止まない雨は無い

太田千莉

止まない雨は無い

「わー、土砂降りになってきた」

 二人して駆け込んだ神社の本殿。その軒先ギリギリに立ち、降りしきる雨を眺めながら彼女は言葉をこぼす。

 その声は嘆きや憂いのそれではなく、何処か他人事みたいな温度感だった。

「しばらく雨宿りかなー」

「そうかもね」

 彼女の言葉に相槌を打ちながら、僕は手元のスマホで天気を調べる。雨雲レーダーによれば、このゲリラ豪雨はあと二十分もすれば止むらしい。その情報を自分だけで確認して、スマホをポケットにしまう。

「どれくらい降りそう?」

 ずっと外を見ていた彼女は、緩慢な動きで僕の方へと振り向いて訊いてきた。僕が答えを持っているのを分かっているみたいだった。

「二十分くらい」

「そっかぁ、結構降るねぇ」

「……そうだね」

 よいしょと息を吐きながら、彼女は僕の隣へ腰を下ろした。彼女の髪が揺れるのに合わせていつもの花のような香りと、雨の匂いが鼻先をくすぐる。

 ぱちぱちと、雨が屋根や石畳を叩く。それはまるで、時計の針を進める歯車の駆動音に聞こえた。刻一刻と、この雨が止んでしまうまでをカウントダウンしているみたいだ。

「あ、そうだ。聞いて!」

 静寂を破ったのは、彼女の嬉しそうな声だった。

キラキラとした丸い瞳が僕を真っ直ぐに捉える。

「今度の修学旅行の自由班、佐久間くんと一緒の班になれたの」

 彼女の口からその名前を聞くのは何度目だろうか。もうすっかり聞き馴染んでしまった名前が、今日も胸をチクリと刺す。

「良かったね。一緒の時間が沢山だ」

「うん! 佐久間くんと色んなとこ回るの、楽しみだなぁ」

「はしゃぎ過ぎて、迷子にならないようにね」

「な、ならないよ!? ……たぶん」

 元気の良い反論の後、小さく付け足された言葉が若干の不安を煽る。

 僕だって冗談半分で言ったが、なんだか本当に迷子になってしまうのではと、そんな気になってきた。

「……もしも迷子になっても――」

 口にしようと思った言葉が、直前になって喉を詰める。この思いを言葉にして、彼女は何を思うだろうか。嫌では無いだろうか。そう臆して、何も言えなくなる。

「?」

 尻切れの言葉の続きを求めて、彼女は首を傾げる。

「その場を動いちゃダメだよ。より危ない場所に迷い込むかもしれない」

「きょ、京都にそんな場所無いと思うよ?」

咄嗟に代替した言葉は彼女に困惑を与えてしまう。でもそれで良い。その困惑は、僕と彼女の関係に変化を与えるものでは無いから。何も変化しない、水面上を揺らす波紋のような、すぐに鎮まる僅かな揺らめき。それだけで良い。

