【短編小説】|見ていただけの男

よーすけ

見ていただけの男

アパートの三階に住んでいる。


古くて、湿気っぽくて、隣の音がよく響く。だけど、ここにいてもいい、ここがあなたの居場所なんだと、誰かが決めたような気がして、もう数年になる。


廊下に出ると、すぐ下には海が見える。

鮮やかな白い砂浜、青い海、どこか南国の風景をイメージできそうな、それほど綺麗な場所に、このアパートは存在していた。


傍には自衛隊の駐屯地もあった。付近には、未完成の家がぽつぽつ建ち始めていて、足場を組むお兄ちゃんたちが、必死に資材を担いで動き回っている。

あの日も、いつものように、僕は玄関の外からぼんやりとそんな風景を眺めていた。


そんな世界で、僕は少し孤独だった。


周りからも少し距離を取り、話す時は話すが、できるだけ最低限の会話で済ます。

別に誰かから嫌われているわけでもない。ただ、1人の世界が好きだった。


ある日の午後だ。

外の砂浜では、いつものように子連れの主婦や子どもたちが数人、元気よく笑顔で走り回っていた。

そんな砂浜を散歩し、僕は部屋に戻ってきた。


玄関を開けるとすぐに10畳ほどの一部屋があり、古いアパートだからか古くて湿気臭い雰囲気が強い。

そんな中で生活する僕は、ふと麻雀がしたくなってゲームを起動した。


画面が開き、可愛い女性キャラクターが案内をしてくれる。

「一からだな」と思い、最初から始める。

「こんな役があって、こう牌を組み立てれば上がれるよ。じゃあ、まずは対戦形式でこの役からやってみよう」

そう画面に指示されながら、相手と向かい合うなか、僕は牌を組み立て始めた。

組み立てる前に、相手が役を組み立てる。

「ああ、ダメかあ」

そう思いながら、どうしたらいいんだと困惑していた。


ふと、気分転換でもしようと、玄関前の外廊下に出てみる。

いつもの海沿いの浜辺、明るい日差しの中、白い大型車がゆっくり走ってくる。


その車は、砂浜の通路を走りながら海へ近寄り、そこまで大きくない1本の木が生えるその横へ、バックから駐車しようとしていた。

「砂浜でぼこぼこした地面だし、上手いこと停めれたらいいな。木の枝に引っかからないかな」

そんなことを思いながら、僕は眺めていた。


バックした車はもたつき、もう一度前へ進んで綺麗に停めなおそうとしていた。

すぐ目の前は海だったし、下手にアクセルを強く踏まないでくれよ。

僕はそう不安に思いつつ、頼むぞと緊張感が走った。


しかし、その車は予想通り、強くアクセルをふかし、凸凹した路面を跳ね上がりながら海へと突っ込んでしまった。


大変なことになった。

ブクブクと泡立てて沈みかけている白い大きな車を眺めながら、だけど、なんとかなるだろう、大丈夫だろう。

そう思い、誰かすぐに気付くだろうと思ったのか、僕は部屋に戻る。


誰かが通報したのか、サイレンを鳴らしながらすぐに救急や消防隊がやってきて、現場検証をはじめていた。


僕は、見ていたまま動かなかった。


外から声が聞こえてきて、その白い大きな車には、数十人の小さな子どもたちが乗っていたという。

まさか、と思った。走っていた時、そんな姿は見えなかったし、乗っていたとしても数人だろうと思っていたからだ。

子どもたちのうち、2人が亡くなり、引き上げながら調べているところだから、どうなってしまったのか確認中みたいだ。


僕の住んでいるアパートの3階にも見晴らしがとても良いからだろう、消防服を着た男性が数人やってきた。

廊下から外を見下ろし、とても晴れ渡る爽やかな海辺に沈む、白い大きな車を伺っている。

自宅前にきた彼らに距離の近さを感じた僕は、すかさず話しかけた。


「見ていたんです。最初から最後まで。」


そう聞いた消防隊員の男性は、少し驚いた表情をしていたが、安堵感のあるような顔で

「それは助かります。あの車がどうして海へ飛び込んだのか、はっきりと分かる方がいてくれると捜査が進みます。」

そう話してくれた。


僕は見ている、知っている!

それを伝えれただけで、僕の気持ちは少し落ち着いた。

その最中にも、新たに2人の子どもが亡くなっていると、発見された報告が聞こえてきた。

ただ、消防士の男性は少し苦笑いのような表情を浮かべて、僕にこう話しかけてきた。


「最初から見ていたというのに、なぜあなたはすぐに動かなかったのですか?」


僕は何も答えられなかった。

思ってもみなかった。

綺麗な世界で、想像の何倍もの子どもたちが乗り込んでいた白い大きな車。

沈んでいく姿と、少しずつ消えていく命。

見ているだけで良かったのかと自問自答する心の声。

僕にできることがあるのだろうか。

ふと、僕は心の中で、そんなことを考えた。


その日から、日記を付け始めることにした。

何が起きて、何を体験したのか、何を感じたのか、そして、何ができそうなのか。

自分で自分を深く見つめた先に、何があるのだろう。

あの、爽やかな浜辺の中で、車内にギュウギュウ詰めだった子どもたちに、僕は何かできただろうか。

そんなことを思いながら、僕は自分のことを書き始めた。



僕が書き始めたその日記は、数年後に誰かの手に渡るだろう。

親、それとも子をなくした人か、僕と同じように立ち止まった誰かか。

それが読まれたとき、ほんのわずかでも生きる力、生き延びる力になるとしたら、僕は命を感じるだろう。

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