第5話 桜の夜の叫び

 ライブの熱気は、梨花の心を久しぶりに高揚させた。ユアーズのライブ会場は、観客の歓声とギターの響きで溢れていた。

 梨花は悠斗と一緒に最前列で盛り上がり、音楽に身を任せた。ユアーズのメロディが、涼太のことを少しだけ遠ざけてくれた。


 悠斗は隣で笑い、梨花と一緒に歌詞を口ずさんだ。


「梨花ちゃん、めっちゃ楽しそうじゃん! ユアーズ、最高だな!」


「うん、ほんと! 悠斗先輩と来てよかった!」


 梨花は笑顔で答えた。悠斗との時間は、友達として純粋に楽しかった。涼太との思い出が胸を刺す瞬間もあったけど、今夜は音楽に浸りたかった。

 ライブが終わり、会場を出ると、夜の空気が少し冷たかった。

 

 梨花はコートの襟を立て、悠斗と並んで駅に向かった。


「いやー、めっちゃ盛り上がったな! 梨花ちゃん、ユアーズのどの曲が一番好き?」


 悠斗の声は弾んでいた。梨花は笑いながら答えた。


「やっぱ『星の欠片』かな。なんか、切ないけど希望感じるんだよね。」


 二人はそんな話をしながら歩いていたが、駅に近づくと、悠斗がふと立ち止まった。


「なあ、梨花ちゃん。ちょっと寄りたいとこあるんだけど、いい?」


 梨花は少し驚いたが、悠斗の笑顔に警戒心は薄かった。


「え、どこ? まだ時間あるし、いいよ!」


 悠斗は「よし、じゃあこっち!」と軽い調子で手を振って歩き出した。梨花はついていく形で、夜の街を進んだ。


 駅から少し離れた路地に入ると、街灯がまばらになり、人の気配が薄れた。梨花の胸に、かすかな不安がよぎった。


「悠斗先輩、どこ行くの? なんか…暗いね。」


 梨花の声に、悠斗は振り返り、いつもと違う笑みを浮かべた。その目は、ライブ中の明るさとは別物だった。梨花の背筋に冷たいものが走った。


「まあ、ちょっと面白いとこだよ。梨花ちゃん、俺のこと、ちゃんと見てくれるよね?」


 悠斗の声は低く、どこか粘つくようだった。路地の奥に、ピンク色のネオンが光る建物が見えた。ラブホテル。梨花の心臓がドクンと鳴った。まさか。冗談だよね?


「え、悠斗先輩、待って…ここ、なに? 私、帰りたい…。」


 梨花が後ずさると、悠斗の笑顔が消えた。彼は梨花の腕を掴み、力を込めた。


「梨花ちゃん、いいじゃん。俺、ずっと我慢してたんだ。梨花ちゃんは俺のこと、特別って言ってくれただろ? だったら、二人で特別な時間、作ろうよ。」


 その言葉に、梨花の全身が凍りついた。悠斗の目は、友達として笑っていたあの先輩のものじゃなかった。

 梨花は腕を振りほどこうとしたが、男の力に敵わない。恐怖が胸を締め付け、涙がにじんだ。


「やだ、離して! 悠斗先輩、こんなの…やめて!」


 梨花は必死に抵抗したが、悠斗の手は緩まなかった。路地の暗闇に、梨花の声はかき消されそうだった。心の中で、梨花は叫んだ。





「涼太…助けて…!」





 その瞬間、背後から鋭い音が響いた。バンッ! 悠斗の体がよろめき、梨花の腕が解放された。

 振り返ると、そこには涼太が立っていた。息を切らし、拳を握りしめた涼太。悠斗の頬には、殴られた跡が赤く残っていた。


「梨花に触るな。」


 涼太の声は低く、震えていた。梨花が初めて見る、怒りに燃える目だった。悠斗は地面に倒れたまま、驚きと怒りで顔を歪めた。


「てめえ、誰だよ! いきなり何!?」


 悠斗が立ち上がり、涼太に掴みかかろうとしたその時、涼太はスマホを突き出した。画面には、動画が再生されている。

 路地に入る悠斗と梨花、梨花の抵抗、すべてが映っていた。


「さっきまでの行動、全部録画済みっすよ。バラされて人生終わりたくなかったら、二度と梨花に関わるな。」


 涼太の声は冷たく、鋭かった。悠斗の顔が青ざめた。涼太の目は、怒りと共に、梨花を守る強い意志で光っていた。

 梨花は息をのんだ。こんな涼太、見たことがなかった。でも、その姿は、かつて梨花を孤独から救ってくれたヒーローの姿と重なった。

 悠斗はしばらく涼太を睨みつけたが、スマホの画面を見て唇を噛んだ。


「…分かった。絶対バラすなよ。」


 悠斗は慌てて立ち上がり、路地の奥に走り去った。その背中が闇に消えると、梨花の膝がガクンと崩れた。涼太がすぐに駆け寄り、梨花の肩を支えた。


「梨花、大丈夫か?」


 涼太の声は、怒りから一瞬で優しさに変わっていた。梨花は涙をこらえきれず、涼太の胸に顔を埋めた。


「涼太…ありがとう…怖かった…。」


 涼太の手が、梨花の背中をそっと抱いた。その温もりに、梨花は気づいた。涼太はまだ、梨花を大切に思ってくれている。

 別れの日の冷たい目は、涼太の本心じゃなかったのかもしれない。桜の花びらが夜風に舞う中、梨花の心は、涼太との新しい一歩を願っていた。

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