第26話「力の限界」

 田辺先生が故郷に帰られてから一週間が過ぎた。


 クラスのみんなで書いたお手紙は、校長先生を通じて田辺先生にお渡しいただいた。きっと喜んでくださったことだろう。


 でも、みずきの心の中には、まだもやもやとした気持ちが残っていた。


 本当に、万年筆の力で田辺先生のお母様を助けることはできないのだろうか。


 放課後、みずきは一人で考え込んでいた。図書室で医学の本を調べてみたが、内容が難しすぎてよくわからない。それでも、何かヒントがないかと必死にページをめくった。


 でも、やはり自分には何もできないのだろうか。万年筆があっても、遠くにいる人の病気を治すことはできないのだろうか。


 みずきは決心した。目黒さんに相談してみよう。


 古道具屋ふるどうぐや「目黒」の前に立つと、いつものように薄暗い店内に古い品物が所狭しと並んでいるのが見えた。


「いらっしゃいませ」


 目黒さんが奥から出てきた。みずきの表情を見て、すぐに何かを察したようだった。


「みずきさん、何か心配事でも?」


「あの…」


 みずきが口ごもった。


「万年筆のことで、お聞きしたいことがあるのです」


 目黒さんが頷いて、奥の座敷に案内してくれた。座布団に座ると、目黒さんがお茶を淹れてくれる。


「田辺先生のお母様のことですね」


 目黒さんがそっと言った。


「病気を治す方法がないかと思って」


 みずきが小さな声で答えた。


 目黒さんが深いため息をついた。


「みずきさん」


 目黒さんが座り直した。


「その万年筆のことを考えているのですね」


 みずきが頷くと、目黒さんは優しく微笑んだ。


「お気持ちはよくわかります。でも」


 目黒さんが茶碗を手に取った。


「人の命や病気というものは、とても大きな力が関わっています」


 目黒さんが静かに話し始めた。


「自然の摂理、神様の御心みこころ、運命…色々な言い方がありますが、それは人間が簡単に変えていいものではないのです」


「でも」


 みずきが言いかけたが、目黒さんが手を上げて制した。


「万年筆には確かに不思議な力があります。でも、その力にも限界があるのです」


 目黒さんの目が遠くを見るような表情になった。


「物を直したり、失くしたものを見つけたり、小さなことなら助けることができる。でも、人の生死に関わることや、大きな自然の力に逆らうことは…」


 目黒さんが言葉を切った。


「危険なのです」


「危険?」


 みずきが聞き返した。


「無理に大きすぎる力を使おうとすると、万年筆自体が壊れてしまうかもしれません」


 目黒さんが真剣な顔でみずきを見つめた。


「そして、使う人にも大きな負担がかかる。前にも疲れを感じたでしょう?」


 みずきは頷いた。確かに、万年筆を使った後は疲れることがあった。特に、天気を変えようとした時や、鶫沢つぐみざわさんの件の時は、とても激しい疲労を感じた。


「それは、万年筆があなたを守ろうとしている証拠なのです」


 目黒さんが優しく説明した。


「限界を超えて使わないように、体が警告してくれているのです」


「みずきさん」


 目黒さんが立ち上がった。


「人を助けるということは、万年筆の力だけではできません」


「では、どうすれば…」


「心を込めて祈ること。手紙を書くこと。そばにいて支えること」


 目黒さんが古道具屋の棚を指した。


「ここにある古い品物も、一つ一つは小さな存在です。でも、誰かの大切な思い出や、心の支えになっている」


 みずきの胸に、温かいものが広がった。


 田辺先生への手紙も、クラスのみんなの心が集まった結果だった。それは確かに、万年筆の力とは違う、でも同じように尊い力だった。


「わかりました」


 みずきが深くお辞儀をした。


「わたし、万年筆に頼りすぎていました」


「頼ることが悪いわけではありません」


 目黒さんが微笑んだ。


「大切なのは、その力をいつ、どんな時に使うかを見極めることです」


 古道具屋を出る時、みずきは軽やかな気持ちになっていた。


 万年筆の力には限界がある。でも、それは悪いことではない。むしろ、人間らしい、小さくても心のこもった助け合いの大切さを教えてくれるのかもしれない。

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