仮想通貨

 しばらくして、真梨まりの口座には大金が入った。日本円では、数十万円に相当する金額だ。これはあくまでも、海外の口座に入った金だ。高校生である彼女がクレジットカードを入手するのは困難だが、デビットカードであれば使用できる。さりとて彼女が手にした金は、汚れた金だ。これを直接使えば、当然ながら足跡が残る。


 無論、それを補うための秘策もある。


 一先ず、真梨はいつものようにVPNと匿名ブラウザを使い、仮想通貨の取引所を開いた。彼女は例の口座に入っている大金で、仮想通貨を購入する。

「ふふふ……これなら、足跡がつかない」

 心の中で呟いた彼女は、VPNを切り替える。それから手慣れた手つきで、彼女は仮想通貨を即刻売却した。その振込先は、彼女が日本で所有している口座である。


 彼女の脳内では、相も変わらず天使が磔にされている。哀れな囚われ人を後目に、堕天使と悪魔が会話する。

「これは資金洗浄――いわゆるマネーロンダリングという手法だね。汚れた金をそのまま使ったら、購買履歴を紐づけることが出来てしまうよね? だから、仮想通貨を通じて金をクリーンにする必要があるというわけさ」

「だけど、資金洗浄そのものがバレたらマズいんじゃないか?」

「バレたらマズいね。ただ、不特定の個人の口座を調べるのは普遍的調査と呼ばれていて、税務署にさえ認められていないんだ。その上、海外を経由している犯罪は、日本の警察の権限だけでは完全に洗い出すことが難しいんだよ」

 少なからず、真梨は己のしていることが倫理に反していることを理解していた。彼女からすれば、罪は裁かれなければ問題がないのだ。


――マキャヴェリズムの申し子は、裁かれない自信さえあればいくらでも手を汚せるということだ。


 両者の背後で、天使は呟く。

「貴方たちは、真梨に何をさせているのかわかっているの? 捕まらなければいいなんて、そんな考えは歪んでいる。やってしまったことは取り消せないかも知れないけど、これ以上の罪を重ねるべきじゃない」

 辛うじて、真梨の中にはわずかな善性がある。もっとも、それが蛍の光にも満たないか細いものであることに違いはない。堕天使は呆れた表情を見せ、天使を説得する。

「人には自由意志がある。実存的自由もある。人が法に従うのは、犯罪に伴うリスクが自己責任だからだよ」

「違う、それは法の在り方ではない。法は、人と人が譲り合い、互いの安全を出来る限り保障し合い、共生していくためのものだよ。自由意志や実存的自由にも限界はあるし、他者を著しく害するような自由は認められない」

「法を誰もが守るわけではないのなら、より器用に逸脱する者が勝者でしょ。ただ他者を害するから裁かれるのではなく、他者の害し方が下手だから裁かれる……ただそれだけのことだよ」

 それが堕天使の持論にして、真梨自身の持論でもあった。


 薄暗い部屋でモニターに照らされた真梨の表情は、邪悪な微笑みだ。

「警察は決して無能ではないが、権限には限界がある」

 そう呟いた彼女は、本命の口座に入った金を見つめていた。部屋の隅には、リバイブ3の空箱がいくつも積まれている。すでに金が振り込まれているとなれば、残る工程は後一つだ。仮にもフリーマーケットで取引をしたのであれば、その建前を守るためにも空箱を購入者に送る必要がある。


 彼女の脳内で、堕天使が呟く。

「もちろん、空箱を直接郵送すれば足がつく。だから明日の土曜日は、私設私書箱に向かうよ。私設私書箱は、郵便物の受け取りを代行するサービス。匿名性が高いし、相手にこちらの住所を伝えることなく空箱を郵送できるんだ」

 相手に身元を特定されなければ、法的トラブルのリスクは大幅に減少するだろう。


 真梨という女は、決して手を抜かないのだ。

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