第18話 出来る奴は言われる前にやる
夕焼けに染まるエントランスには、まだ多くの学生たちがいた。
僕は少し離れた壁にもたれかかり、行き交う人々をぼんやりと眺めている。
「……“今日は一緒に帰りましょう。夕刻に正門で待っていてください”、か。今日一日の出来事を考えると、エマミールが可愛く見えてくるな」
少し前、放心状態で学園内を彷徨っていた僕のもとへ、エマミールの侍女が近づいてきて、そっとメモを差し出してきた。
この世界には携帯電話なんて便利なものはない。だから、手紙やメモでの連絡は別に珍しくない。
念話用の魔導具もあるにはあるが――視界の範囲内という、微妙に使い勝手の悪い代物だ。
そもそも“通信インフラ”という概念すら存在しない。
ただその代わり、感知魔法など現代科学では再現困難な技術が普通に使われているという、妙にややこしい世界だ。
……まあ、それはそれとして。
放課後デート? エマミールが? ないない、絶対にあり得ない。
ゲームのシナリオ通りなら、今日の彼女は主人公アレンたちと一緒に学園探索――いわゆる施設チュートリアルに同行してるはずだ。
たしか、入学式前に廊下でぶつかるお約束のサービスカットイベントがあって、そのまま彼らは行動を共にしながら、エマミールの“影”に気づくことになる。
表向きは明るく振る舞う彼女だけど、ふとした瞬間に暗い表情が漏れる。
アレンはそれを見逃さず、話を聞いてやる。
そして明らかになるのは――悪役貴族の婚約者から受ける虐待めいた扱い。
最初は見て見ぬふりをするアレンだが、次第に怒りを募らせ、ついには……
「エマミールを解放しろ」と決闘を申し込む。
それが、エマミールのパーティー加入イベント……つまり、"あり得たかもしれない"未来の流れだった。
だけど――本当に、そうなのか?
この流れは“圧倒的に悪ガキな僕”という存在がいてこそ、成り立つような気がしていた。
でも、そもそもその前提なんて、必要なかったんじゃないか?
エマミールとの付き合いは長い。
少なくとも、僕は彼女をある意味で信頼している。
彼女の印象操作は――“湾曲”と“拡縮”。
真実の欠片を巧みに繋ぎ合わせ、印象を反転させる。
“少しも良いこと”がなかったかのように、“最大の被害者”としての自分を演出するのが、彼女の得意技だ。
……そう、彼女なら、きっと“やってくれる”。
ふと、視線を感じてそちらを見る。
こちらへ向かって歩いてくる、仲良さそうに談笑する三人組の中に、エマミールの姿があった。
目が合った――気がした。
「今日は楽しかったわ。ありがとう」
少し前を歩いていたエマミールが振り返り、アレンにお礼を言う。
……予想通り。ゲームのシナリオ通りの行動だったのだろう。
「いいってことよ。そんなことより、婚約者に何かされたら俺たちに言えよ、エマ。絶対助けてやるからな」
おちゃらけた口調のまま、アレンは不自然なくらい真面目に彼女を気遣っている。
「ふふ、嬉しい。でも、無理しないでね」
エマミールはそっとアレンの手を取り、恥じらうように微笑んだ。
え? 誰? ……あ、エマミールか。
一瞬、本気で分からなかった。
僕に見せる彼女の雰囲気と、今のアレンに見せている表情が、あまりにも違いすぎたからだ。
いや――ゲーム的に見れば、今の彼女が“正解”なのかもしれない。
親しげで無防備なようで、常に隙を探ってくる。
それが、僕の知るエマミールだった。
……だけど、これは何だ?
ラブロマンスのワンシーンを、まるで“わざと”僕に見せつけるような態度。
一体何を目論んでいる?
