若梅雨が今夜止まると

春树下猫.

第1話 梅雨の雨

――正直に言うと、これから書くことは信じがたいかもしれない。だが、これらはすべて本当に起こったことだ。絶対に最後まで読んでくれ。頼む!

――五月二十三日

梅雨の最後の雨の日、美少女に出会った。

彼女の正体は【】。

これがすべての始まりだった。この出会いは、絶対に忘れてはいけない。

たとえ忘れても、絶対に思い出さなければならない。

がんばれよ、過去の俺よ。


1.

 土曜日――

 有楽町、銀座駅。

 潮風が足元を駆け抜ける。祐一は思わず身震いした。

 「寒い……」

 初夏の五月だというのに、肌寒さは春のようだった。季節の変わり目で気温が変わるのは当然だが、ここまで極端なのは珍しい……。

 朝から降り続く梅雨の雨。祐一はもともと外出の予定などなく、一日中寝て過ごすつもりだった。出かけたのは、薫から電話がかかってきて、今日発売の雑誌を書店で買ってくるよう頼まれたからだ……。

  ――女の子ってやつは、雨粒なんてものでは消えないほど好きなものがあるんだな。

 そうツッコミつつも、祐一は出かけた。こんな大雨の中をあまり外出しないから、新鮮さが確かに人を惹きつける。

 電車を見送り、祐一は交差点を右に曲がった。そこから一分もかからずに目的地――杉並書店に着いた。

 何度来ても、祐一は書店特有の静けさにあまり馴染めなかった。体が少し緊張する。

 近隣最大のチェーン書店だけあって、来店客も自然と多かった。入り口付近は雑誌や新聞コーナーで、そこでは常連らしいおじさんが今日も複雑な表情でスポーツ新聞を読んでいる。

 祐一はその横で、週刊誌が並ぶ棚の前に立った。やや見下ろすような姿勢で、五十音順に整理された背表紙を眺める。

 『H』の列で薫の頼んだ雑誌を見つけ、レジへと並んだ。スムーズに支払いを済ませ、包まれた本を受け取って店を後にした。

 書店を出ようと顔を上げたその時、【それ】が視界に入った。


凛とした佇まいの少女。周囲との接触を拒むようなオーラを放っている。イヤホンのコードが耳元からだらりと垂れ下がり、制服の上着のポケットへと伸びていた。

午後の書店の中で、彼女の存在はひときわ目立っていた。場違いと言うべきか……

一目見ただけで、それで別れ、今日の出来事を後で笑い話にすればいい。しかし今、祐一には簡単に別れられない理由があった。

祐一は彼女を知っていた。

同じ高校に通い、一つ上の学年にいる先輩。北沢都立高校中で知らぬ者のいない超人気美少女――雨山有葉(あまやま ゆうは)。

それが彼女の名前だった。

「あの……」

涼やかな後ろ姿に向かって、祐一は書店に相応しい声の大きさで小さく呼びかけた。

彼女は足を止め、【何?】と視線で問うた。

「雨山先輩ですよね?」祐一は彼女の名前を、書店に相応しい声量で口にした。

「……」

有葉は一瞬、驚いたような表情を見せた。

「知ってるの?」

有葉は祐一のいる場所へと歩み寄り、じっと祐一を見つめた。

「知ってますよ。だって先輩は有名人ですから」

「そう」

有葉は【有名人】という肩書きに興味なさげな、むしろ軽蔑を含んだ表情を浮かべた。

「名前は?」

「庄司祐一(しょうじ ゆういち)です。二年F組」

「では、庄司祐一くん」

「はい」

「私のことを忘れなさい」

祐一の表情が固まった。彼が口を開く前に、有葉は続けた。

「今日、私を見かけたことは忘れるように」

「忘れようにも忘れられません」

「じゃあ、忘れようと努力しなさい」

「……」

「了解したら返事を」

「……」

有葉は少し不快そうに祐一を見たが、すぐにさっきの興味なさげな表情に戻り、祐一の前から離れていこうとした。

その間、美少女の姿を目にしていたのは、祐一ただ一人だった。

有葉の背中が見えなくなりそうになる直前に、祐一は有葉の手首を掴んだ。

引っ張られてよろめいた有葉が振り返った顔には、もはや隠そうのない不快感が表れていた。【何か用?】と言わんばかりの目だった。

「傘、いりますか?」

「……」

「雨の中を去るなら、風邪を引くんじゃ……?」

「……」

有葉は答えず、ただ祐一を見つめ続けた。その視線は、書店の外の冷たい雨粒のように彼の顔に落ち、審議し、かすかな戸惑いを帯びていた。

「いつもそうなの?」

彼女は突然尋ねた。

「先輩が言ってるのが、見知らぬ人を助けることなら……そうかもしれません」

「おせっかい」

有葉はきっぱりと言い放つと、祐一の手から傘を受け取り、きっぱりと背を向けて去っていった。

今度こそ、祐一には彼女の手を掴んで引き留めることはできなかった。

「随分と不躾だな」

傘を差した背中が雨の中で次第にかすんでいくのを見ながら、祐一は考えた――どうやって家に帰ろうか、と。


2.

