強大な力
ガサガサッ――
少し大きめの物音が聞こえ、思わず光ガス灯を前へと突き出す。
その瞬間、私の目の前を何かが素早く横切る。
「きゃっ!」
何かが顔に触れた気がして、私の声が反射的に漏れてしまう。
(び、びっくりした……)
驚きに体が固まるのを感じながらも、なんとか言葉を紡ぐ。
「す、すみません……。驚かせちゃいましたね」
(一番驚いたのは私だろうけど……)
「コウモリでしょうか? 他にも小動物とかいるかもしれませんね……」
そう口にしたのは、あまり居てほしくないという一縷の期待を込めてのことだ。
私は振り返り、二人の様子を確認してみる。
ツキミはというと、やはり動じた様子はないが、何かをメモしているようだ。
そして、その隣では、セイカが口元に手を当てて、笑いをこらえている。
私が驚く様子すら、彼女にとっては楽しい出来事の一つなのだろう。
(まぁ、恐れをなして、逃げ出してしまうよりは、良いけれど……)
そう自分に言い聞かせ、私はなんとか納得し、止まっていた足をゆっくりと動かす。
「危険な生き物とかが、いなければ良いですけど……」
また何か飛んでくるかもしれないと、光ガス灯を左右に動かしながら私は呟く。
「長く放置されているんだ。何かいるかもしれないな」
背後から聞こえたツキミの声は、ほんのわずかに、楽しむような響きを帯びている。
私は歩みを止め、ツキミへと振り向くと、光ガス灯で彼女の顔を照らす。
「物騒なこと言わないでください」
そう告げ、私はセイカのような、ふくれっ面を作る。
「何もいない方が不自然だろう」
ツキミはそう答えると、口元に少し笑みを浮かべながら、辺りを見渡す。
「まぁ、そうですけど……」
(確かにツキミの言うとおりだけど、いない方が良いし……)
私はふくれっ面から、拗ねっ面になる。
「まぁ、突然何かが現れたところで――だがな」
言いながら、ツキミはしゃがみ込むと、足元の石を裏返す。
隠れていた虫たちが、我先にと逃げ、走る。
(うっ……。足が多いやつ……)
ここに到着した時から覚悟は出来ているが、見なくて済むなら、見ないでおきたいのが本心だ。
私がそんな事を考えていると、ツキミは私の目に視線を移し、続ける。
「問題は、このダンジョンの中の頂点は誰なのか? 誰が一番強いのか? だ」
ツキミの視線は、そのまま動かない。
(誰が頂点? 誰が一番強い?)
これは、私への問いなのだろうか。
それとも、先ほど私の顔をかすめた、コウモリらしき生き物。その捕食者が居る事を、警戒した方が良い。
そう、言っているのだろうか。
「一番偉いのは局長っすよ!」
私がツキミを見つめ返していると、セイカの顔が突然、私の目の前に現れる。
ツキミの姿が視界から消え、太陽のような笑顔のセイカと目が合う。
「偉い……ですか?」
セイカにとって頂点とは、偉さなのだろうか。
確かに私は局長で、私たちは組織の中では、上司と部下という関係だ。
だが――
「偉いのは、ちゃんと頑張った人が偉いんですよ。私は局長ですが、それはただの役割です」
私は赤い瞳を見つめ返し、笑顔を作る。
「だから、よしよしを、いっぱいもらえる人が一番偉いと思いますよ。ですよね? ツキミさん?」
そう言いながら、私はセイカから視線を外し、後ろをのぞき込む。
やはり、嫌そうな顔をしているツキミが見える。
セイカは「そっすねー!」と、先程の約束を思い出したのか、ツキミに向き直ると、指をうねうねさせる。
こんな二人の姿を見ていると、どうしても心が和んでしまう。
もちろん、誰が一番強いのか、その言葉も忘れた訳ではない。
要するに、弱肉強食の世界で、私たちはどちら側なのか、ということだ。
