第31話 弱点が首と言う訳ではない
《トロール》。
全長3メートルの巨体に、原始的な腰巻きと巨大な棍棒を持った魔物。
魔獣型と異なり、人型の魔物にはわずかながら“知性”がある。
そのせいか、彼らは時に“遊び”として、圧倒的な力で弱者をいたぶる。
自らの領域に迷い込んだ獲物を、少しずつ追い詰めて嬲り殺すのだ。
下卑た笑みを浮かべ、じわじわと間合いを詰めてくるトロールたちを正面に捉えながら、キースは剣を水平に構えた。
「……もう退路は断った。僕は、ただ前に進むだけだ」
自分に言い聞かせるように呟いた直後、キースの姿が掻き消える。
――先頭のトロールが異変に気付いたときには、
すでに自分の肩に足をかけたキースが、首を斬らんと構えていた。
その動きは、神速――と呼ぶには少し違う。
踏み込みは速くも遅くもない。
だが、予備動作なしに始まる独特な歩法が認識をずらし、意識の外からの接近を許したのだ。
驚くべき動きではあるが、トロールたちは動じない。
そこまで考える知性がないというのもあるが、何より、彼らは目の前のキースを脅威だと思っていない。
本能で察している――この人間の加護は貧弱だ、と。
ただの羽虫が視界から消えた程度にしか認識していない。
実際、首筋に叩き込まれた剣は皮膚で止まり、わずかに魔法的なダメージこそあれど、致命傷にはならない。
余裕すら見せながら、トロールはキースを肩から棍棒で突き落とした。
落とした……はずだった。
トロールは、スライムでも突いたかのような、手応えのなさに首を傾げる。
そのわずかな隙に、キースの刃がまた別の角度から襲う。
切りつける。回避。切りつける。回避。
何度も、何度も。
振り返れば背後から。振り向けば、逆の側から。
トロールが逆上し、棍棒を無秩序に振り回しても、そこにあるのはまたも空振り。手応えは、ない。
……何かがおかしいと、トロールが本能的にそう感じたときには、すでに脚が動かず、視界がかすみ、そのまま音もなく倒れ伏した。
斬撃が皮膚を切り裂くことはなかった。
だが、蓄積された魔法的ダメージは、肉体を内側から蝕んでいたのだ。
そして彼は、最後まで――
自分が何によって殺されたのか、理解することはなかった。
キースは、倒れたトロールの脇に静かに立つ。
手にした剣を再び水平に構えるその姿に、感情は宿っていない。
まるで、冷徹な殺戮装置のように。
それを見ていた周囲のトロールたちは――それでも笑う。
「バカな奴がやられただけ」とでも言いたげに。
だが、キースは構わず踏み込んだ。
迷いも、恐れもなく。何度も。何度でも。
*
「……はあ、はあ……トロールがバカで助かった……」
僕は、無数のトロールの死骸に囲まれながら、静かに息を吐いた。
最後まで一頭ずつ襲って来てくれたお陰で、理想的な戦術で仕留められた。
《回避の籠手》による“加護無効”で攻撃を躱し、《爆裂のソードブレイカー》による“固定ダメージ小”で削り倒す。
そして、それを成立させるのが――人の努力の結晶、《プレイヤースキル》だ。
とはいえ、
「完全に“
ポーチの中で数が心もとなくなってきたポーションを一本、一気に飲み干す。
《回避の籠手》は大分使いこなせるようになったが、それでもまだミスはある。
そして《爆裂のソードブレイカー》は、その名の通り、爆発のエンチャントが付与された魔武器だ。
この“爆発”属性は他の属性と違い、反発や相性の優劣がないという非常に珍しい性質を持つ。
つまりこの剣は、たとえ相手がラスボスであっても、確実にダメージを与えられる稀有な一振り――というわけだ。
ただし、その火力は控えめで、普通にストーリーを進めていると“弱武器”の烙印を押される。
だからこそ、RTA(リアルタイムアタック)のようにストーリーをガン無視して、崖から「アイ・キャン・フライ」して先に回収しないと役に立たない。
ある種の“ネタ武器”という扱いだ。
「まあ、昔の戦い方じゃ、じり貧だったけどね。ドットには感謝しないとな……お前も、そう思うだろ?」