東京の街は人と同じく、梅雨の疲れを纏っていた。歩行者は希少な存在となり、車の流れも水たまりを無感情に轢いて流れていく。

雨は街の人々を二つに分けた。半分は生きており、半分はまだ目覚めていない。

電車が地下区間を抜けた時、窓の外の空気にはまだしわくちゃの雨の匂いが残っていた。

祐一はTvrax(トラックス)をスクロールした。この頃、若者向けのこのSNSに流れてくる投稿の多くは、ある都市伝説についてだった。

#[>海喆樹洞(ウミハツジュドウ)<]

 [>どんな願いも叶えてくれる樹の精。<]

 [>心を込めて願えば叶う。代償は一切不要。<]

 [>心を込めた願いは海喆との契約となり、力を使ってあらゆる願いを叶えてくれる。<]

 [>【心】の願いでも、【物】の願いでも。<]

 [>金を手に入れ、美女を手に入れる。<]

 [>あるいは他の何かを変えたい。<]

 [>心を込めて願えば、すべてが叶う。<]

派生した内容も多く、

自ら体験したという口述から、都市伝説の考証動画、さらには「樹洞願掛け成功テンプレ」といった明らかにネタと分かるものまで。海喆樹洞で願いを叶えたという「証拠」を貼り付け、自分はただの無名だったのに、匿名投稿の翌日に芸能事務所と契約したと主張する者もいれば、三年間隣のクラスの女子を密かに好きだったが、樹洞に投稿したら突然彼女から連絡先を追加され、会話が始まったと言う者もいた。

さらに、「海喆樹洞専用テンプレアカウント」を開設し、毎日「願掛け投稿テンプレ参考」を投稿し、そこに奇妙な注釈を付ける者さえいた。例えば:

【標準フォーマット】

#願掛け投稿

私はXXXが欲しいです。海喆様、どうか私の願いをお聞きください。

――この心をもって、成就と引き換えに。

その下のコメント欄はほぼ「転載祈願」や「結果待ち」、「俺もガチャでSSR10連当たるようにお願いします」といった意味不明な願い事で埋め尽くされていた。

祐一はこうした投稿に興味がなかった。ほとんどの文言は「願いを叶えてくれる」と言っているが、「慈善家」のようなものだった。真偽を確かめようのないこのゲームに集団で参加するのは、むしろ真実性など最初からないと言っているようなものだ。

しかし、そうした投稿の中には、現実以上の誠実な希望を抱いているものもあり、それは世界がめちゃくちゃになるほど現実離れした白昼夢のようだった。

祐一は投稿をスワイプしてホームに戻り、画面上部に浮かぶ虫眼鏡のアイコンをタップし、キーワードを入力した。

あの美少女の名前――「雨山有葉」。

彼女に関する投稿は多く、検索結果の二番目以降は「#雨山有葉 天使かよ」「#雨山先輩って本当に付き合ってるの?」「#雨山有葉 今日屋上で白い鳩みたいだった」……といった類いのものだった。

「ネットってすごいな」

祐一は感嘆した。様々な情報がこれでもかと晒されている。投稿の大半を見終えると、盗撮と思われる角度のものが少なくなかった。おそらく本人すら気づかないうちに撮られたものだろう。

祐一は検索結果を上にスクロールした。検索結果の一番上に並んでいたのは、警視庁の投稿だった――#雨の夜の少女謎の失踪、東京警察が調査中…

失踪の報が伝わってから、この美少女先輩はすでに一年以上も行方知れずで、警察の調査結果は依然として「行方不明」のままだ。

彼女がどこへ行ったのか誰も知らず、皆が予想する最後の結末はおそらく――#失踪少女の行方、すでに遭難か、東京警察が調査中…――といったものだろう。

祐一も以前はそうなるだろうと考えていた。もし書店であの有葉と出会わなければ。

スマートフォンの画面の光が、無表情な彼の顔を照らした。指先が『行方不明』という文字の上に数秒間浮かび、やがてぎこちなくスワイプした。

「だから、忘れられないって言ったんだよ」

美少女の涼やかな後ろ姿が祐一の脳裏に焼き付いてどうしても忘れられず、雨に濡れた服の不快感さえも彼の注意を引き戻すことはできなかった。

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