第2話



 娘が膝の上で寝息を立てている。


 起きている時は落ち着きのない娘だが、こうして見ると本当にまだ幼い子供だ。

 実はミルグレンは、容姿と性格は幼い頃のアミアに瓜二つだが、寝顔はグインエルに似ていた。

 あどけない、子供のような寝顔。

 娘の髪を撫でながらザイウォン神聖国しんせいこくの荘厳な結婚式を思い出していた。

 自分はついに結婚式はあげられなかった。

 アミアは元々そういう格式張った事は嫌いなので、それ自体には興味はないし別に悔いもないが、夢を見るような表情で式を見る娘の横顔は正直、珍しくアミアの心を打った。


(この子にはこの顔のまま、式をあげさせてあげたいわね)


 まだ十歳になったばかりの娘の寝顔にそんなことを思って、アミアは小さく苦笑した。

 その時、娘の隣に立つ青年が誰なのかは、神のみぞ知るなのだが。


◇   ◇   ◇


 サンゴール城に帰還した。

 夜中の事だった。

 では今日はお休みくださいとはならないのが女王という立場の辛い所だ。

「ご無事のお帰りをお待ちしておりました」

 秘書官が執務用の椅子に座ったアミアの前に立つ。

「ありがとう。……リュティスはどう?」

 まず尋ねたのはその事だった。

 というのも外交中もずっと気がかりだったからである。


 出発前、王宮で事件があった。

 リュティスが命を狙われたのである。

 リュティスの王位継承を危惧する人間はサンゴールには腐るほどいる。

 だからそのことにいちいち驚きはしない。


 しかしその人間をリュティスが殺めたのは、幼い頃以来のことだった。


 咄嗟の事で力を制御出来なかったのだろうと思う。

 だが皮肉屋のわりに根が真面目な義弟は、そういう言い訳を自分には禁じている。

 王子の命を狙ったのだ死んで当たり前ではないかという顔をしていたが、傷ついているだろうとアミアは思った。

 

 リュティス・ドラグノヴァは今やサンゴール内外にまで、恐るべき魔術師と呼ばれている。

 だがそんな彼でも今だに自分の強大な魔力は手に余らせる事がある。

 制御出来ない事があるのだと思う。


「はい。特にお変わりはありません。ただ、館に籠ってはおられますが」

「そう……」


 リュティスの事だ、アミアが余計な言葉を与える事は彼は拒むだろう。

 今はそっとしておいてやった方がいいのかもしれない。

 アミアは上着を脱いだ。

 公務の事。そして留守にした約一週間ほどの間に起こった事を聞く。

 サンゴール各地から届く、領主からの書状。


 一通りに眼を通した。

 全てが終わるとさすがに疲れを感じて、アミアはすぐ寝室に下がった。

 穏やかな眠りは瞬く間に彼女を包み込んだ。


 ……そう。

 何の不安すら、彼女はこのとき感じ取っていなかったのである。



◇   ◇   ◇



 翌日はゆっくりと目覚めた。

 身支度を整え朝食を取った。

 一日の予定を秘書官から聞かされながら、今日は時間があるようだ。

 そう思ったアミアは温かい紅茶の入ったカップをテーブルに置いた。


「メリクには悪い事をしたわね。無理にサンゴール城に留めてしまって。会えるかしら」

「お部屋にいらっしゃいます」

 侍女が答える。アミアは頷いた。

「呼んで。久しぶりにゆっくり話したいわ」


 穏やかな朝。

 やがて侍女が戻って来た。


「メリク様はお出かけのようです」


 フィレスは笑った。

「そう。ならいいわ。

 あとで時間のある時でいいから顔を出すように言っておいて。

 私はいつでもいいから」

「かしこまりました」



 夕刻の事である。


 大臣達との謁見を終えた会議室に侍女達が数名入って来た。

「何の騒ぎだ」

 秘書官が眉を寄せる。

 侍女達は不安げな顔をしていた。

「陛下、メリク様がいらっしゃいません」

「城におられぬなら【知恵の塔】であろう。そんなことでいちいち陛下を呼びに来るな」

「いえ、違うのです。今【知恵の塔】から使者の方が……メリク様はいつ公務に戻る事が出来るか、聞きに来られています」

 さすがに秘書官は怪訝そうな顔をした。

「なんだと?」

 彼は思わずアミアの方を振り返っていた。

 女王は目を瞬かせる。



「――――……どういうこと?」



 アミアはその時、初めて胸に嫌な予感を覚えたのである。


◇   ◇   ◇


 サンゴール城に『サダルメリク・オーシェを探せ』という奇妙な命令が下ったのはこの日の事である。


(本当に、奇妙な)


 いざメリクの行方を聞いても誰も彼の事を知らない。

 アミアやミルグレンの事は、眼を離すと何をするか分からないなどという理由で、一分単位で行動を監視する人間達が、メリクが城のどこで何をしているかも知らないなんて。


 大体食事はどうしてたのよ。

 根本的な事を女王は指摘する。

 すると侍従は四日前、部屋を訪ねたら不在だったため、魔術学院の方で済まされるのかと思いまして、などとしどろもどろに答えて、そこで少なくとも四日前からすでにメリクが城にいなかった事が初めて判明する。

 思えばメリクが宮廷魔術師になってからは、彼が帰還した時はいつも食事を共にしていたのだったと思い出した。

 バタバタと顔だけは必死に走り回るサンゴール城の人間達の姿に、アミアは本当に頭痛がして来た。


 自分がいなければこれほどメリクに対して無関心な人間達ばかりだったとは。


 苛々して来たのでアミアは立ち上がり、自分の足でメリクの部屋に向かった。

 彼の部屋の扉を開いた途端、長時間火の入っていない部屋の冷たい空気が頬に触れた。

 しん……としている。

 綺麗な部屋だ。


 あの子は子供の頃から部屋を綺麗に使う子だった。

 まるで他人の部屋を借りてるかのように本も何もかも、きちんと棚へとしまう。


 片付けるという事を全くしないミルグレンとは大違いだった。

 全く綺麗なままのベッド。使われていない事を示していた。


 なのにメリクが城にいない事に誰も気付いていない。


 侍女が掃除に入っていなかったのだろうか?

 時期も悪かったのだろう。

 リュティスの放った魔法が城の一画を半壊させたので、皆そっちの片付けに追われて気を取られていたとしか言いようがない。

 ふと、部屋を見回していたアミアは机の上に何かを見つけた。


「……これは……」


 二本の杖だ。

 一本は宮廷魔術師に与えられる銀の杖。

 もう一本はメリクが魔術を学ぶようになってからアミアが贈ってやった杖だった。

 随分前の事だ。

 古いはずなのにまるで昨日贈られたもののように綺麗なまま残っている。

 その二本の杖が机の上にきちんと並べて置いてある。


 宮廷魔術師は常にこれを身につける事を義務づけられていたはずだが。


 今回は、自分の不在中のリュティスが心配で、急遽メリクを魔術学院から呼び戻す形になってしまった。

 その宮廷魔術師の正装である、深緋の術衣も壁にかけられたまま。

 他の荷物も全て、元にあったようにそのまま残されている。


 アミアはハッとして部屋を飛び出したのである。



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