後悔をしたかった
裏口から店を出て向かったのは、中央通りからは逸れた道だった。ここまで立ち入るのは初めてである。道路脇には屋台が並び、あちこちから美味しそうな匂いが漂う。
「ここはいつもこんな感じなの?」
食欲をくすぐられながら尋ねると、セレンは悪戯っぽく笑う。
「いや、今日は食料市の日だからな。特別だ」
「へえ……これが食料市なのね」
知識としては知っている。要は食料品を売る店が集まる日だ。この方が効率良く売れるのだろう。買う側もここでまとめ買いができれば助かりそうだ。
「何か食べたいものあるか?」
「……じゃあ」
言いかけて私は思い出す。
「そうだわ! 今日は私が払いますからね?」
言い含めるようにはっきりと言う。買い食い自体が初めてのことで失念していたが、先週の肉串は奢られてしまったのだ。
「はは、そっか。じゃあせいぜいたくさん食べるとするかな」
「ぜひともそうしてちょうだい」
そうすれば少しは罪悪感も薄れるというものだ。
たまに食べ物を買って食べながら、通りを歩く。あまり行儀が良いことではなく、平民の格好もあって背徳感からか胸がざわつく。
初めて見る食材もあり興味深く、屋台の食べ物も美味しかったが、何より意外だったのがその安さだった。自分が普段いかに高級なものしか食べて来なかったかがよくわかる。
他愛のない話をして、隣で楽しげに笑うセレンを見ていると少しだけ安心した。
頭の隅に居座る一抹の不安と、罪悪感と背徳感。拭いきれないそれらと相反するように感じる楽しさ。
ただ今だけは、『楽しい』と感じられることが素直に嬉しいと思える。
セレンの顔の美しさは目立ちそうだと思っていたけれど、さすがと言うべきか、街に自然と溶け込んでいた。キャップで顔を隠し気味というだけでなく、存在感が違う。以前紳士姿の彼と歩いた時はもう少し視線を感じたものだが、今日はまるで気にならないのだ。
雰囲気も存在感も自在なのだとしたら、今見ているこの笑顔も本当なのか怪しいものだ。そんな考えを意識的に頭から追い出しながら、何軒目かの店で買った菓子を齧っていた時だった。
「おーっす、なんだよお前奇遇だなあ。こんなとこで」
そう、突然声をかけて来た男は、全身黒い地味な格好をしていた。馴れ馴れしくセレンの肩を抱く。
「おっ! 偶然だな。こんなとこで会うとはね」
セレンも相手のことを知っているようで、親しげに笑って言葉を返す。
側から見れば普通の親しい友人関係。だが、私はその光景に酷く違和感を感じていた。長年社交界で揉まれた私にとって、人の嘘を見抜くのは得意技だ。
「かわいい子連れてんじゃん。お前の彼女?」
「そんなんじゃねえよ。お前こそ、今日は一人か?」
人の本音が最も現れるのは表情。次いで声色。そして体の動き。さらに人が最もよく見ているのも表情だ。私が、セレンの笑顔に安心感を覚えたように。
だからこそ、日常的に嘘をつく者は表情をつくるのが上手い。熟達すれば顔色だって意のままに変えられる。その男も例に漏れず、表情はとても自然だった。しかし、体の動きが違う。親しい者に対する身のこなしではない。警戒心を隠しきれていない。
それに対して、セレンは本当に親しそうに見えるのだ。久しぶりに友人に会えた嬉しさと女性との関係を聞かれた気恥ずかしさが表情にも態度にも現れている。とても演技とは思えない。
このチグハグな温度差が、私に酷く違和感を感じさせた。
「セレン、その方はお友達?」
「ん? ああ。腐れ縁ってとこだよ」
「なんだよー、冷たいな。俺たち親友だろ?」
やはり男の態度は嘘くさい。セレンは騙されているのか、それとも役者顔負けの演技力で茶番に付き合っているのか。なんとなく後者な気がする。
「それで? 何か用があったんじゃないのか」
「なんだよ、用がなきゃ話しかけんなってか」
「そうは言ってねぇよ。用でもなきゃ、お前が女といるとこに水刺したりしねえだろ」
「はは、やっぱお前は誤魔化せねぇよな…………俺が用があるのはそっちのお嬢さんの方さ」
「……私、ですか?」
驚いた顔をしておくが、心中は警戒心でいっぱいである。セレンは別としてこんな胡散臭い男の知り合いはいない。
「ああ、一言お礼が言いたくてな」
「お礼……? あの……失礼ですが、どこかで……?」
「え? ああ、違う違う。礼ってのは、こいつのことを受け入れてくれたみたいで良かったってこと」
「おい、何の話を」
「だからさ、お前ずっと女性に対して一歩引いて接してただろ? でもすげえ仲良さそうだったからさ。お前の過去を受け入れてくれる奴がいて良かったなって。親友として礼を言うぜ」
「…………過去、ですか?」
気は引けたが、話の流れ上ここで問い返さないのも不自然だ。知ったかぶりをしてボロが出ても困る。
「ああ、こいつが人を殺したり体を売ったりしてたってことをさ」
男はサラリと言った。それでも、口にする瞬間には緊張からか僅かに体が強張っていた。
言うまでもなく初耳の情報。セレンも言葉を失っているが、この人の場合どこまで本気かわからない。私も予想外の言葉に返答が一瞬遅れた。その一瞬を逃さず、男は言葉を重ねる。
