第37話 皆は一人の為に

―― この世界は、間違っているわ。

―― だからこそ、世界を再生させるために、“魔王”という機構をお与えになった。

―― わたくしはただ、それを少し早く起動させただけ。


トゥルーエンドでのルーレミア王女の独白が、耳の奥で甦る。


終末の剣《ラグナロク》。

ゲーム内で二本の存在が確認されていた、入手不可能な魔剣だ。


一本目の真打は、裏ボスたる彼女自身が握っていた。

そして二本目の影打は、強制的にダンジョン・スタンピードを発生させ、“魔王封印の楔”を内包する神殿を崩壊させるイベントで、彼女の狂信者が用いたもの。


今のスタンピードは、その影打によって引き起こされたのだろう。


彼女は――後のイベントで必要不可欠なはずの魔剣を、今ここで切り札として使ってきた。

学園の教師陣を生贄にして、たかだか主人公アレンを覚醒させるためだけのイベントに。


……僕のせいなのか?


彼女の筋書きから逃れようと、必死に足掻いた。

その結果が――この惨劇なのか?


本来なら起きるはずのない災厄を、僕が呼び込んだ?

僕のせいで、まだ生きられたはずの人々が殺された?

僕を受け入れてくれた、この街の人たちが……


「……僕が失敗したから」


抱えていた少女を、そっと下ろす。

怯えたように僕を見ていたが、気にする余裕などなかった。


周囲を見渡せば、スタンピードの発生境界の外で、冒険者たちが防衛陣を築いている。

迫りくるスケルトンを迎え撃つために。


だが――避難できた住人の姿は……


「……こんなに、少なかったか?」


遠ざかる背中は、数えることができるほどにしか見えない。

喉の奥が焼けるように苦しくなり、込み上げてきた吐き気を、どうにか押しとどめた。


「……僕がやらないと……」


多めに用意していたポーションを一気に流し込む。

これだけあれば、多少の無茶は効く。


「……許さない」


スタンピードは、ボスを倒せば止まる。

これ以上の被害は出させない。


「特攻してでも、止めてみせる!」


剣を強く握り、防衛陣から飛び出そうとした、その瞬間――


「キース、だめ! 落ち着け!!」


両頬を万力のように挟まれ、頭蓋が軋むほどの痛み。

至近距離から響いた怒声に、鼓膜が破れたかと思う。

ラシュティアが目の前で僕の顔を両手で掴み、叫んでいた。


痛みに頭が真っ白になる。

耳鳴りの中で、彼女の声だけが必死に届いてくる。


「怒りに飲まれちゃダメ!」


ラシュティア……なんで……


「キース、目的を忘れないで。リュシアーナを守るんでしょ?」


その声は次第に優しくなる。

ああ、そうだ。僕は――リュシアーナを守るために準備してきたんだ。


「ぢゅぇも、らでゅティア……」

「あ、ごめん!」


力を緩めてくれたおかげで、ようやく息がつけた。


「でも、だからってこの街を見捨てるわけにもいかない」


防衛陣にスケルトンの群れがぶつかり、轟音が辺りを覆う。

その直後、空が急速に暗く沈んでいった。


――《大いなる日蝕》。


タイミングを狙ったかのように、学園の方角から爆音が轟く。

学園襲撃が始まったのだ。


しかし僕は――そこへ駆けつけることができない。


「僕は……この場を見捨てるわけには……」

「キース、悪い癖出てる。全部背負う必要なんてない!」


駆け付けることも出来ないが、目の前の戦闘に参加することもできない。

何故ならラシュティアに、頭を完全にホールドされているからだ。


「わたしたちを頼って!」


「そうだぜ兄弟。……って、おい、そのうらやまけしからん状況は何だ! 代われ!」

「ホホホ。冒険者たちは銀級ばかりじゃが、ワシらが加われば十分じゃろう」


いつの間にか傍にいたテックロアが場を茶化し、ボブマーリンが冷静に言葉を重ねる。


「ああ、これくらいオレたちに譲ってくれなきゃ、デケェ男にはなれねえぜ。行ってこい、キース」


ドットのその声は、負の感情を洗い流すように響いた。

――敵わないな。


ラシュティアに解放された頬を、自分で軽く叩く。


「そうだ、僕は“悪役貴族”。怠惰に人を使って、全部手に入れるんだ」


しっかりしろ、キース。目的を見失うな。


僕の手の届く範囲は限られている。

5人を助ければ、1人が犠牲になる。

なら僕は――僕にしか助けられない1人を選ぶ。


幸運なことに、僕にはその選択を補ってくれる仲間ができた。

僕の手の届く範囲を、広げてくれる仲間が。


「スタンピードは頼んだ。我が儘を聞いてくれて、ありがとう!」