ふと呟いたその瞬間――また、休む間もなく新たなトロールが迫ってきた。
構えを取り、重心を落とす。
“独特な足の動き”で一気に間合いを詰める。
この移動法は、傍から見れば瞬間移動のように映るらしい。
僕は勝手に、カッコいいから“縮地”と呼んでいる。
一瞬でトロールの懐に飛び込み、首元に三連撃を叩き込む。
一撃目の慣性を魔力で一時的に抑え込みながら切り返しの二撃目、その反発を“バネ”のように使って三撃目に転じる。
考えて動くには無理があるが、これは“無名の剣舞”で叩き込んだ動き――身体が勝手に反応する。
三ヶ月間の修行がフラッシュバックする。
すべての動きを使いこなすにはまだ遠いが、それでもいくつかは“技”として昇華できるレベルに至った。
……本当に、ドットには頭が上がらない。
剣がトロールの首筋に深く入り込む。
筋肉の鎧に阻まれることなく、固い皮膚を切り裂いて内部で小さく爆ぜる。
かつては皮膚すら切れなかったこの斬撃も、今では立派な殺傷能力をもった。
幾度となくジャイアントキリングを繰り返した結果――
僕の加護は、爆発的に上がっている。
「ゲームのレベリングだったらリセット案件だな!」
こんな“習熟ポイント”が貰えない加護上げでは、最強にはなれない。
でも、今はそんな贅沢を言っている余裕はない。
時間が、ないのだ。
学園襲撃イベントは――1学期の終わりに発生する。
移動時間を考えれば、もうギリギリ。
ただ、自然天体の動きがイベント発生のトリガーになっているため、タイミングが大きくズレることはない。
もしこれが、ルーレミアの気分次第で発生するイベントだったら……
魔武器回収なんて、夢のまた夢だっただろう。
―― 危ない。キース、気をつけて!
―― 後ろががら空きだぞ、兄弟!
背中に衝撃が走った。
僕の体は地面を何度もバウンドしながら壁まで吹き飛ばされる。
「がはっ……!」
死角から、別のトロールの不意打ちを喰らったらしい。
血反吐を吐きながら、それでも僕は立ち上がる。
大丈夫。……まだ、動ける。
―― 気をつけろよ。ここはオレたちに任せな。
―― ホホホ、たまにはワシも良いところを見せようかのう。
周囲を確認する。
どうやら、ボス部屋のルート方向に吹き飛ばされたらしい。
僕ごと殴られたトロールと、別のトロールがいがみ合っている。
……敵を殲滅する必要はない。この隙に、先へ進もう。
「ああ……皆がいればな」
ふと、思わず弱音が漏れた。
さっきの奇襲も助けてくれて、気兼ね無く力を振るえただろう。
……だめだ。考えるな。
彼らを巻き込むわけにはいかない。
《ブラストクエスターズ》という冒険者パーティーは、ゲームには登場しなかった。
ラシュティアは、世界崩壊後には一人だった。
《レーヴァテイン》は、恩人の墓標に突き立てられていた。
――簡単だ。答えはすでに出ている。
彼らは、世界崩壊時に“死ぬ運命”にある。
きっと、またドットが、お人好しに頑張って……
そして、報われずに終わったんだ。
僕より遥かに強い彼らでさえ、あっさりと死んでしまうのが“現実”だ。
リュシアーナを失うことは、きっと僕には耐えられない。
でも、ブラストクエスターズを失うのも……僕には、同じくらい耐えられない。
結局、僕は――
初めてできた、心から信じられる仲間に。
本当に、助けを求めたい相手に。
……何も、頼れなかった。
そんな想いを噛み殺しながら進む僕の前に、《ギガンテス》が現れた。
トロールをはるかに上回る体躯――
五メートルを優に超える、巨躯の巨人。
「……ははっ。上等だよ」
痛む身体に鞭を打ち、僕は剣を水平に構える。
「僕は、怠惰で強欲で……七つの大罪を体現する“悪役貴族”だぞ!」
「全てを、力ずくで手に入れてやる!」
かかってこい、魔物ども。
僕には退路はない。何回だって限界を超えてやる。
前へ――
前へ!
止まるな。進め!
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