「あれ? もしかして、話してなかった?」
まずった、と焦った顔をしているが、おそらく狙ったのだろう。セレンが何も言わないところを見るとあながち真っ赤な嘘でもないのかもしれないが、この場でどちらにつくかなど決まっている。
「いえ、聞いてますよ。けど、こんな場所でそれを言うことないじゃないですか」
言葉に非難の響きを込める。
「…………」
セレンは何も言わないが、酷く傷ついた顔をする。儚げな美青年が傷ついた顔をしているというのは、実に絵になる光景だ。通りがかった人々が男を責めるような目で見ていく。この場で何があったかを知らずとも、傍目には悪役は明らかだ。
男としてはこの反応は予想外だったらしい。チラリと焦りの色が浮かんだのを見て、やはり狙ったのだと確信する。
「あ、ああ、そうだな……悪かったよ……じゃあ、またな」
見かけだけは申し訳なさそうにそれだけ言うと男は雑踏に紛れて去っていった。後には私たちと気まずい沈黙だけが残される。セレンが問いかけるような目を私に向けていた。
「……失礼な人ね! あんな言い掛かりをつけてくるだなんて……冗談でも言っていいことと悪いことがあるわ」
本気にとっていない、というアピールだ。
「……本当にな。悪かったな不愉快な思いさせて、もうアイツとは縁を切るよ」
「うん、その方がいいと思う。私にヤキモチでも焼いたんじゃないの?」
冗談めかして付け加えると、セレンもクスリと笑って乗って来た。
「はは、そうだとしても酷いよ」
そうして私たちはまたもとの和やかな雰囲気に戻り、食べ歩きを再開した。この切り替えの早さを見るに先程の態度も茶番だったのだろう。
もちろん、気にならない、と言えば嘘になる。しかし、知りたくなかった。知ればこの関係はきっと終わってしまう。
私のような世間知らずの後悔に付き合ってくれる奇特な人間はそういないだろう。彼に巡り会えたのは幸運だったのだと、私はそう信じたくなっていた。
男に絡まれた以降は特に何事もなく、私たちは『フィリグラン』に戻ってきた。
「ありがとう、楽しかったわ!」
「そいつは良かった。また留め具止めるんだろ。着替えたら声かけて」
「そうね。ありがとう」
服を着替えてから、最後にセレンに背中の留め具を留めてくれるように頼んだ。背中を向けて、邪魔にならないように髪を前に持って来ていると、セレンがぽつりと呟いた。
「どうして何も聞かないんだ?」
その声からは、感情が読み取れない。何も、とはきっとあの男から言われていたことだろうが、私は素知らぬ態度で聞き返す。
「何か伺うことがありましたか?」
セレンの返答に一瞬間があった。留め具はまだ留まらない。手こずっているようだ。外すときは一瞬だったのに。
「俺が……何者なのか、とか……」
「……聞いた方が良いですか?」
セレンはそれには答えなかった。留め具がカチリと留まる。
「じゃあな」
私が振り返るよりセレンが部屋を出て行く方が早かった。辛うじて見えたのは扉の向こうへ消えるセレンの後ろ姿だけだ。
聞いた方が良かったのだろうか。しかし、私に聞く気はなかった。そこまで親しくなる気はない。何も知らないからこそ成り立つ関係というものもあるものだ。私はこの関係を、まだ終わらせたくはなかった。
アルヴァに礼を言い、正面から店を出る。また会おうか、会ってもいいのだろうか、と迷いながら掲示板を見ると、今朝はなかった落書きがあった。セレンからのメッセージだ。あの日二人で決めた単純な暗号は、私たち以外にはただの落書きにしか見えないだろう。
向こうから日時指定をしてきた。それはつまり、また会いたいと、そう思ってくれたのだろうか。
口元が緩むのを抑えるのを、こんなに苦労したのは初めてだった。
私は嬉々として承諾のメッセージを書き加えると、弾みそうになる足を抑えて、努めて冷静に帰路についた。
「これ以上は待てない。代わりを用意するからな」
「ああ」
最後通告に、ぼんやりと返事をした。
もうこんなことは、終わりにしたかった。
自分も、後悔をしたかった。
それから二日後、私はフェリシアの家に来ていた。
男爵家であるフェリシアの家はやはり自宅と比べると小さい。おそらく本家は領地の方にあり、王都の家は別宅なのだろうが、それにしても私の家に比べると敷地の広さは十分の一程度しかない。
「ようこそいらっしゃいました。ティナーレイン様」
同じ貴族とはいえ、私とフェリシアの家柄にはそれこそ雲泥の差がある。
丁重に出迎えられた私はまず応接間に通された。フェリシアも今日だけはお洒落に気合が入っている。おそらく侍女たちが大慌てで準備したのだろう。
「ごきげんよう、フェリシア様」
「ごきげんよう。あ、あの、私の部屋に案内いたしますわ」
「はい、ありがとうございます」
まずは軽く世間話から、というのがセオリーだが彼女に世間話ができるとも思えない。私としても話が早い方が助かった。
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