このダンジョンの中での強者は、コウモリだったのか、もしくは――
私は、一度目を閉じ、顔を振る。
あまり考えたくはないし、何も出ないなら、それはそれで良い。
だが、可能性を完全に否定するのは、やはり危険だ。
「万が一、危険な生物が現れた場合には、全力で逃げましょう。幸い、ここまでは一本道でしたし、迷う事も無いと思います」
二人を視界に入れ、私は方針を宣言する。
「それがいい。強大な力に対抗できるのは、それを上回る、強大な力だけだ」
ツキミが、ゆっくりと立ち上がりながら呟く。
その視線は私にも、セイカにも向いてはいない。
セイカはツキミを見つめている。ツキミの言葉を聞き、何かを考えているのだろうか。
その顔から、笑顔は消えてしまっている。
確かに、驚異となる生物が現れたら、笑っている場合ではない。さすがのセイカも、不安になるのだろう。
(強大な力か……)
それを超える、更に強い力がないと敵わない。そしてまた、それを超えるにはもっと強い力が必要。
確かにその通りだ。
これは世界の理であり、掟なのかもしれない。でも――
「万が一の場合、私たちは全力で逃げます。そう決めました。だから、負ける訳ではありません」
二人の「何を急に?」という視線を感じたが、構わず続ける。
「強大な力に立ち向かっても勝てません。それはあたりまえです。では、弱者は永遠に敗者なのですか?」
そんなの不条理過ぎるじゃないか。
「逃げるのは作戦です。私たちは作戦を立てました。その作戦を完遂させるだけです」
柄にも無く、熱を込めてしまっているが、止める事が出来ない。口が勝手に動いてしまう。
「決めた作戦を完遂させることは、とても大事なことで、とっても偉いことです。だから、それは負けではありませんっ!」
(言いきった……)
二人は私を見つめたまま、固まっている。
私はいつのまにか、手を腰に当てていたようだ。
(これじゃ、演説じゃないか……)
徐々に熱が冷め、冷静になってきたが、三人の沈黙は続く。
二人の視線を改めて感じ、別の熱が耳にじわじわと集まる。
(一人で盛り上がってしまった……)
「フッ、フッ、フッ」
(えっ?)
耳に集まった熱が一気に霧散していく。
(ツキミが笑った?)
「フッ、フッ」
確かに、手を口に当て、笑っている。
あのツキミが、声を出して笑っている。
笑みを見せる事はあっても、声まで出ているのを見るのは、初めてだ。
セイカなんて、信じられないモノを見るような目で、ツキミを見ている。
私も、気持ちは恐らくセイカと同じだと思う。
でも、笑われている対象が、自分だと考えると複雑な気持ちだ。
「そうだな。堂々と逃げようじゃないか。それが合理的だ」
私たちの戸惑いを気にすることもなく、ツキミは私と目を合わせると、笑顔のまま、そう、ハッキリと口にする。
その笑顔は、誰も彼もを虜にしてしまいそうな、恐ろしい程の魅力を湛えている。
(性格を知らなければ……と、補足はするが)
ツキミの笑顔を前に、私とセイカは、互いの顔を見つめ合う。
そして、まるで示し合わせたかのように、再び、その視線をツキミへと戻していく。
(これが、本当のツキミの姿……なのかな?)
もう笑顔から、笑みに戻ってしまったツキミ。
焦ったり、笑ったり。
最初の印象とは、大分違う。
(セイカに棘を出すのは、止めてあげて欲しいけど……)
この姿を見られたのなら、私の少し気恥ずかしい演説も、無駄ではなかったと思える。
「はい! 全力で逃げましょう!」
少し遅れたが、私はツキミに頷くと、そう、口を開く。
(また、ツキミの新たな一面に、出会う事ができるだろうか?)
