第30話

「あ、ちょ、回復! 氷織、回復早く!」


「……うっさい。私はヒーラーじゃない。敵の攻撃パターンを覚える。見てから回避じゃ間に合わない」


「や、それが難しいんだな」


 画面の中では、派手なエフェクトを纏った巨大なドラゴンが火を噴き、私たちのアバターがHPを赤く点滅させている。オフの日の私の部屋。


 そこは、国民的アイドル・夕薙凪の生活空間というより、ただのゲーム好きが友人と遊んでいる城だった。


 ソファの隣には、同じグループのメンバー、朝霧氷織。彼女はキャラクターもののジャージを着て、クッションを抱えながら、冷静にコントローラーを操作している。


「うあー……負けたぁ……」


 ゲームオーバーの無慈悲な文字が画面に映し出され、私はコントローラーをソファに放り投げた。


「……で、いつまでやってるの? 『そっくりさんごっこ』」


 唐突に氷織がゲーム画面から目を離さずに言った。その声は、いつも通り、体温が感じられないほどフラットだ。


「や、別に。ごっこじゃないし」


「……ごっこでしょ。この前のフェス、歌詞、盛大に飛ばしてたじゃん。最前列にいたよね? 陽介。凪が動揺するなんて、よっぽどだよ」


「う……」


 図星を突かれて、言葉に詰まる。あの日の光景が、まざまざと蘇る。最前列で、きょとんとした顔で私を見上げる陽介。まさか、あそこにいるなんて思わなかった。


 それに動揺したのも事実だし、動揺して歌詞を飛ばすなんてプロ失格であることもまた事実だった。


「……ていうか、まだ気づかないの? 自分の飲み友達がそっくりさんじゃなくて本人だって」


「気づかないんだよにゃあ、これが」


「……なんで?」


「なんでだろうねぇ……」


 嬉しいのか、悲しいのか、もどかしいのか。自分でも、この感情が何なのか分からない。ただ、このままずっと「そっくりさん」でいるのは、なんだか、少しだけ嫌だった。


 私の葛藤を見透かしたように、氷織はため息を一つついて、コントローラーを置いた。


「……面倒くさい。もう夕薙凪として会えばいいじゃん」


「え!?」


「……その方が話が早い。ぐだぐだ悩んでるとこを見てるこっちが疲れる」


「や……で、でも、そんなことしたら……陽介、びっくりするよ。びっくりを通り越してぼっこりかも。もう、会ってくれなくなるかもしれないし……」


「このままじゃ、ずっと『そっくりさん』のままだよ。それでもいいの?」


 氷織のまっすぐな視線が突き刺さる。


 ……それでも、いいの?


 良いんじゃないか? や、良くないか。いやいや、良いんじゃないの? や、よくないね。


 胸の奥で何度も行ったり来たりする。


「……わかった。じゃあ、氷織もついてきて」


「……なんで私が?」


「一人じゃ無理! 怖いもん!」


「……はあ。エナドリ、1ヶ月分」


 氷織は指を四本立てた。


「や、一週間じゃない?」


 私は負けじと減額交渉に望む。


「……3週間」


「2週間」


「……契約成立」


「ん。じゃあ今日ね」


「……今日!?」


 氷織は目を丸くして驚いている。だが、善は急げだ。


 ◆


 いつもの河川敷のベンチ。俺はスマートフォンでニュースサイトを眺めながら、七瀬さんを待っていた。


 秋が深まって、川面を渡ってくる風が少し肌寒い。そろそろ、温かい飲み物の季節だな、なんてことを考えていた時だった。


 聞こえてきたのは、一人分の足音ではなかった。


 二つの、軽い足音。顔を上げ、俺は自分の目を疑った。脳が、目の前の光景を理解するのを拒否している感じ。心臓が、どくん、と大きく跳ねた。


 そこに立っていたのは、七瀬さんと朝霧さん……ではなかった。


 この前のフェスで、ステージのど真ん中にいた、国民的アイドルの夕薙凪。その人だった。


 七瀬さんとは瓜二つ。だが、その人がまとっている雰囲気は確実に夕薙凪だった。


「えっ!? ゆ、夕薙凪!? と、朝霧さん!? な、なんでここに!?」


 頭が真っ白になった。ドッキリか?いや、でもカメラなんてどこにも見当たらない。二人とも、ステージ衣装じゃないラフな格好だけど、それでも、そこにいるだけで空気が違う。オーラが、すごい。


 俺がパニックになっていると、朝霧さんは俺の隣に腰掛けた。このままだと普段は七瀬さんが座っている場所に夕薙さんが座ってしまう。それは、この後七瀬さんがやってきた時に申し訳ない。


 だから俺は少しだけズレて七瀬さんの定位置に座り直した。


「……凪も座れば?」


 その声に促されて、夕薙凪が、おずおずとこちらに近づいてくる。


 夕薙凪は、朝霧さんの隣のスペースではなく、その、俺の前で立ち止まった。そして戸惑ったように俺に尋ねる。


「あの……そこに座ってもいいかな? 今、相川さんが座ってるところ」


 その声は、七瀬さんの声によく似ていた。当たり前だ。そっくりさんなんだから。でも、少しだけ、知らない人の声のような気もした。彼女のシンプルな問いに、俺はなぜかはっきりと「ノー」だと思った。


 この場所は、違う。この席は、夕薙凪が座る場所じゃない。ここは、俺が、あの面倒くさくて、少し寂しげで、でも、誰より優しい、七瀬さんと話すための場所なんだ。


 俺は、申し訳ないと思いながらも、きっぱりと言った。


「すみません。ここは……大事な場所なんです。今から、他の人が来て、ここに座るかもしれなくて」


 俺がそう言った瞬間だった。


 夕薙凪は、信じられないものを見たかのように、目を丸くした。そして、次の瞬間、顔が、耳まで真っ赤に染まっていくのが分かった。彼女は、燃えるように熱くなった顔を隠すように、ぷいっと、すごい勢いで横を向いてしまった。


 え、俺、何か変なこと言ったか?


 混乱する俺の視界の隅で、もう一人の人物、朝霧氷織さんは、その光景の一部始終を見て、ニヤリと、本当に楽しそうに口の端を吊り上げた。


 そして、手に持っていたエナジードリンクの缶を、カシュッ、と小気味良い音を立てて開けると、まるで世界で一番面白いショーでも観ているかのように、ゆっくりと、それを喉に流し込んでいた。


 訳が分からない。俺は、ただただ、顔を真っ赤にしてそっぽを向く国民的アイドルと、それを肴にエナジードリンクを飲む、もう一人の国民的アイドルの間で、完全に固まっていた。




 

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