第28話「小瑠璃の支え」

 次の日の昼休み、みずきは小瑠璃こるりと二人きりで教室にいた。


 恵奈えなは図書係の仕事で図書室に行っていて、他のクラスメートたちも外で遊んでいる。


 みずきは昨夜考えたことを、小瑠璃に話してみようと思った。万年筆の秘密を共有している小瑠璃になら、正直に話せるかもしれない。


「小瑠璃ちゃん」


 みずきが机に向かって言った。


「わたし、最近ずっと考えていることがあるの」


「何ですの?」


 小瑠璃が優しく聞いた。


「田辺先生のお母様のこと」


 みずきが声を落とした。


「もし、あの万年筆を使えば…」


「みずきさん」


 小瑠璃が静かに割り込んだ。


「まだそのことを考えていらっしゃるのですね」


 みずきが頷くと、小瑠璃は少し困ったような表情をした。


「わたくしも、実は同じことを考えていましたの」


「本当?」


「ええ。針の件の後、万年筆のことをずっと考えていました」


 小瑠璃が窓の外を見た。


「あの時、わたくしの祖母の大切な針が直って、本当に嬉しかった。でも、同時に少し怖くもなりました」


「怖い?」


「そんな不思議な力を、わたくしたちが持っていいのかしらって」


 小瑠璃の言葉に、みずきは深く頷いた。自分だけではなく、小瑠璃も同じような気持ちでいたのだ。


「目黒さんに相談したの」


 みずきが小瑠璃に、古道具屋での会話を話した。万年筆の限界について、そして人を助けることの本当の意味について。


「そうですのね」


 小瑠璃が深くうなずいた。


「目黒さんのおっしゃる通りですわ」


「でも」


 みずきが迷うように続けた。


「それでも、心のどこかで思ってしまうの。もしかしたら、と」


 小瑠璃が立ち上がって、みずきの隣に座った。


「みずきさん」


 小瑠璃が優しく手を取った。


「わたくし、あの時のことを思い出しますの」


「針の時?」


「ええ。あの時、万年筆を使った後、みずきさんはとてもお疲れになった」


 確かに、針を直した後は激しい疲労を感じた。


「それに、万年筆が教えてくれましたでしょう?」


 小瑠璃が続けた。


「天気を変えようとした時、人の心を変えようとした時、万年筆は拒否してくださいました」


 みずきは思い出した。雨を止めようとした時の万年筆の熱さ。鶫沢つぐみざわさんの件での強い拒否感。


「万年筆は、みずきさんを守ろうとしてくださっているのだと思いますの」


 小瑠璃の声は温かかった。


「だから、わたくしたちは万年筆の声に耳を傾けるべきなのではないでしょうか」


 みずきの胸に、静かな安心感が広がった。


「そうね」


 みずきが微笑んだ。


「万年筆は、わたしより賢いのかもしれない」


「きっとそうですわ」


 小瑠璃も微笑んだ。


「そして、みずきさんはもう十分に学んでいらっしゃる。人を助けることの本当の意味を」


 その時、教室のドアが開いて恵奈が戻ってきた。


「お疲れ様」


 恵奈が明るく手を振った。


「二人で何を話していたの?」


「田辺先生のことよ」


 みずきが自然に答えた。


「昨日お手紙をいただいて、嬉しかったけれど、まだ心配で」


「そうね」


 恵奈が座りながら言った。


「でも、わたしたちにできることは、お祈りすることと、先生が戻っていらした時に温かく迎えることよね」


 恵奈の言葉が、みずきの心にすっと入ってきた。


「そうね。それが一番大切なことかもしれない」


 午後の授業が始まると、みずきは久しぶりにすっきりとした気持ちで勉強に集中できた。


 小瑠璃との会話で、心の中のもやもやが晴れたのだった。


 万年筆の力は確かに素晴らしい。でも、その力を正しく使うためには、使わない勇気も必要なのかもしれない。


 放課後、三人で一緒に帰る道で、みずきは軽やかな足取りだった。


「みずきちゃん、今日は元気ね」


 恵奈が嬉しそうに言った。


「昨日は心配していたのに」


「友達と話すと、気持ちが楽になるのね」


 みずきが小瑠璃を見た。


「ありがとう、小瑠璃ちゃん」


「いえいえ」


 小瑠璃が首を振った。


「わたくしこそ、みずきさんと同じ気持ちを分かち合えて安心しましたの」


 恵奈が二人を見て、少し不思議そうな顔をしたが、何も聞かなかった。


 三人は夕日に照らされた道を、仲良く歩いて帰った。


 みずきの心は、久しぶりに軽やかだった。一人で抱え込んでいた重いものを、小瑠璃と分かち合うことができたのだから。


 友達がいるということは、なんて素晴らしいことなのだろう。


 万年筆の力以上に、確かで温かい力が、ここにはあった。

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