第25話

 雨上がりの河川敷はいつもよりジメジメしていた。気温はそこまで高くないものの、湿度が高いため不快指数はそれなりだ。


 そんな日でも七瀬さんは律儀に待っていた。地面が濡れているため、一人でぽつんと立っているのでおばけにも見える。


「七瀬さん、おまたせ」


 俺が声を掛けると七瀬さんがいつもの気だるそうな表情で振り向いた。


「やっほ、陽介」


「地面、濡れてる?」


「ん。そうだね。座るのはちょっと微妙な濡れ具合」


 七瀬さんはずっと立っていたらしく、足を動かしながら答えた。


「じゃ……ここで立ち飲みかな」


「や、折角だし歩かない? この辺」


「それもいいね」


「じゃ、決まり」


 七瀬さんはニヤリと笑い、回れ右をした。


 二人で河川敷を歩き始めると、雨上がり特有の香りが鼻をくすぐった。


「や、ゲオスミンの香りだ」


「ゲオスミン?」


「この『雨上がりの香り』の成分だよ」


「成分で言わなくても……まぁ雨上がりの匂いだね」


「ん。ゲオってる」


「急に嫌な感じになるね!?」


 七瀬さんは「ふふっ」と笑って缶チューハイを口にした。


「七瀬さん、そこ水たまりだよ」


「おっ、わっ」


 七瀬さんは水溜りを避けるために慌てて俺の方に飛んだ。勢い余って転けそうになるところを支えると、七瀬さんは「んふー」と笑いながら自分の手についたレモンの七パーセントを口で拭った。


「なっ……なんか今日大丈夫?」


「何がゲオ?」


「語尾がおかしくなってるよ!?」


「おかしくないゲオ〜」


 かんっっっぜんに酔ってる。座って話したほうが良さそうなのだがこんな日に限って座る場所がない。


 一人で歩き始めた七瀬さんは水溜りを不必要なくらいに大回りして俺にぶつかってきたり、離れていったりしている。


「本当……大丈夫?」


「ん、大丈夫……でもなくて。や、私今日はちょっと目が悪くてさ。水溜りが見えづらいんだよね。陽介、盲導犬になってくれい」


 七瀬さんはそう言うと、俺の横にピタリと付けて手を握ってきた。


「めっ、目が悪いの? 前に良いって言ってたような……」


「ん。今日はたまたまそういう日だから。たまたま、ね」


 七瀬さんはそう言ってギュッと手を握ってくる。


「まぁ……転けたら危ないもんね」


「ふはっ……そういうこと」


 二人で空いた手に缶を持ちブラブラと宛もなく歩く。


「ね、陽介」


「どうしたの?」


「ちょっとだけ、私の面倒なところを見せてもいい?」


「これじゃなくて?」


 俺は冗談めかしてそう言い、握り合っている手を揺らす。


「ふはっ……とか言いながら陽介も握ってきてるくせに」


「まっ、まぁそれはそれとして! で、何?」


「このゲオの、雨の後の匂いを異常にありがたがる人、やだね」


「あ、面倒な人が言いそうなことだ。メタのメタのメタくらいから冷めた目で見てる人のセリフだ」


「ふふっ……そう。そういうこと。陽介を待ちながら一人で考えてたんだ。『この匂い、いいなぁ〜』って言う自分と『それを考えてる自分に酔ってるだけじゃね?』って自分と『全部斜に構えて見てんな〜』って自分と三すくみなんだよね」


「最後の人が一番生きやすそうだね」


「ね。人のことなんて気にしなきゃいいのにね。ま、全部が自分なんだけど」


「でも、自分って存在が色んな人の鏡みたいになってるってことじゃないの?」


 俺が思いつきで言うとそれがやけに七瀬さんに刺さったらしく「なるほど……」とやけに低い声で唸った。


「まぁ……でもそうかもね。たくさんの人に好かれるためにはそうしなきゃだし」


「スタイリストの世界も大変だねぇ……会社員とは違って仕事を自分で作らないといけないし」


「ふふっ……ま、そういうことだね」


「けど……なんか多重人格みたいだね。自分を俯瞰してる自分と、それをさらに俯瞰してる自分がいるなんてさ」


 七瀬さんは「多重人格……それはそれでアリかな」と独り言のように呟いた。


「アリなの!?」


「や、無しだよ、無し。ちょっと使えるかなって思ったけど」


「何に!?」


「や、例えばだけどスタイリストをしてる私以外の人格の私がいるとして、その人がアイドルをしているとかさ」


「七瀬さんがアイドルかぁ……」


「えっ、ダメそう?」


「ううん! そんな事ないよ。思ったことは2つあって……真っ先に思ったのは夕薙凪のそっくりさんだって消費をされちゃうだろうから勿体ないなって。それと……メタのメタくらいの人格の方が万人受けはしそうかもね」


「河川敷モードはダメかな?」


「俺は……まぁ、一番いいと思うけどね。今が」


「……ナラヨシ」


 七瀬さんは聞き取りづらい早口でそう言い、握っている手に力を込め、腕が当たるくらいまで距離を詰めてきた。


「えっ、な、何?」


「なんでも。水溜りがあったから」


「見えてるじゃん……」


「そこは鋭いんだね」


「基本そんなに鈍くないはずだけどなぁ……」


「ふふっ……キホンのキまではね」


 七瀬さんが手に力を込めるとこっちも返すように力を込める。そのやり取りができるくらいには鈍くはないはずなのだが、どうも俺が察していない他の何かがあるようだった。


 ―――――


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