第26話 閑話 わたくしの知らない物語
血を流して倒れている“彼”を、わたくしは見下ろしていた。
文字化けスキル保持者同士による決闘の結末は、アレンの勝利。実績の無い英雄の誕生ね。
「中身が分からないなら、直接戦って強いほうが優秀」――ふふ、自分で言っておいてなんだけれど、そんな安直な理屈で“彼”を測るなんて、あまりにも早計だわ。
けれど、有象無象にそこまでの理解を求めるのは、酷というものね。
“彼”がアレンの成長に合わせて戦っていたと気づいた者が、一体どれほどいたかしら。
人間は愚かだわ。
力に屈し、数に怯え、そしてやがては、思考すら放棄する。
強者の論理に盲従し、自らの正しささえ、多数に委ねて生きていく。
「大変! 今すぐ回復魔法を――うわっ!?」
「アレン! 大丈夫? 怪我してない!?」
“彼”に駆け寄ろうとしたアレンの取り巻きが、勢いよく突き飛ばされて倒れる。
突き飛ばしたのは――うん、婚約者のエマミールだったかしら?
いいえ、もう“彼”の婚約者ではないわね。
取り巻きは……ソフィア。そう、それがあの少女の名前だったわね。
彼女はまだマシ。感情的ではあるけれど、完全に目が曇ってはいないもの。
けれど、エマミールは駄目ね。
あれほど近くにいて、何ひとつ気づかないなんて。
持っているスキルはそれなりでも、“見る目”がない。
頭部のヘッドギアは両断され、顔から肩にかけて深く切り裂かれた“彼”は、血を流しながら意識を失っていた。
救護班が慌ただしく駆け寄り、ポーションを使って応急処置を施している。
……死ぬことはないわ。
心配するほどのことではない。
これ以上は時間の無駄ね。さっさと終わらせましょう。
「おめでとう、アレン。あなたの勝ちよ」
わたくしが穏やかに微笑みを浮かべれば、大抵の人間はそれだけで好意的な目を向けてくる。
――たったそれだけで、印象が変わるなんて。
本当に、滑稽だわ。
でも、アレン。
あなたは違うのね。わたくしの笑みに、容易く乗ってはこない。
ふふ、面白いわ。そういう人の方が、良い“駒”になってくれるもの。
「ただいまをもって、アレンとキース・ハーベルバーグの契約は成立しました。今後、キース・ハーベルバーグは法に則り、婚約者への接触を禁じられます」
静かに、しかしはっきりと宣言すると、観客席は割れんばかりの歓声に包まれた。
「アレン! ありがとう、これで私は自由……よ!」
エマミールが歓喜に満ちた声で感謝を述べ、アレンに抱きつこうとしたようね。
けれど、アレンは……その腕を拒んだ。
あら、驚いた顔。
受け入れられると、当然のように思っていたのね。
でもね、わたくしは知っているの。
彼が“受け入れる”未来も、たしかに存在していたことを。
――残念ね。
思い通りに行かなくて。
あなたは、“彼”にしてやられたのよ。
……ワザとらしい拍手とともに、不届き者が近づいてくる。
「いやー、素晴らしい決闘であった。アレンよ、エマミール嬢の尊厳をよくぞ守った。誇るがよい」
愚兄、フロードリヒト・アルセタリフ王太子。
半分は同じ血が流れているというのに、あそこまで愚かに落ちぶれるとは。
――いいえ、違うわね。
わたくしが“選ばれた”の。
……面倒だわ。もう用はないのだから、さっさとお暇しましょう。
「それでは、アレン。ごきげんよう」
「え、え?」
混乱したまま言葉にならないアレンを置いて、武舞台を下りる。
「エマミール嬢。婚約者に裏切られるとは、何とおいたわしい……。うむ、ならば我が側室になると良い! ふむ、実に良い考えだ」
……茶番劇ね。愚兄の妄言を背に、闘技場をあとにする。
さっきまでの熱気が嘘のように、外気はひやりと肌を刺す。
あの好色家が出しゃばってくるとは、想定外だったわ。
でも、“彼”ならここまで見えていた?
エマミールが夢見た“理想の未来”からは、あまりにもかけ離れた結末。
意趣返しとしては……申し分ないわ。
「おめでとう、エマミール。侯爵家の婚約者から、王族の側室だなんて、大出世じゃない」
「ご冗談を、姫様。あんなモノに嫁ぐくらいなら、死んだ方がマシです」
ふわりと肩にスカーフがかけられる。
――ジェーン。わたくしの侍女にして、最も信頼する“駒”。
「人間は、下らない見栄を張るものよ。だからこそ、扱いやすい」
驚く理由なんてない。彼女がそこにいるのは、当然のことだもの。
わたくしには《未来予知》がある――そう、“全て”が当然だった。
……“彼”が現れるまでは。
一本道だった未来が、揺らぎはじめたのは、幼い頃だったかしら。
いえ、“揺らぐ”というより、“重なる”と言うべきかもしれない。
可能性の未来が、重なり合って存在し始めた。
わたくしの見る未来は、すべてが最適解だった。
汚職も、格差も、魔物の脅威すら消える“理想”の道筋。
それが変わるなんて――もったいない、とすら思っていた。
だから、探したの。
この秩序を乱す“特異点”を。
そして見つけたの。
“彼”を。
――あなたを、キース様。
キース様は、わたくしを超える《未来視》の持ち主?
それとも、まったく異なる……“何か”?
「例の件、内容を少し変更しましょう」
「はい、仰せのままに」
キース様が宴に来られるよう、パートナーをご招待しておきますわ。
ええ、きっと来てくださるわね。
だって……
次は、どんな一手を見せてくださるのかしら?
ふふふ――楽しみだわ。
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