第4章「春の桜祭り」

第19話「桜祭りの準備」

第4章「春の桜祭り」


 若鳥の「ツツピー」は、まだ縄張なわばりを守れるほど強くはない。でも負けることで学ぶ歌がある。


    ◇


 四月の第二週、桜川の桜並木が満開を迎えた。


 川沿いの桜は見事な薄紅色うすべにいろに染まり、風が吹くたびに花びらが舞い散って、まるで雪のように町を美しく彩っている。


 桜川尋常じんじょう小学校の校庭でも、大きな桜の木が満開の花を咲かせていた。みずきは教室の窓から桜を眺めながら、心を躍らせていた。


「みなさん」


 田辺先生が教壇に立った。


「来週の日曜日は、町の桜祭りです」


 教室がざわめいた。桜祭りは桜川町の一年で最も大きな行事で、町の人々が総出そうでで参加する楽しいお祭りだった。


「学校としても、お祭りに参加いたします」


 田辺先生が続けた。


「高等科の皆さんには、桜川の清掃と、お祭りの会場設営をお手伝いしていただきます」


「はい!」


 生徒たちが元気よく返事をした。みずきも小瑠璃こるり恵奈えなも、嬉しそうに手を上げている。


「それでは、今日の放課後から準備を始めましょう」


 授業が終わると、高等科の生徒たちは桜川に向かった。町の大人たちも既に集まっていて、お祭りの準備に取りかかっている。


「まあ、賑やかですのね」


 小瑠璃が感嘆の声を上げた。


 川べりには提灯ちょうちんを吊るすための竹竿たけざおが立てられ、屋台の準備も始まっている。町の人々が協力し合って働く姿は、見ているだけで心が温かくなった。


「みずきちゃん、小瑠璃ちゃん、恵奈ちゃん」


 山田きつきおばあちゃんが手を振って近づいてきた。


「お疲れ様です」


 三人が揃って挨拶をした。


「あらあら、皆さん元気そうで何よりじゃ」


 きつきおばあちゃんが嬉しそうに笑った。


「今年の桜は特に美しいねえ。お祭りが楽しみじゃよ」


「はい、とても楽しみです」


 みずきが答えた。


「おばあちゃん、何かお手伝いできることはありますか?」


「優しい子じゃねえ」


 きつきおばあちゃんが頬を緩めた。


「それじゃあ、川べりのお掃除を頼めるかい?」


 三人はほうき塵取ちりとりを受け取って、桜並木の下の掃除を始めた。散った花びらを集めながら、みずきは桜祭りのことを考えていた。


 町の人々が皆で力を合わせて作り上げるお祭り。きっと素晴らしいものになるだろう。


「みずきちゃん」


 恵奈が声をかけてきた。


「この花びら、とってもきれいね」


 恵奈の手のひらには、ピンク色の花びらが数枚載っている。陽の光を透かして、薄い花びらが美しく輝いている。


「本当ですわね」


 小瑠璃も花びらを拾い上げた。


「こんなに美しい桜の下でお祭りができるなんて、幸せですわ」


 三人は掃除をしながら、お祭りの話に花を咲かせた。でも、みずきは時々、心の奥で小さな不安を感じていた。


 最近、恵奈の様子が少し変わったような気がするのだ。以前のような屈託のない明るさに、時々陰りが混じる。きっと、小瑠璃と自分だけが秘密を共有していることに、薄々気づいているのかもしれない。


「あら、大変」


 小瑠璃の声で、みずきは現実に戻った。


 川の向こうで、提灯を吊るそうとしていた大人たちが困っている。竹竿が倒れそうになって、みんなで支えているのだが、なかなか安定しない。


「どうしましょう」


 小瑠璃が心配そうに言った。


「手伝いに行きましょうか」


 恵奈が立ち上がった。


「でも、わたしたちにできるかしら」


 みずきの頭に、万年筆のことが浮かんだ。


 「たけ まっすぐ たて」とか書けば、竹竿が安定するかもしれない。


 でも、みずきはその考えを振り払った。万年筆は、本当に困った時の最後の手段にとっておくべきだ。まずは自分たちにできることを考えよう。


「あっ、わかった」


 みずきが手を叩いた。


「石を集めて、竹竿の根元を支えましょう」


「それはいい考えですわ」


 小瑠璃が同意した。


「みんなで石を運びましょう」


 三人は川べりから適当な大きさの石を集めて、竹竿の根元に運んだ。他の生徒たちも手伝ってくれて、竹竿がしっかりと立った。


「ありがとう、皆さん」


 大人たちが感謝の言葉をかけてくれた。


「おかげで助かりました」


 みずきは満足感でいっぱいだった。万年筆を使わなくても、みんなで力を合わせれば問題を解決できる。それが一番大切なことなのかもしれない。


 夕方になって、準備の一日目が終わった。


「明日も頑張りましょうね」


 田辺先生が声をかけてくれた。


「お疲れ様でした」


 家に帰る道すがら、三人は並んで歩いた。夕日が桜並木を照らして、花びらが金色に輝いている。


「今日は楽しかったわね」


 恵奈が言った。でも、その声にはほんの少し、寂しさが混じっているような気がした。


 みずきは恵奈を見つめた。大切な友達に、もう少し近づきたい。でも、万年筆の秘密がある限り、完全に心を開くことができない。


 桜祭りまで、あと一週間。


 みずきは夕空を見上げながら、この一週間が三人にとって素晴らしい時間になることを心から願っていた。

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