「へへ、気にすんな。ラシュティア、ついて行ってやれ」

「……いいの、ドット?」


ラシュティアが不安げに問いかける。


「ああ、こっちは――まあ大丈夫だ」

「……わかった。任せる」


僕としても、彼らのことは心配だ。

何せ、彼らの死因は……いや、言うまい。

“ひとつのスタンピード”程度なら、きっと。


「ありがとう、ラシュティア。一緒なら心強いよ」

「ん。急ごう、学園が燃えてる」


日蝕で沈んだ闇の中、学園の炎が街を赤黒く染め上げていた。

まるで世界の終わりを告げる光景だ。


だが僕は、世界を救うために赴く訳じゃない。

ただ――大切なたったひとりのために。


これが僕という人間の限界だ。


ルーレミア……だからもう、僕に興味なんて持たないでくれ。



後ろ髪を引かれる思いが無いわけではない。

だけど、彼らを信じて学園へ駆ける。


逃げ惑う住民の波をかき分け進むと、逆方向から奇妙な集団が現れた。

全員が黒地に白いエプロン、カチューシャをつけたメイド姿。

八人の女性が整列するわけでもなく、しかし統率されたように揃った歩みを見せる。


あまりの異質さに、逃げ惑う人々ですら自然と道を譲っていた。


その中のひとり、見覚えのある顔がこちらに気づく。

立ち止まった集団と、僕たちの視線が交わった。


「あれぇ? くそザコキースじゃん。え、あんな程度のスタンピードから逃げてきたんですかぁ~? やっば、ナメクジ以下じゃん」


オーザラック商会のメイド――商人ジョーカス・オーザラックの部下。

殺気だけで“死”を連想させるほどの強者だ。


「やめなはれ、シータはん。キースさんは学園へ向かうところや。少しは頭使いなさい。せやからジョーカス様に叱られるんやろ?」

「なに言うてんのガンマぁ? ジョーカス様の寵愛を受けてるアタイに嫉妬? ブブー、負けヒロインかなぁ」


隣の女性と言い争いを始める。彼女たちは《シータ》と《ガンマ》というらしい。

……神の加護が上がったおかげで分かる。彼女たちは僕より――いや、ドットたちよりも数段強い。


「お止めなさい、シータ、ガンマ。キース様が困っておられます」


「はぁーい、アルファちゃんメンゴ」

「アルファはん、かんにんなぁ」


先頭に立つ女性が静かに二人を諫める。

彼女が《アルファ》――集団の核。


その顔立ちは突出した美貌ではない。だが平均値を極めたような整いすぎた美しさは、逆に不気味ですらあった。


「さて、キース様。ジョーカス様より伝言を承っております」


彼女は一歩前に出て、感情の起伏なく告げる。


『――あなた様の思うままにお生きください。臣下である私が舞台を御用意いたします』


一礼。

面を上げたアルファからは、何ひとつ感情が読み取れない。

他の者たちもまた、シータを除けば一切表情を動かさない。


「君たちは……いったい何なんだ?」


鋭い殺気ではない。だが、押し潰されるような圧迫感。

その中で、どうにか言葉を絞り出す。


「私たちは、ただキース様を補助いたします。騒がしくして申し訳ありませんが、基本的には裏方です。


突然現れた私たちのことを、覚えていただく必要はありません」


詮索不要を淡々と告げられる。

だが僕は、ふと思い出した。


――ジョーカスはかつて、子供の違法奴隷を救い、孤児院を経営していたと語っていた。

救出した奴隷たちの人数と年齢が、彼女たちと合致する。


「ジョーカス様がお認めになられている以上、私たちの献身は、空気と同じ。当然のことです」


「そして、万が一にも袖を分かしたとしても……すべては存在しなかったことにいたしますので、記憶を残す意味はありません」


……味方とは言いがたい。

だが今は、この力が正直ありがたかった。


「行ってらっしゃいませ、キース様。私たちはこれより――掃除をさせていただきます」


アルファは静かに告げ、そのまま進み去る。

視界に僕が映っているのかも分からない態度のまま。


「いつまでもジョーカス様と共に歩まれることを、願っておりますわ」


去り際のその言葉が、妙に耳に残った。


……ジョーカスは、本当に味方なのか?


「いや、それは別の話だ。今は考えるな」


利用できるものは、何だって利用する。

スタンピードは彼女たちに任せればいい。


目的地は――アルセタリフ王立英鳳学園。


ゲームの筋書きからリュシアーナを救い、僕自身の物語を始めるために。

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