第40話「小瑠璃の技術」

 夏祭り当日の朝、みずきは早めに体育館に向かった。


 昨夜からの雨は止んでいたが、空はまだ雲に覆われている。でも、体育館があるおかげで天気を心配する必要はない。恵奈えなの判断が、今日という日を守ってくれた。


 体育館に入ると、小瑠璃こるりがすでに来ていた。舞台の前で、何かの作業に集中している。


「おはよう、小瑠璃ちゃん」


 みずきが近づくと、小瑠璃が振り返った。その手には、美しい折り紙の花が握られている。


「おはようございます、みずきさん」


 小瑠璃が微笑んだ。


「少し早く来て、追加の装飾を作っていましたの」


「まあ、きれい」


 みずきが感嘆した。小瑠璃の手の中にあるのは、精巧に折られた桜の花だった。本物と見間違えるほど美しい。


「どうやって作るの?」


「祖母に教わったんです」


 小瑠璃が嬉しそうに答えた。


「昔から、お祭りの時には皆で花を作って飾ったそうです」


 小瑠璃の周りには、既に十数個の折り紙の花が並んでいた。桜、梅、菊、牡丹ぼたん。どれも驚くほど精密で美しい。


「小瑠璃ちゃん、これは芸術作品よ」


 みずきが一つ一つを手に取った。折り紙とは思えない立体感と色合いの豊かさに、心が躍る。


「そんな、恥ずかしいですわ」


 小瑠璃が頬を染めたが、その表情には誇らしさもあった。


「でも、喜んでいただけて嬉しいです」


 その時、体育館の入り口から恵奈が駆け込んできた。


「おはよう、二人とも」


 恵奈が息を切らしながら近づいてきて、小瑠璃の作品を見て目を丸くした。


「小瑠璃ちゃん、これは何?」


「折り紙の花ですわ」


「信じられない」


 恵奈が一つの花を手に取った。


「本物みたい。いえ、本物より美しいかも」


 みずきは恵奈と同じ驚きを感じていた。小瑠璃の手先の器用さは知っていたが、これほどとは思わなかった。繊細な技術と芸術的な感性が合わさって、まるで魔法のような作品を生み出している。


「実は」


 小瑠璃が少し恥ずかしそうに言った。


「昨夜から気になっていたことがありまして」


「何が?」


 みずきが聞いた。


「体育館は確かに広くて素敵ですが、屋外のお祭りのような華やかさに欠けるのではないかと」


 小瑠璃が体育館を見回した。


「それで、少しでも美しく飾れればと思って」


 みずきの胸に、温かい感動が広がった。小瑠璃は昨夜から、みんなの喜ぶ顔を思い浮かべながら、一人で花を折り続けていたのだ。その優しさと献身的な気持ちに、みずきは深く心を動かされた。


「小瑠璃ちゃん」


 みずきが小瑠璃の手を取った。


「あなたって、本当に素敵な人ね」


「みずきさん」


 小瑠璃が照れたように笑った。でも、その手は温かく、少し震えている。きっと一晩中作業していて疲れているのだろう。


「わたしも手伝うわ」


 恵奈が袖をまくった。


「作り方を教えて」


「わたしも」


 みずきが加わった。


「三人でやれば、もっとたくさん作れるでしょう」


 小瑠璃の目が輝いた。


「ありがとうございます」


 三人は床に座って、折り紙の花作りを始めた。小瑠璃が丁寧に手順を教えてくれる。


「最初に、こうして対角線に折って」


 小瑠璃の指先が優雅に動く。みずきは小瑠璃の手元を見つめながら、その美しい動きに見惚れていた。まるで舞踊ぶようを見ているかのような、流れるような手さばき。


「小瑠璃ちゃんの手、きれいね」


 みずきがつぶやくと、小瑠璃が顔を赤くした。


「そんな」


「本当よ」


 恵奈も同意した。


「芸術家の手みたい」


 作業を続けているうちに、他のお手伝いの人たちも集まってきた。


「まあ、美しい花ですね」


 町内の鶴田おばさんが感嘆した。


「これは折り紙ですか?」


「はい」


 小瑠璃が謙遜しながら答えた。


「青山さんの作品ですの」


「素晴らしい技術ですね」


 鷺沼さんも加わった。


「これがあれば、体育館がぐっと華やかになります」


 小瑠璃は照れながらも、嬉しそうだった。自分の技術が認められ、役に立っていることが実感できるのだろう。


「みんなでお手伝いしましょう」


 大人たちも折り紙作りに参加した。小瑠璃が先生役となって、やり方を教えている。


 みずきは小瑠璃の姿を見ながら、胸の奥で誇らしい気持ちが膨らんでいくのを感じた。恵奈には優れた判断力があり、小瑠璃には美しい技術がある。そして自分には…


 みずきの心に、ふと不安がよぎった。万年筆の力以外に、自分には何があるのだろう。


「みずきちゃん」


 恵奈が心配そうに声をかけた。


「どうかした?」


「いえ、何でもないわ」


 みずきが微笑んだ。でも、恵奈の優しい眼差しが、みずきの心の動揺を見抜いているようだった。


 午前中いっぱいかけて、折り紙の花は五十個以上になった。それらを提灯や短冊と組み合わせて飾ると、体育館が見違えるように美しくなった。


「素晴らしいですね」


 午後になって訪れた燕川校長先生が感嘆した。


「これなら屋外のお祭りに負けません」


「青山さんの折り紙のおかげです」


 鷺沼さんが小瑠璃を紹介した。


 小瑠璃は恥ずかしそうにお辞儀をしたが、その表情には深い満足感があった。


「小瑠璃ちゃん」


 昼休みの時、みずきが小瑠璃に近づいた。


「今日のあなた、とても素敵よ」


「ありがとうございます」


 小瑠璃が微笑んだ。


「でも、みずきさんも恵奈さんも、一緒に手伝ってくださったから」


「でも、技術はあなたのものよ」


 恵奈も加わった。


「わたしたちは教わっただけ」


 三人は寄り添って座った。小瑠璃の手には、まだ折り紙の跡が残っている。その手を見つめながら、みずきは思った。


 小瑠璃の技術は、万年筆の力とは違う。でも、同じように人を幸せにする力がある。努力と練習で身につけた、確かな力だ。


 みずきの心に、静かな気づきが生まれていた。


 万年筆の力も大切だが、それぞれが持つ固有の才能も、同じくらい価値がある。


 そして、三人が力を合わせた時、どんな素晴らしいことができるかを、今日初めて実感した。


 夏祭りは、まだ始まったばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る