第11話 炎をまとう翼、歌う詩

 一方、竜人の街では、ここ数日、街に来て暴れた生意気な魔女2人組の話題で、持ちきりだった。


「なぁ、グルドン。これは由々しき事態だよ」


 竜人の街の北に位置する岩場に、その酒場はある。半地下式の、塹壕のような造りは、敵襲から防衛するのにもちょうどいい。室内の卓も椅子も岩を彫り出した作り付けで、竜人同士の喧嘩にも耐えうる頑丈な内装だ。

 獣肉を焼く脂の匂いが充満し、黒麦酒をかっくらって喚く竜人の咆哮が店内に響いていた。


「ザルグ…、街に来て暴れたっていうババアと小娘のことか?」


 一番奥の、一段高い岩棚に陣取った若い竜人が、肉塊を齧りとり、黒麦酒を煽った。グルドンは街を仕切る竜人の息子。腰巾着のザルグとは、幼馴染だ。


「そうさ、卑怯な魔女のくせに、誇り高い我らが同胞に、ちょっと揶揄われたぐらいで爆破した。女のヒステリーはガツンと躾けてやらねぇとな。奴ら、甘い顔したらすぐにつけ上がりやがる」


 ザルグが唸るように、串から肉を齧りとった。その目に浮かぶのは、強烈な嫌悪と侮蔑。


「――その老婆…“灰のグリザ”と名乗ったとか。グルドン、滅多やたらに手を出すな。儂の知っている“灰のグリザ”が現れたのなら、“ちょっとお仕置き”程度では済まん」


 少し離れて腕組みしていた老戦士が、重々しく口を開いた。クルガン。グルドンの叔父で、長兄からグルドンのお目付け役を仰せつかっている。ボンであるグルドンが喧嘩っ早いのは、…まぁ、半ば竜人族の美徳みたいなものだが、平和な世では力を持て余しているものと見える。クルガンは、グルドンに誇り高い節制を教えるべく剣術を指南しているが、いまいちグルドンの理解は行き届いていない。


「ふん…ザルグのいう通りだな。親父のこの街で、魔女が暴れたのを放っておいたら、親父の恥になる。おい、その魔女、今、どこにいるかわかるか?」


 ザルグが、情報源の三下を振り向いた。


「あ…なんでも“大ハズレ”ルキウスの家に行くって…」


 酒場に、ドッと笑いが広がった。


「ハッ、ルキウスの奴…軟弱の末に、ついに魔女族とつるんだかよ!」


「やべぇ、やべぇ。以前から女臭え奴だと思ってたが、こりゃ竜の炎で消毒してやらねえと!魔女のヒステリー・バイ菌が竜人族に伝染するぜぇ」


 グルドンが剣を振り上げた。


「いざ!ルキウスの家へ!!軟弱野郎と生意気魔女をまとめて焼いてやるぞォ!!」


 酒場を揺るがす雄叫び。竜人たちが、隣の厩舎に走り込み、次々に己の翼竜を引き出して跨る。


「…ガキども。老いぼれの言葉だと思って、聞きもせん」


 クルガンが最後に重い腰を上げた。故事に耳を傾けぬは、一度、痛い目を見ればいい…というわけにはいかない。今は戦の世ではなく、グルドンは一族の大事なボンなのだから。




 ルキウスの家では、もう2日ほどルキウスが頭を絞っている。聖ルナの探索魔法を構築してくれているとあれば、グリザもリリスも、魔女の礼を尽くしてキッタナイ部屋を掃除し、洗濯も全て済ませてやった。


「うーん、そうか。この係数が邪魔してるんだ。するとこれを外す補助式を入れて…」


 ルキウスは、魔法端末を抱えて、ウロウロと部屋を歩き回る。その魔法端末が吐き出す仮式を記した羊皮紙は、リリスが作業工程ごとに丁寧に分類しておく。


「あ、リリス。ありがと。えーっと、朝考えてた仮式が使えるな…ちょっとそこの羊皮紙見せて」


 グリザは、戦後の教育課程できちんと学んだリリスと違って、整然とした理論の扱いは少し不得手だ。したがって、お手伝いは諦めて、屋根の上で洗濯物と共に風に吹かれていた。

 遠く、遠雷が聞こえた気がして、星を眺めていたグリザが起き上がる。雨が降るなら、洗濯物を――…

 違った。遠雷に聞こえたのは、興奮しきった翼竜の咆哮だった。不気味な燐色に燃える瞳、口から溢れ出す鬼火。それが、恐ろしいスピードでルキウスの家に向かってくる。翼竜がカッと火を吹いた。


「疾れ、炎の輪!壁となって、全てを燃やし阻め」


 グリザが咄嗟に結界を張る。結界魔法は、それほど得意ではないが、翼竜の炎だけはグリザの炎の輪に溶け込んで逸れた。ただし、閃光と熱線を完全に封じることはできなかった。降り注ぐ熱をグリザはローブでなんとか防ぐ。


