第22話

 日曜日の昼下がり、俺たちは神保町で待ち合わせることになった。


 時間は厳密には決めず、各々が起きたら支度をして待ち合わせ場所のカフェチェーンに向かう形。


 店内の端の席に座り、七瀬さんを待ちながらスマートフォンをいじっていると背後から「お待たせ、陽介」と声をかけられた。


 振り向くと、そこには七瀬さんらしきパーカーとショートパンツを着た人が立っていた。異質なのは、顔が大きなサングラスとマスクと帽子で完璧に隠されていて、変装の域を超えた不審者と化していた。


「なっ……七瀬さん……だよね?」


「ん。そうだよ。見間違える人、いる?」


「まぁ……そっくりな人が一人くらいは……」


「や、そうだったね」


 普段の会話だとここでにやりと笑うんだろうけど、サングラスとマスクで隠れていて目と口元は見えない。サングラスを少しずらすと、確かに七瀬さんと夕薙凪しか持っていない綺麗な瞳が見えたので本人だと分かる。


 七瀬さんは夕薙凪だと間違えられるのが苦痛なんだろう。芸能人ではないのに、並の芸能人以上の対策を取らざるを得ない生活に同情してしまう。


「なんかさ……あれみたいだね」


「あれ?」


「あのさ……あれだよ、あれ」


「や、わかった。顔出しは頑なにしないけど身体を晒してチヤホヤされたい一昔前の配信者くらい雑に顔を隠してるって言いたいんだよね、陽介」


「そこまで悪意はこもってないよ!?」


「や、違ったか」


「今さ、サングラスとマスクをしてるのに七瀬さんがニヤけてるのが分かるよ」


「その調子だと下着で透視してそうだね」


「七瀬さん!?」


「ふふっ……行こっか? まずは本屋から。でしょ?」


 七瀬さんは顔を完全に隠していることを良いことに言いたい放題、やりたい放題だ。素顔を見せないまま、俺に手を伸ばして立たせてきた。


 ◆


 俺たちはまず、大きな書店の中に入った。 ひんやりとした、空調の効いた空気と新しい紙とインクの匂い。落ち着く匂いだ。


「陽介は、いつも、どのコーナー見るの?」


「俺はやっぱり文芸と……あとはデザイン関係の本かな。仕事の参考にもなるし」


「ん、そっか……私は、こっち見てていい?」


 彼女が指差したのはファッション雑誌のコーナーだった。 そっか。スタイリストだもんな。やっぱりこういうところで勉強してるんだ。


 俺たちはしばらく別々の棚をぶらぶらと見て回った。


 時々、遠くに彼女の姿が見える。 真剣な顔で、分厚い雑誌を立ち読みしている。 その仕事モードの横顔は、河川敷で見るいつもの彼女とは、少しだけ違って見えた。


 まぁ、サングラスとマスクで顔は隠れているので俺の想像でしかないのだけど。


 三十分ほどそうしていただろうか。 彼女が、俺のところに小走りでやってきた。


「ね、陽介。見て見て、これ」


 彼女が差し出したのは、海外の古い街並みがたくさん載っている大きな写真集だった。石造りの町並み、どんよりとした空、木のない草原。どれも異国情緒あふれる風景だ。


「綺麗だね。どこだろう、これ」


「わかんない。でもいつか、こういう、誰も、私のことを知らない街をのんびり歩いてみたいなって」


 彼女は、そう言って、少しだけ、遠い目をした。サングラスをしているので俺の想像だけど。


 ◆


 本屋を出た俺たちは、いよいよ今日のメインイベントへと向かう。 テレビや雑誌で紹介されている、超有名ラーメン店。


 だが。


「うおぉ……」


 店の前に着いた瞬間、俺たちは言葉を失った。 休日の行列は俺の想像を遥かに超えていた。店の角を曲がりその先まで長蛇の列が続いている。


「や……こ、これは……昼食っていうか……夕飯になりそ?」


「だよね……三時間……いや、四時間待ちかな……」


 完璧な休日は、開始から数時間であっけなく崩れ去る。せいぜい1時間と高を括っていたのは同じだったらしく、これには並べないと同時に二人で回れ右をした。


「ごめん、七瀬さん。せっかく、付き合ってくれたのに……」


 俺が心底申し訳ない気持ちで謝ると、彼女は俺の顔を見てくすくすと笑った。サングラスとマスクをしているが、多分目が細くなって笑っているんだと分かる。


「や、大丈夫。こういう想定外も楽しい。そしたらさ――」


 彼女が、何かいたずらを思いついた子供みたいな声色で言った。


「陽介のお家行ってもいい?」


「え……?」


「ラーメンの代わりのカップ麺にしよ。お部屋の掃除、してる?」


 そのあまりにも大胆で無邪気な提案。 俺の心臓が、また大きく跳ね上がる。


「い、いいけど……うち、本当に何もないよ?」


「ん。何もなくていいよ。私がいるんだからね。行こ? まずは兵糧の調達からだよ。カップ麺以外にも相棒がいるし」


「もしかして……七パーセント?」


「ん。レモン。コップはある?」


「それはさすがにあるよ!?」


