第38話「夏祭りの問題」

 一週間後、夏祭りの準備が本格的に始まった。


 三人は放課後、町内会館に集まって作業をしている。広い和室に、色とりどりの紙や布、筆や絵具が並べられていた。


提灯ちょうちんの絵付けは順調ですわね」


 小瑠璃こるりが手を休めて、完成した提灯を眺めた。可愛らしい金魚の絵が描かれている。


「小瑠璃ちゃんの絵、本当に上手」


 恵奈えなが隣から覗き込んだ。二人の肩が触れ合うほど近くにいて、みずきは微笑ましく思った。


「恵奈ちゃんの短冊も素敵よ」


 みずきが恵奈の作品を見た。流れるような文字で「皆様の幸せを願って」と書かれている。


 みずき自身は、提灯の骨組み作りを担当していた。細かい作業だが、手を動かしていると心が落ち着く。万年筆のことを考える時間も減る。


四條しじょうさん、器用ですわね」


 町内会のおばさんが感心して言った。


「とても丁寧な仕上がりです」


「ありがとうございます」


 みずきが謙遜しながら答えた時、会館の入り口が慌ただしく開いた。


「大変です!」


 町内会長の鷺沼さぎぬまさんが息を切らして入ってきた。


「どうなさいました?」


 大人たちが集まってくる。


「明日から三日間、雨の予報が出たんです」


 鷺沼さんが困った顔で続けた。


「しかも、かなり激しい雨になりそうで」


 会館内がざわめいた。お祭りは屋外で行われる予定だった。


「屋根のある場所は限られていますし…」


 別の大人が心配そうに言った。


「子供たちも楽しみにしていたのに」


 みずきの胸に、強い衝動が走った。万年筆を使えば、天気を変えることができるかもしれない。いや、以前試した時は万年筆が拒否したが、今度は違う。みんなのためなら、きっと…


「みずきちゃん」


 恵奈が小声で呼んだ。みずきの表情の変化に気づいたのだろう。


「大丈夫?」


 みずきははっとした。恵奈の心配そうな顔を見て、自分が何を考えていたのかを振り返る。また、万年筆に頼ろうとしていた。


「ええ、大丈夫」


 みずきが小さくうなずいた。


「でも、どうしましょう」


 大人たちの相談が続いている。会館の和室だけでは、とてもお祭りの規模を収容できない。


「延期するしかないかもしれませんね」


 鷺沼さんがため息をついた。


「でも、準備はもうほとんど終わっているし、皆さんの予定もあるし…」


 その時、恵奈が立ち上がった。


「あの、すみません」


 恵奈の声に、大人たちが振り返る。


「小学校の体育館をお借りできないでしょうか」


「体育館?」


 鷺沼さんが考え込んだ。


「確かに、屋根があって広いですが…」


「わたし、田辺先生にお聞きしてみます」


 恵奈が積極的に提案した。


「学校行事ではありませんが、町内の方々のためなら、きっと相談に乗ってくださると思います」


 みずきは恵奈の横顔を見つめていた。自分が万年筆の力に頼ろうとしている間に、恵奈は現実的で建設的な解決策を考えていた。恵奈の真っ直ぐな瞳に、深い感動を覚える。


「それは良いアイデアですね」


 鷺沼さんの顔が明るくなった。


「すぐに学校に連絡を取ってみましょう」


 その後の展開は早かった。田辺先生が快く体育館の使用を承諾しょうだくしてくださり、お祭りの会場変更が決まった。


「恵奈ちゃん、ありがとう」


 帰り道、みずきが恵奈の手を取った。


「あなたのおかげで、お祭りが救われたわ」


「そんな、わたし一人の力じゃないわ」


 恵奈が謙遜けんそんしたが、その手は温かかった。


「でも、素晴らしい提案でしたわ」


 小瑠璃も恵奈の腕に自分の腕を絡めた。


「みんなが喜んでいましたもの」


 三人は腕を組んで歩いた。夕暮れの道で、自然と歩調が合う。


「実は」


 みずきが正直に打ち明けた。


「わたし、最初は万年筆のことを考えてしまった」


「天気を変えることを?」


 恵奈が聞き返した。


「ええ」


 みずきが頷いた。


「でも、恵奈ちゃんを見ていて気づいたの。まず人間の力でできることを考えるべきだって」


「みずきさん」


 小瑠璃が優しく言った。


「それは大切な気づきですわね」


「そうね」


 恵奈も同意した。


「万年筆の力は確かに素晴らしいけれど、わたしたち自身の力も大切よ」


 みずきの心に、静かな安らぎが広がった。万年筆に頼る前に、まず自分たちにできることを考える。それが正しい順序なのかもしれない。


「でも」


 恵奈がふと立ち止まった。


「もし体育館でも問題が起こったら、その時は万年筆のことも考えましょう」


「恵奈ちゃん」


「みずきちゃんの力を否定しているわけじゃないの」


 恵奈がみずきの手を握り直した。


「ただ、順番があるということよ」


 みずきは恵奈の考えの深さに感動した。万年筆の力を否定するのでもなく、過度に依存するのでもなく、適切な使い方を見極めようとしている。


「ありがとう、恵奈ちゃん」


 みずきが心から言った。


「あなたがいてくれて、本当に良かった」


 その夜、みずきは万年筆を手に取った。


「あなたの力も大切だけれど、まず自分たちの力を試してみるわね」


 万年筆が、いつもより温かく感じられた。まるで、みずきの考えに賛同してくれているかのように。


 明日から雨が降るかもしれないが、体育館という解決策がある。三人で力を合わせれば、きっと素晴らしいお祭りにできるはずだ。


 みずきは安心して、万年筆を大切にしまった。


 友達と一緒なら、どんな困難も乗り越えられる。そんな確信が、みずきの心を満たしていた。

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