「何これ!グリザ!!大丈夫!?」


 室内からリリスの悲鳴が聞こえてくる。


「翼竜だ!興奮しきって…」


 炎の中、翼竜から降り立つ人影。グリザが目を見張る。飼い慣らされた翼竜が暴れていたとなれば、――そこには飼い主の敵意が、明らかに存在している。


「ルキウス!!この、恥晒しめが!!」


 家の前に仁王立ちになったグルドンが吠えた。


「そうだぞ、ルキウス!!魔女どもと組んで、何を企んでいる!?」


 隣に立ったザルグが叫ぶ。

 窓から覗いていたリリスが振り返った。ルキウスは、魔法端末から顔を上げる気配もない。


「ルキウス!あの竜人たち…!!」


「ああ。グルドンとザルグだろ。小さい頃からボクを追い回しては殴って…また意地悪しに来たんじゃない?」


 ルキウスは魔法式に夢中だ。邪魔くさそうに手を振った。


「キライだから、訪ねてきても出ないことにしてるんだ。君たちも相手にしなくていいよ。特にザルグは魔女族嬲りが趣味だからね」


「いやいやいや!あの熱攻撃、意地悪じゃ済まないって…ちょっとぉ!また来る!」


 リリスが、窓の外とルキウスを交互に振り返る。

 グリザが、屋根から滑り降り、ホウキに跨った。翼竜は巨大だ。体長30m。その翼を振れば突風を生む。地上からでは急所の頭部に攻撃できない。


「リリス!結界魔法でルキウスと自分を守りな!!あたしが、翼竜を止める!」


 魔力を込められたホウキが、空に飛び出す。リリスの胸の中心から両掌へ、魔力が迸った。


「ミス・バーニィの戸棚には」


 リリスの唇から詩が紡がれる。空中のグリザが、炎を旋回し、銃を構えて翼竜に狙いを定めた。


「ティー・セット2つ」


「撃てッ!」


 弾道に火炎魔法を載せて、翼竜の燃える眼に炎が着弾した。


「ベーグル2つ」


 翼竜が暴れ出す。怒りの咆哮を上げ、メチャクチャに炎を吐く。


「レースのナプキン、ミルクジャム。――バタン!!」


 最後の1節とともに、リリスがパァンと両掌を合わせた。途端に空間が歪み、ルキウスの家ごと、宵闇に消える。


「へぇ…亜空間に丸ごと身を隠す…か。パメラの作った魔法学校では、なかなか面白い教育をしているようだね」


 グリザのホウキが加速する。狂った翼竜の炎がグリザの足先をかすめた。


「くらえ、猟犬。――爆!!」


 反転して炎を避けたグリザの弾丸が、翼竜の口中に撃ち込まれる。2発、3発。弾丸は翼竜の喉奥にめり込み、次々に爆ぜた。


「グワァアアアアア!!」


 雄叫びと共に翼竜が倒れ、動かなくなった。


「バカな…翼竜が魔女族の魔法ごときに…?」


 ザルグが呆然と呟く。翼竜には魔法耐性がある。というか、強大な体格、分厚い鱗が魔法攻撃を跳ね返してしまうのだ。だから、翼竜にも、翼竜の鱗でこしらえた鎧を纏う竜人たちにも魔女の攻撃は決定的には効かない。

 ザルグのお得意は、全ての攻撃魔法を出し尽くして絶望に引き攣った魔女を捕らえ、精を吸い尽くすことだ。その、いつものルーティンが、今、目の前でひっくり返されている。


「へっ!ザルグ!翼竜、借りるぜ。しゃらくせぇ、魔女どもがーッ!!」


 グルドンが、ザルグの翼竜に飛び乗った。その目は戦いの喜びに爛々と輝いている。グルドンの鬨の声と共に、手下どもの翼竜が一斉に炎を吹き上げた。5、6頭もの鎌首がグリザに狙いを定める。代わる代わる襲いくる炎。グリザのホウキが機敏に空を飛んで避ける。


「斉爆!!」


 グリザの銃弾は、魔法攻撃の貫通力を増す媒介だ。3頭の翼竜に撃ち込まれた弾が一斉に爆発する。


 ――チッ…1頭につき10発は喰う…。残弾が…


 2頭の翼竜が挟み込むように、グリザに炎を放つ。


「グリザァアーッ!!」


 亜空間の隙間から、リリスが飛び出した。公式の魔法は、結界の方で手一杯だ。でも、グリザの危機を座視することはできなかった。


 ――血が沸き上がる。脳裏に走る、「何か」。自分でもよくわからない昂奮。

 時間が止まったような長い一瞬――リリスの瞳の底が、紅く光った。


「…我が血の法に従え――」


 クルガンが翼竜の手綱を引いて止める。あれは。あの小娘が発動しようとしているものは。


 ――あの魔法…喰らえば、我が一族末代までの恥…ッ


「グルドン、ザルグ、…引くぞ!!いつまでも遊んでいられると思うなッ!!」


「叔父貴!?」


 クルガンの翼竜が吠える。猛り狂っていた翼竜たちがびくりと身を震わせて、整列した。


「――剣の稽古の時間だ。血の気が収まらないなら、素振りを500回増やす」


 グルドンとザルグの翼がしょんぼりと垂れた。素振り…若者には退屈この上ない苦行だ。

 夜空に飛び立つ翼竜たち。残されたのは――焦げた洗濯物。散らかりきったルキウスの家。


「あっ!これだよ。現行探索魔法の穴を見つけた!!リリスー!グリザ先輩!手がかりが見つかりましたよぉ!!」


 結界魔法を解いた窓から、ルキウスが満面の笑みで手を振っている。


「この戦場で、ずーっと、魔法式書いてたんだよ、ルキウス…」


「どんだけ、図太いんだよ…精神構造は竜人そのものだね…」


 ぐったりと肩を落とす、グリザとリリス。2日間の掃除の労力が台無しになったのであった。


 グリザが、焦げた洗濯物を消火し、片付け、リリスが散らばった羊皮紙を整理し直す。燃え残る庭先では、リリスの魔法で出したゴーレムがゴロゴロと岩を転がして整地している。


「…あンのバカボンめ、次は手加減しないよ」


 グリザがひとつため息をついて、呟いた。だが、それ以上に気になる違和感が残っていた。


 ――リリスの、あの瞳。あれは、いったい…?


〈つづく〉


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