そんな、思いが私を笑顔にする。
セイカも「逃げるっす!」と、敬礼ポーズを決め、背筋を伸ばす。
そして、ポーズを決めたセイカの視線が、スッと横へ動いたかと思うと――
「うわっ! なんかいるっす!」
突然、楽しげな声を上げ、何かを追いかけはじめる。
どうやら、何かを見つけたようだ。
(相手が、強大じゃなければ追うのか……)
私の笑顔は、苦笑いへと姿を変え、少しだけ乾いた笑いが漏れる。
「セイカさんっ! あまり離れないでくださいっ」
私は光ガス灯を掲げ、セイカの向かう先を照らす。
少し先で立ち止まったセイカの手が、壁際で、何かを素早く掴む。
(……頼むから、変なものを捕まえないでほしい)
私の気も知らずに、セイカはくるりと振り返り、こちらへ戻ってくる。
その手には、やはり、何かがある……。
「な、何か、いましたか?」
私は、セイカの手元を警戒しながら、恐る恐る尋ねる。
セイカは私に近づくと、「見て! 見て!」と言わんばかりの勢いで、軽く握った手を差し出し、それを広げる。
(ひっ?!)
私は、思わず身体を少し引く。
セイカは、私の不安を知ってか知らずか、いたずらっぽい笑みを作ると――
「トカゲっす! 食料には困らなそうっす!」
そう言って、胸の高さまでその手を上げる。
そこには、彼女の手より小さいトカゲが一匹。
(なんだ、トカゲか……って、えっ?! 食べるのっ?!)
私の中にいた不安が、一気に疑問へと塗り替えられる。
トカゲは既に諦めているのか、私の視線からも、彼女の小さな手の平からも、逃げる気配は無い。
「その子……。食べるのですか?」
私は、ゆっくりと顔を上げながら聞いてみる。
「んー。これじゃ小さいっすかね?」
セイカは、言いながら、もう一方の手でトカゲを突つく。やはりトカゲは諦めているのか逃げない。
(そういう事では無いのだけれど……)
私も食文化として、トカゲを食べること自体を否定するつもりはない。
好んで食べたいかと問われれば、それは別の話だが……。
それにしても、地下水を飲めるか聞いてきた件といい、セイカは何というか……そう、逞しい。
どこででも、やっていける強さがあると思う。
ところで――
(ツキミも、食べたいと思っていたりするのだろうか?)
ふと気になって、ツキミに視線を向ける。
彼女は、私たちのやりとりにはまるで興味がないように、また無言で何かをメモしているようだ。
(トカゲには、興味ないのか……)
そんなツキミの態度に、私は少しだけ安心してしまう。
「あっ!」
唐突にセイカの声が響き、思わず彼女へと振り返る。
視線を少し落としてみると、あの小さなトカゲの姿はない。
「逃げたっす!」
セイカは、トカゲが去っていったであろう先を、じっと見つめている。
「そ、そうですか。トカゲの、作戦勝ちかもしれませんね」
そう口にはしてみたが、私の心は複雑だ。
トカゲが逃げてくれて、食べずに済んでよかった。やはり――そうは思う。
でも、仮にだ。本当に仮の話だが。
もし、天井が崩落して、閉じ込められてしまうとしたら……。
生き抜くために必要なモノが、そこにあるのかを確認し、ここには食べられる物があると、仲間に伝えておく。
それを実践している、セイカは正しい。
責任者として、私も、そうあるべきなのだろうか。そう考えてしまう。
もっとも、本人がそれを自覚して動いているとは、あまり思えないけれど。
その笑顔の裏には、私では察しきれない何かが、あるのかもしれない。
(考えすぎ……かな?)
なんとなく天井を見上げ、私が思案していると――
「あっ! じゃあ、アレとか――アレはどうっすか?」
セイカは壁際を指さしながら、ぴょんと跳ねる細長い影や、岩の隙間をじわじわと這う何かを示してみせる。
またトカゲか、それともただの大きめの虫か――いや、足がたくさんあるのは特に勘弁してほしい。
「セイカさん、それはちょっと……」
思わず私が窘めるような声を出すと、セイカは「冗談っすよー!」と悪びれもなく笑う。
(それが、冗談のままであれば良いけれど……)
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