この国の法律的には、婚約者がいたとしても異性に触れたくらいでは不貞にはならない。
けれど――それを嫌う貴族は、確実に存在する。
社交界では、“婚約者がいる者”に異性が接触することは極めて稀だ。
それなのに、彼女は限りなくグレーな行為を、わざわざ僕の目の前で演じてみせた。
……どうしてか? ……ああ、そういうことか。
もう、“僕が何をしても廃嫡は覆らない”段階まで、準備が整ったというわけだ。
侯爵家にも、伯爵家にも、そして主人公アレンにも。
彼女の作り上げた物語は、もう“誰もが疑わない形”に仕上がっている。
だからこそ、彼女はこれだけあからさまに僕を挑発できる。
……負けたんだ、僕は。
彼女の暗躍に、完膚なきまでに。
もうじき、僕は“愚かなDV婚約者”として、正義の味方に成敗されるのだろう。
本当に――僕の信頼に、よく応えてくれる婚約者だ。
アレンのヘイトを稼ぐために、僕があれこれ考えなくてもよかったんだ。
君に任せておけば、全部うまくいっていた。
……ジョーカスの言う通りだ。
僕が、何もかもやる必要なんてなかったんだ。
この“用意された流れ”に、抗う理由なんてあるか?いや、無いね。
「エマミール! 何をしている」
「キ、キース様。……な、なぜここに?」
怒気をまといながらアレンたちに近づくと、エマミールは怯えたようにアレンの影に隠れた。
「何だお前は。あっ! お前は、今朝のいけ好かない貴族……」
アレンは若干混乱しつつも、しっかりとエマミールを庇う姿勢をとっている。
うん、しっかりしてるな。――さすが、主人公だよ。
少なくとも、今のところアレンが“俺と同類”って線は薄そうだ。
まあ、魔王を倒してくれさえすれば、誰だって良い。
「おい、平民。僕の婚約者を誑かすとは、いい度胸だな」
荒げた声が、周囲に響いた。
残っていた学生たちが、何事かとこちらに視線を向けてくるのが分かる。
「俺は平民じゃねぇ! アレンだ!エマは貴族とか平民とか、そんなの気にしてねぇのに……婚約者のお前は何だよ。そんなんだから、エマに優しくできねぇんだ!」
「何だと? 分かったような口を利くな。貴様も、エマミールも……痛い目を見なければ分からんようだな」
……ボルテージが上がっていく。
僕も、アレンも。
第三者から見れば、ただの貴族と平民の口喧嘩にしか見えないだろう。
だけど――
「キース様、やめて! アレンは……ただの友達よ。罰は、私だけにして!」
うまい。さすが、エマミール。
これで周囲の印象は、“交友関係にまで口出しする暴力的な婚約者”と、
“彼女を必死に守ろうとする平民ナイト”に、綺麗に上書きされた。
「そんなこと、言わなくていいよエマ。これ以上、彼女を傷つけるなら……婚約者なんて名乗るんじゃねぇ!」
アレンの立ち位置がブレると、最悪“婚約者を寝取るクズ”に見られかねなかった。
でも――エマミール監督の演出には、そんなミスは無い。
「ほう……言ってくれるな、平民」
僕の感情の乗った一言に、周囲が息を飲むのが分かる。
空気が、ピンと張り詰めていった。
皆の期待が伝わってくる。
正直、初日でここまで来るとは思っていなかった。
ゲームの知識じゃ、こうなるまでに二、三週間はかかる予定だった。
ありがとう、エマミール。……皮肉じゃなく、本当に“君の仕事”は完璧だよ。
「いいだろう。ならば……」
僕はゆっくりと胸ポケットに手を入れ、侯爵家の紋章が刻まれたポケットチーフを取り出し、アレンに向かって投げつけた。
貴族の象徴がアレンの胸に当たり、ふわりと床へ落ちる。――今日二度目だ。
「決闘だ。拾え、平民」
その伝統的な決闘の申し込みを目撃した学生たちは、まるで爆音と勘違いするほどの歓声を上げた。
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