われ、扇で手の甲を打たれた。
シンデレラの全てが気に入らない継母は、何をするにも難癖を付け、躾だとシンデレラを罵り、打った。
肩で息をしながら、気が済んだのか『ふんっ』と、ボロになった扇を放ると、姿見で自分を確認し、シンデレラを打った際に、少し乱れた後れ毛も演出のようだと、ウットリとしながら『まあまあだね。』と、出来栄えに満足するのだった。
「いいかい。アタシらが舞踏会に、行ってる間、アンタは薪割り、洗濯、靴磨き、それと、そうだねぇ、今度お茶会に招待されてるんだけども、あぁ、あの、緑のドレスがあるだろう?
その袖口と裾に、皆の目が釘付けになるように、刺繍を施しておいてちょうだいな。今日中に。
上手く出来なかったら、
ちゃんとやるんだよ。」
と、義母の暴力にひざまづいて、痛みに耐えていたシンデレラにそう言いつけると、シンデレラの赤く腫れた手の甲や頬見て、満足そうな顔をして出ていくのだった。
(刺繍以外は、朝の内に終わらせたわ⋯)
刺繍の時間を確保できる事に、ホッとしつつ、義母のクローゼットから、緑のドレスを取り出すと、刺繍や、繕い物をする部屋へと急ぐのだった。
(掃除していた途中だったわ。戻らなくちゃ。)
頭の中で、刺繍を最優先事項に置き、今日の予定を組み立て直すのだった。
『シンデレラも連れていきたい』という、義姉とそれを制止する継母を見送りながら、シンデレラは、継母に言われた仕事の他に、不備がないか頭の中で、チェックする。
(お
一針一針、丁寧に刺した刺繍がやっと完成する頃には、月夜が明るい夜となっていた。
たしか、継母と義姉の食べ残しがあったはず、と今晩の晩御飯を思い出しながら、片付けをし、部屋を出る。
(きっとお継母様達が帰ってくるのは、深夜だろうから早めに休んでおかなくちゃ)と、シンデレラは、食事を済ますと、早々にベッドに横になるのだった。
誰かが自分を呼ぶ声で、うつら、と目を覚ました。
まだ、辺りは真っ暗だ。
もう継母達が、帰ってきたのだろうか。
それにしては、静かだ、と、シンデレラは、半覚醒の重たい身体を起こして、
『⋯ラ。シンデレラ。』
自分を呼ぶ声がする。
朧な音に導かれるまま、シンデレラは扉の前に立ち、静かにドアを開けたのだった。
月光を背に立つ、ひとりの老婦人の姿が、そこにはあった。
夜闇色のローブに身を包み、柔らかく笑んでいる。
「初めましてだね、シンデレラ。」
微笑む表情は、月の光のようだった。
しかし、シンデレラは女性に面識はなく、
「え⋯、どなた様、ですか⋯?」
と、問うた。
戸惑うシンデレラを見つめる女性が、ふと、痛ましげな表情に変わる。
女性の視線を辿ると、継母に、執拗に扇でぶたれて、腫れて青アザへと変色した寝衣から覗く手足だった。
『あっ⋯』慌ててシンデレラは、両腕を隠した。
足はどうしようもない。
「首にも⋯」
悲しそうな様子で、女性は、シンデレラのサラサラと落ちる金髪を優しく払い、首元にヒタリと手をやった。
そのまま、女性の手はシンデレラの、頬へ。
いつの間にか、両手で包まれていた。
女性の手のひらは、ひんやりと心地よい。
「可哀想に⋯。顔もアザになってるね。
シンデレラ、生みの親を恨まないでやっておくれ。
あの子はね、ずっとお前のことを気にかけていたよ⋯。
ただただ、お前の幸せだけを願っていた。」
そういうと、女性は、懐から杖を取り出し、夜空に向けて軽く杖を降ると、シンデレラを包み込むように光り輝いた。
継母に打たれて、ジクジク痛む箇所が消えていく。
不思議な気持ちでシンデレラは、星降る光の数々を見つめるのだった。
「そら、綺麗になった。」
女性の言葉に、シンデレラは反射的に両腕に視線を落とす。
先程までの青あざが、すっかりと消えていた。
「え⋯っ、すごい⋯。」
目を丸くして驚くシンデレラに、女性は得意げに、微笑むと、『まだまだこんなもんじゃないよ。』と更に杖を振った。
またもや、シンデレラを包むように辺りは、発光し、気付いた時には、寝衣は、見たこともない見事なドレスへと変貌していた。
流石に、目が覚めた。
「え!?あの、これ⋯っ」
戸惑うシンデレラに、満面の笑みの女性、いや、魔女はこう答えた。
「舞踏会へお行き、シンデレラ。」
唐突だった。
シンデレラは、逡巡したが、意を決して口を開いた。
「⋯あの、お気持ちは大変有難いのですが、私、舞踏会よりも、今は睡眠をいただきたく⋯。」
「えぇ?」魔女が、頓狂な声を上げた。
「なので、せっかくのドレスですが、元の寝衣に戻してもらえないでしょうか⋯?」
申し訳なさそうにシンデレラは、魔女を見るのだった。
すると、魔女は、
「年頃の娘は、みんな舞踏会に参加するのを夢見てるってのに、」
と、一層悲しげな表情になり、パチンと指を鳴らした。
シンデレラは、これで、元に戻る、と安心したが、寝衣はドレスのまま。
いつの間にやら、小間使い風の女性が、魔女の後ろに控えており、『あちらに。』と、魔女を案内する。
少し離れたところに、裏の畑で育てているカボチャと、ネズミが数匹いた。
訳も分からず、その様子を見ているシンデレラ。
魔女が杖を振ると、あっという間に、カボチャとネズミは馬車へと変わった。ちゃんと馭者もいる。
「わぁ、すごい⋯」
シンデレラは、感嘆の声を上げた。
「さあ、乗りなさい。シンデレラ。」
ニッコリ笑っているが、有無を言わさぬ魔女の気迫。
「え⋯、あの、でも⋯」
と、戸惑うシンデレラをよそに魔女は、『あぁ、そうだったね。これが必要だったね。』と、またしても小間使い風の女性が、魔女になにかを捧げている。この女性は、とても影が薄い。
魔女は、それを受け取ると、シンデレラに
「これを履いて、お城へ参っておくれ。」
と、言うのだった。
魔女が手にしているのは、ガラスの靴。
「でも、おばさま、私⋯」と、食い下がるシンデレラに
「後生だから、『参る』と、言っておくれ。お城には、見たこともないご馳走もあるよ。たらふくあるよ。お腹いっぱい食べられるよ。」
と、魔女をよく見ると、必死なのか、目に涙まで溜めており、シンデレラが頷くまで、解放する素振りが無さそうだったので、渋々、ガラスの靴を受け取り、『魔法使いのおばさま、ご親切にありがとうございます。なるべく早く帰ってきます。』と、シンデレラは、馬車に乗り込むのだった。
その姿を見て、『うん、うん。』と満足そうに頷く魔女。
魔女に見送られ、シンデレラを乗せた馬車は、お城へと目指す。
馬車の中では、シンデレラは、ウトウトしながら、
(魔法使いのおばさまも、あぁ言ってたし、せっかくだから、お城でしか食べられない、食べ物をいただこう)と、思いながら、目を瞑るのだった。
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