第29話 宴への招待状

――『やあ、キース君。久しぶりだね。君の大好きなリュシアーナだよ』


――『声が届くということは、実験は成功だ。キャハハ、流石は私! 増幅器を各地に設置した甲斐があったってもんだ』


――『むう、もう“助教授”じゃないよ。君は変わらないね……。ところで、なぜ学園にいない?』


――『キャハハ! ウケるー、決闘なんて古風なことをやったのかね? ……まあまあ、そういわずに』


――『せっかく、学園の特別教師として招かれたんだ。そんな私に、挨拶もない生徒を心配していたんだよ?』


――『……え? それは私が魔道科学の権威だから、って……そう怒るなって。ルーレミア・アルセタリフ王女の一声で、来年からの予定が前倒しになったんだ』


――『……“学園から逃げろ”だって? いくら可愛い生徒からのお願いとはいえ、さすがにそれは無理だよ』


――『一応国民なんだから、王女の意向には逆らえないだろ? それに彼女、多額の出資を約束してくれたんだ。“太パトロン”ってやつさ!』


――『ごめんごめん、ちょっと興奮しすぎた。……確かに、理由が言えないと説得力に欠けるね』


――『今度、遊びに……って、出禁? じゃあ、内緒で来るといい。その時に、詳しく話してくれたまえ』


――『元気そうで何よりだ。会える日を楽しみにしているよ』


――『それじゃあ……またね』



気がつくと、僕は宿屋のベッドで天井を見上げていた。


リュシアーナ教授に“餞別”としてもらったトランシーバー型の魔道具――ほとんど携帯電話と変わらないそれで通話してからの記憶が、妙に曖昧だ。


たしかに、ラシュティアと一緒に帰っていたはずだった。

……なのに、何を話して、どこで別れたのか――まるで思い出せない。


ただ、ひとつだけ、確かに覚えていることがある。

いや、思い出したと言った方がいい。


ルーレミアの嘲笑。

ジェーンのスキルを受けたときの、あの凍りつくような感覚。

あの決闘の結末を、ようやく思い出した。


僕はまだ――王女の掌の上にいる。


ゲームの元凶である裏ボス、《ルーレミア・アルセタリフ》の筋書から、僕はまだ解き放たれていない。


「……僕は、まだゲームのシナリオの中にいるってことか」


ゲームでは、彼女は“僕”を主人公アレンの引き立て役に仕立てた。

“僕”に魔族を通して人類への裏切りを促し、無理やりスキルを覚醒させたのだ。

それは“負の覚醒”だったが、魔物と化した“僕”には相性が良かったのだろう。


中ボスとして再登場した“僕”は、その名に恥じぬ強さを誇っていた。

戦いの中で負のスキルに触れたアレンの“文字化け”スキルは、”僕”の死をもって正のスキルへと覚醒した。


それが彼女の描いた筋書き。

学園編のラストを飾るビッグイベント、――学園襲撃イベントの裏の結末だ。


彼女は“僕”の自尊心を巧妙にくすぐって操り、魔王復活の駒としてのアレンを成長させようとした。


「アレンが成長するのは、僕としてもありがたいけどね」


魔王の復活は、彼がやらなくてもいずれ起こる。

でも、魔王を倒せるのは彼しかいない。

彼の“文字化け”スキルは、そういう役割を持つものだった。


ルーレミアはそれを理解したうえで、利用している。


……裏の筋書きはいい。僕が死ななければ、だが。


問題は“表側”だ。


学園襲撃イベントの表向きは、“魔王封印の楔”の破壊を狙う魔族と、学園教師たちとの攻防戦。

結果的には、1年生のアレン一行が防衛用の結界を強化し、魔族上位幹部を退けるという大金星をあげる。


「でも、それは――教師陣の全滅と、生徒の半数が帰らぬ人となる犠牲の上に成り立っている……」


僕はこのイベントには関わるつもりはなかった。

犠牲が多すぎるからこそ、戦力は多い方がいいというのは分かる。

だけど、僕のスキルは“敵を強化する”。


僕が行けば、むしろ被害が増える可能性が高い。

だったら、行かない方がいい。……そう思っていた。


――そう、思っていたのに。


腹黒王女め……やってくれたな。

リュシアーナ教授を、あろうことか“全滅する教師陣”に紛れ込ませた。


「もう誤魔化せない。自覚したわ。……僕は、彼女のことを“母の代わり”のように想っている。いや、愛していると言ってもいい」


マザコンが極まってるな……

自分の感情が気持ち悪くて、吐き気すらする。

けれど――認めるしかなかった。


彼女に危機が迫っていると認識した瞬間、僕の中にどうしようもない焦燥感が込み上げてくる。

僕は、赤の他人――それも未婚の令嬢に、こんな歪んだ感情を向けてしまうほど、壊れているのかもしれない。


……だが、それを自覚したところで、彼女を助けに行かないという選択肢はもう存在しなかった。

だって、彼女をは僕しかいないのだから。


ゲームでは彼女は“世界崩壊後”に登場する。

――ということは、彼女は地獄を生き延びた強者……なのか?

いや、違う。彼女は“加護”なんて、ほとんど上げていなかった。


彼女のスキンシップには、高い加護持ち特有の手加減が一切なかった。

つまり、彼女は“搭”という限定的な環境にいたから、偶然助かったに過ぎない。


状況が変わってしまった今では、もう何の保証もない。


いや、むしろ――


「ルーレミアが呼んだ以上、何もしなければ確実に死ぬ」


ルーレミアには“未来予知”がある。

そして、彼女は――なぜか僕にも“未来を見る力”があると勘違いしている……いや、違う。勘違いじゃない。

少なくとも、僕がゲームを通して“世界崩壊後”を知っていることには気づいている。


そして、彼女はその“能力”が自分の脅威となるかどうかを探っている。


だからこそ、リュシアーナを“人質”として、僕を学園へと誘導しているのだ。


父でもなく、セバスでもない。

彼女が選んだのは、“僕が必ず動く相手”だった。


……結局、未来予知を持つルーレミアの前では、僕が何をしたって変わらない。

そう思った。思いかけた――でも。


「ちょっと待てよ」


もし、本当に未来が見えるのなら……探る必要なんて、あるのか?


わざわざ、塔の教授という権威ある存在のスケジュールまで変更して、僕を試すような真似をするだろうか?

踏み台スキルの真の性質だって、見抜けているはずじゃないのか?


探り以外に、僕を学園に呼ぶ理由が……あるのか?

いや、ない。


「“僕の未来”が見えていないんだ」


――見えないからこそ、試してきた。探ってきた。


確かに、アレンの“文字化け”スキルが覚醒するには、負のスキル――《七つの大罪》を持つ者との戦いが必要だった。

でも、ゲームではルーレミアの手駒の一人にも保持者はいたはずだ。

つまり――その駒は、僕でなくても良い。そもそも、《踏み台》は大罪ではない。


それなのに、彼女は、僕を学園に呼んだ。

ならばやはり、探ること以外に意味があるはずがない。


……つまり、“観測できない未来”が、あるってことだ。


それならば――僕にも、“番狂わせ”ができる。

そうだ。そうに違いない。

僕はまだ、折れるには早すぎる。


「考えろ。何か……何か、シナリオをぶち壊す方法はないのか――!」



そして僕は、誰にも相談せず、

“パーティーを抜ける”という一枚の書き置きだけを宿に残し、《深淵に続く》と語られる渓谷へと向かった。




そして――




飛び降りた。


これが最善の行動だと、僕はそう信じていた。

この時までは。

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