 彼女は笑い声を上げながら俺の腕を軽く引っ張った。


 ◆


 初めて二人で訪れる俺の部屋。 物が少なく生活感のないただのワンルーム。


 彼女は、部屋に入った瞬間にマスクとサングラス、帽子を取って「わ、本当に、何もない」と楽しそうに笑った。


 あまりにも見慣れた姿、しかも河川敷で会うことが普通の人が、俺の見慣れた部屋にいる。その不思議な光景に、心臓が少しだけそわそわした。


 俺たちはコンビニで買った少しだけリッチなカップ麺に湯を注ぐと、テレビの前に並んで座った。


「さてさて……いい感じの休みだね」


「ほっ……本当に?」


「ん。本当に。外、暑いからさ」


「ま……たしかに。映画は……なんでもいいか」


「ん。なんでも良いよ」


 サブスクリプションのアプリで適当にランキングから選んだ邦画を流す。ジャンルも何もわからないけれど、とりあえず陰鬱とした雰囲気から始まったので、有名ラーメン店ではなくカップ麺をすすりながら食べるにはちょうど良さそうだ。


 5分くらいして出てきたのは夕薙凪。話したこともない人なのに見慣れた人だ。


「あ、七瀬さんだ」


 俺が何の気なしにそう呟いた。


 すると隣に座る七瀬さんがぶふっとむせた。


 さっきまで楽しそうに麺をすすっていたのに、ぴたりとその動きを止めてじっとテレビ画面を睨んでいる。


「や、夕薙凪じゃん。私じゃないよ」


「あ……そうだよね。相変わらず似てるなーって思ってさ」


「ま、それなりにね」


「けど……可愛い系アイドルってイメージなのに、こんな鬱鬱とした雰囲気の映画に出るんだね……なんかこう……中学生が見るようなラブコメ映画みたいなやつならまだわかるけど」


「ま、可愛いキュートでやれるのって若い時だけだしね。将来に向けて仕事の幅を増やすってなると、俳優は割とアリ。今からやってるのは、俳優が『体当たりの演技』をしても普通だけど、現役アイドルがやると『あの人が!』ってなって実力以上に評価してもらえるからだよね」


「さすがアンチの論評……自分ごとのように容赦ないね……」


 また七瀬さんはラーメンでむせた。


「大丈夫? 辛い?」


「や、辛くないよ」


 七瀬さんは赤いスープの付いた口角を上げてニヤリと笑った。


 映画に視線を戻す。どうやら夕薙凪は重要な役ではあるものの、主人公サイドではない様子。主人公側のヒロインを務めているのは若手の人気女優だった。


「あー……名前なんだっけ。あ! 瀧村たきむら華蓮かれん。この人、人気だよね。美人だしさ」


 密かに推している女優の登場に心を昂らせる。


 ふと隣を見ると七瀬さんの口が、少しだけ、尖っている。


「……ふーん」


 彼女の、そのあからさまに不機嫌な声。


「どうしたの、七瀬さん?」


 俺が尋ねると、彼女はぷい、とそっぽを向いて缶チューハイを口にした。


「別に……でも、夕薙凪だって演技うまいもん。可愛いもん。負けてないし」


 その対抗心丸出しの子供みたいな言い方に、俺は思わず笑ってしまった。


「アンチも褒める夕薙凪……まぁ、確かに違和感ないし悪役も似合ってるよね」


「でしょ? それに、瀧村華蓮って性格悪いらしい。現場で会ってもスタッフさんに挨拶はしないし、マネージャーにはパワハラ紛いのことをしてるし、セリフ覚えも遅いし、NGテイク出しまくるし、遅刻は常習犯だし……何回撮影のスケジュールを押させたんだって感じ……って……きっ、聞いたことあるなぁ……あは……あはは……」


 七瀬さんはかなり気持ちの入った言い方で瀧村華蓮のネガティブキャンペーンを繰り広げている。


 スタイリストだと、色んなところから色んな話を聞くんだろう。こういうことを言ってくれるのは、それを俺が言いふらす訳でもないと信用してくれている証なのかもしれない。


「ね、ねぇ。七瀬さんってさ……」


 俺がふと気づいたことを聞きたくなり、声を掛ける。


 七瀬さんは「ん。どうしたの?」と少しだけ警戒するような態度で聞いてきた。


「七瀬さん、芸能人で嫌いな人多いんだね。夕薙凪より瀧村華蓮の方がよっぽどアンチしてるよ」


 俺がそう言うと七瀬さんがずっこける。


「ふはっ……ん。そうなんだよね。私、多分だけど基本的に人間が好きじゃないんだ。好きなのは特定の関係性に限られた人……かな」


「そ、それって……」


「よっ、陽介ってことじゃないよ!? そのー……ほっ、ほら! ファン的な! アイドルとファン的な関係の話! 推し活的な!」


「そっ、そういうことね……びっくりしたぁ……」


 七瀬さんは何故かまたむくれて俺の肩を叩いてきた。


「びっくりすんなし」


「すんなし?」


「ん。すんなし」


 七瀬さんは目の敵のように瀧村華蓮を睨みながらラーメンのスープを啜っていた。


―――――


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