「でも、佐久間くんと一緒に迷子になって二人きりになるなら、悪くないかも……?」

「……迷子に巻き込んでる佐久間くんには悪いんじゃない?」

「それは~……そう」

 何か言いたげな一瞬の空白の後、彼女は素直に肯定を返した。

「でもさー、折角同じ班になれたんだし、なにかこう……アクションを起こして特別な思い出を作るのもアリじゃない?」

「人生で一回しかない高校二年生の修学旅行を一緒に回る、ってだけでも十分特別な思い出だと思うけど」

 少なくとも僕の人生には訪れない、特別な一幕だ。

「うーん。なんか、上手く誤魔化されている気がする」

「じゃあ質問だけど、佐久間くんと二人きりになってちゃんと話せる?」

「迷子になるのは佐久間くんにも班の子にも悪いからやめとこうかな、うんうん」

「はやっ」

少し不機嫌そうに膨れていた頬はあっと言う間に萎んで、わざとらしい頷きを繰り返す。その変わり身の早さに驚いて、思わずそのまま口にしてしまう。

「だ、だって、班に誘うのだってキッカケ作ってもらってやっとだったんだよ!? 二人きりなんて、絶対にパンクするね!」

「そんな自信満々に言われても」

「君が突いた弱みでしょ」

「まあ……、そうなんだけどさ」

 何故か自信満々かと思えば、次の瞬間には所在無さげに手弄りをしながら上目遣いでこちらを弱々しく責めてくる。

 そんなころころと変わる彼女の表情に僕の心は搔き乱されながら、高鳴る鼓動を悟られないように彼女の儚げな視線から目を逸らす。

 薄暗がりの本殿を眺めながら、そういえば昔にもこんな事があったな、と思い出した。


 今よりもずっと幼い頃。冒険だ、なんて言う彼女に手を引かれて、子供の足で遠出を志したあの日。その途中で、突然の豪雨に降られて逃げるようにこの神社に駆け込んだ。

 初めての場所で、あっと言う間に暗くなった空と、怒号のように強く降り続ける雨を見ながら、二人で身を寄せ合っていた。

『……なんで、こうなっちゃったんだろ』

『君が、ぼうけんしよう! とか言うから』

『……そうだったね』

僕たちの間に広がる沈黙を、激しい雨音が埋める。

ざあざあぱちぱち。降りしきる雨は少し先の地面に水溜まりを作って、やがて無数の波紋を打ち始める。

『雨、やむよね……? おうち帰れるよね……?』

『……止むよ。大丈夫、大丈夫』

 不安そうに呟く彼女に、あの日の僕はそんな言葉を返した。多分、雨がいつかは止むものであることを理屈として分かっていた訳では無かった気がする。

 ただ、今にも泣き出しそうな彼女を少しでも安心させたくて、あの日の僕はそんな当たり前の事を、天に祈るような気持ちで発したのだ。


「……ふふっ」

 突然、彼女が小さく笑う。

 綻んだ表情へ視線を戻せば、口角を緩めたまま彼女は言う。

「ほら、昔もこんな事あったなぁって」

 何気なく呟いた彼女の言葉に息が詰まる。彼女の中にもあの日の思い出は生きているらしい。

「あれ~? 忘れちゃった?」

「……覚えてるよ。君のせいでずぶ濡れになったから」

「あっはっは。酷い言い様なのに言い返せない、くそぅ……」

 悔しそうにスカートの上で緩い握りこぶしを作る。

「冗談だよ。別に恨んでない」

「なら良かった! あの時は大冒険だったけど、高校生になった今じゃこの神社も通学路だもんね」

「もう、未開の地でもなくなった」

「あー! そんな事も言った!」

 懐かしいなぁ、彼女はそう呟いて視線を宙に漂わせる。目には見えない何かを見つめるように、彼女は瞳を細める。

 彼女が口を閉じると辺りは再びの静寂に包まれる。

ぱちぱちぽつぽつ。地面に広がった幾つもの水溜まりの上、弱々しい波紋が生まれては消えていく。

 あの日と同じ場所で、あの日と同じように彼女と雨宿りをして。まるであの日に戻ったような錯覚をしそうになる。

 けれど、そうではないと分かっている。

 あの日から時は過ぎ、強かった雨足も少しずつ弱くなっている。

雨はいつか止む。止んでしまう。

止まなければ、彼女はずっとここに居てくれるのに。

「あ、見て!」

 黒い雲の隙間から射し込む眩い一筋の光を見て、彼女は軒先ギリギリへと駆け寄る。

「晴れたら虹見えるかなぁ」

 空を見上げたまま、彼女は期待に溢れた声音をこぼす。活力と希望に満ちた彼女らしい前向きなその声は、後ろで座ったままの僕にも良く聞こえた。


 止まない雨は無い。きっと、もうすぐ雨はやむ。ぬかるんだ地面を踏み締めて、水溜まりを飛び越えて、彼女は歩き出していく。


 だから僕は天に祈る。一歩を踏み出す勇気もない僕には、それくらいしか出来ないから。


 もう少しだけ、この雨が続きますように。

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