第2話 ゼミ室にて

 その日、ゼミではプレゼン資料の打ち合わせがあった。

 真帆はパソコンを前に、少し緊張した様子でメモをまとめている。

 向かい側には、穏やかな表情の男子――藤田ふじた陽太ようたが座っていた。


「このデータのとこ、グラフにしてみようか?」

「あ……はい、わかりました」


 陽太は物腰が柔らかく、いつも誰に対しても平等に接している。

 静かだけど、どこか空気をやわらかくしてくれる人。


 真帆は内心、ちょっと苦手だった。

 ……優しくされると、なんだか構えてしまうから。


 資料作りがひと段落すると、陽太がふと真帆の肩のあたりに視線を向けた。


「肩、ちょっとつらそうだね」

「え?」

「姿勢……こう、前かがみになってるというか。肩甲骨あたりが固まってる感じ」


 ドキッとする。

 図星だった。


「そういうの、分かるんですか……?」

「最近、ちょっと勉強してて。身体をほぐす系のこと。マッサージとか、リンパとか」

「へえ、――マッサージを」


 思わず笑ってしまった。

 だって、陽太の手って――なんだか、ほんとにあたたかそうだったから。


「どういうマッサージですか? リラックス系とか、スポーツ系とか」

「うーんと、」


 陽太はちょっと考えて、


「エステ系、っていうのかな。血行促進して痩せやすい体質に変えたりとか。そういうの」

「エステ、すごいですね」


 真帆は、唐突に口から出た。

 でも、それは今日ずっと胸にあったモヤモヤが、ほんの少しだけこぼれただけだった。


「もしかして、とかもできますか?」


 言ったあと、真帆は思わず手で口をおさえた。

 顔が一気に熱くなる。


 その反応を見て、何かを悟ったのかもしれない。

 冗談とも、本気とも受け取らず、陽太はしばらく静かに真帆の目を見ていた。


「真帆ちゃん、体のことで悩んでるの?」

「い、いや、えっと」一瞬ごまかそうとして「……はい」

「そっか」


 もう一度、陽太は静かにうなずいた。

 からかいもせず、否定もせず、ただそっと受け止めるように。


「わかった。じゃあ、育乳マッサージ、やろうか」

「えっ!?」


 驚いて、声が出た。


「少しずつだけどね。……無理せず、まずは体をゆるめるところから」

「ほんとに? ……ありがとうございます」


 そのやりとりは、誰に見られるでもない、ほんの短い会話だったけれど――

 真帆の胸の奥にあった、こわばった何かが、すっと緩むのを感じていた。

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